ゲーム

2017.01.15

「囚われのパルマ」

「囚われのパルマ」というスマフォゲームがYahooニュースで紹介されていたのでインストールしてみました。
いわゆる恋愛シュミレーションのゲームです。
恋愛シュミレーションゲームというと、CMなどを見るとかっこいい男の子がワラワラ寄ってきて、
「さああなたはどのタイプを選ぶ?」
みたいなのが多い感じがしますが、記事によるとこのゲームの場合はなかなか相手との距離が縮まらず、ジリジリするのがよいのだとか。

へぇ…ちょっとやってみましたが、なんか微妙。
私が現実世界で、友達とも毎日LINE送りあうような生活をしてないせいかもしれません。

何かの事件絡みで記憶を失い「収容所」に閉じ込められている青年と、そのカウンセラーとしての「私」が面会してガラス越しにコミュニケーションをとるというシチュエーションなんですが、面会の他にもお互いスマフォみたいな端末を所持していてそれでメッセージを送りあうことができます。

こちらからメッセージを送ると何かしらは返してくれますが、正直、私がその青年だったら、かなりうざかろうと思ってしまうんですよね。
「ほっといてくれ」的な。

何回かの面会で少し打ち解けてきてはいるんですが、どうも私はその青年の方に感情移入してしまって、自分から何かしらの「情報」を引きだそうとして話しかけてくるカウンセラーに対して「面倒くさい」とか「うざい」とどうしても思ってしまう。

自分がそう思うのであまりメッセージを送るのが楽しくないし(送らないとゲームが進みませんが)、どうでもいい話をメッセージで送ってその返事が「それが何?」的な冷たいものだったりすると
「そうだよねぇ…」
と思ってしまうんですよねぇ。

向いてないな、恋愛シュミレーション(爆)。

いやそもそも私がコミュ障なのかなー

ちょっと考えてしまいました。
他人と接していて、自分が楽しいと感じるシチュエーションって私の場合はなんだったかな、なんてね。

私は基本、一人で自由でいるときが一番楽しいと感じます。
だから正月のように一人で札幌へ行き、一人で観光地をまわり、一人で寝台特急カシオペアに乗り、一人で食堂車で豪華フルコースディナーを食べ、夜は一人で列車の個室から星空を眺めているとめちゃくちゃ楽しい。

そういうとき、誰かが一緒に乗っていたら楽しくないんですよ。
前の記事にも書きましたが、元日の札幌で夕飯に困ってサブウェイ。一人ならそれもブログにネタにして楽しんだりしてますが、もし誰かが一緒にいたら文句を言われるに決まってます。

(なぜ事前に店をリサーチしておかないのか。元日に休みが多いなんて当たり前じゃないか。そのくらいの想像つかないのか。)

…あ~うるさい。明日、カシオペアでフルコース食べるんだから文句言うな。コンビニ飯じゃないだけでも有り難いと思え。

基本的には他人は他人です。
自分と同じものを同じように楽しいと思う人なんていないと思うし、それはごくごく当たり前だし、自分の価値観を強要するつもりも全然ない。
私も正しければ、相手も正しい。
それでいいんです。私は自分のやりたいようにしたいけど、それが他人にとっての正解じゃないことなんて分かっている。私が馬鹿高い金払ってそれでもカシオペアに乗りたくたって、他人が同じように思うとは限らない。他人じゃなくても、仮に夫婦でも。

相手にも強要されたくないし、自分が楽しいと思うものを否定されたくない。
だから一人がいい。
そばにいるあなたが楽しいかどうかなんて、私には分からない。
いつもそれに気を遣い、相手に合わせてたら自分が楽しくない。
でも二人でいたら、相手に気を遣うことは「当たり前」。自分勝手に行きたいところに行くことなんてできないんです。

もちろん、私と同じようにカシオペアに高い代金を払ってでも乗りたい人はいるでしょう。
同じように、カシオペアからの夜景を楽しむ人もいるでしょう。
でも、その人はもしかすると私よりも鉄道ファンで、もっといっぱい写真撮りたいかも知れないし。
せっかく乗ったんだから夜は寝るのはもったいないと思うかもしれないし。
楽しみ方は人それぞれなんです。それでいい。別に同じである必要はない。

家族なら。夫婦なら。もしも相手が恋人なら。
自分の楽しみよりも相手が楽しむことを優先します。
相手が喜ぶことが自分も嬉しい。
それが一人じゃないってこと。

そういう喜びも分かりますが、これってけっこうひとりよがりになりがちでもあって。
好意の押しつけで過去、どれだけ塩対応されたことか(苦笑)。
以来、一人でいいじゃないかと思うようになりました。
私達は互いに一人。
たまに一緒に夜空を眺めて「あー星がきれいだね」って言い合うだけで十分ではなかろうかと。

または…私が遠くまで行って、いろんなものを見たりいろんなことをしてくるので、それを聞いてくれるだけで十分です。
一緒についてこなくていいよ。
その代わり、あなたが見てきたものを聞かせてほしい。
何かを見て、感動して、嬉しくなったら、それを一番に伝えたい。私も聞きたい。
それが多分、私にとってのかけがえのない「心の恋人」なのです。

だから私は今のままで充分幸せなんだろうなぁ。

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2014.01.14

あなたは望んで大人になりましたか ~「図書室のネヴァジスタ」(ネタバレあり)~

 皆様、あけましておめでとうございます。
 今年もボチボチ更新してまいります。どうぞよろしく~

 昨年、AmazonでPCゲームのソフトウェアをいくつか購入したところ、Amazonから「図書室のネヴァジスタ」というPCノベルのソフトウェアを薦められました。
 ゲーム、というよりはやはり「ノベル」、つまり小説。ゲームブックといっても最近の方は分からないでしょうが、要はPC上の画像と文章で物語を辿っていくと途中で選択肢が現れて、その選択によって先の展開が幾通りかに分岐していくという作品です。
 最近は、登場人物のセリフ付(フルボイス、っていうみたいですね)のものが多いですが、ネヴァジスタはBGMや効果音のみ、セリフに音声はないので私の感覚ではやっぱり「小説」です。

 こういう作品に慣れていないので読みにくいことこの上なく、登場人物の誰が何をしゃべっているのか分からなくなることしばしばでしたし、ミステリーなのでそもそも物語の中の出来事に前後の脈絡がありません。事件や現象が先に起こり、それがなぜ起こったかは、後から分かってくるという因果律を無視したストーリー展開。読んでいくと頭がごちゃごちゃしてきます。

 無論、それは、登場人物達自体が何が起こっているのか分からないままに事件に巻き込まれていくというストーリー展開と合わせた演出だとは思うのですが、正直、途中で読むのが面倒になっくてくるほど。

 それでも、やっぱり謎の答えが知りたくて3連休はずっと、PCとにらめっこしていました。

 「あなたは望んで大人になりましたか」はこのゲームのキャッチコピーです。

 ここからがネタバレ。これからプレイする人は見ないでね。

 ・・・
 ・・・
 ・・・よいですか?
 「ネヴァジスタ」とは「ネバーランド」のことだったのですね・・・

 ゲームの中でこんななぞかけがあるのですよ。とある少年が、友達にこんな手紙を送ります。

(引用開始)

 ネヴァジスタを見つけた
 彼の言った意味が分かる
 本当に残念なことだけれど
 それは君が死ぬのと同じこと

(引用終わり) 

 大人になりたくなかった子供がいて。大人になるのをやめるには死ぬしかなかった。
 そういう物語が「図書室のネヴァジスタ」です。

 小説に出てくる大人になりたくない子供たちはみんな10代。高校生です。
 いわゆるダークエイジ、暗黒の世代ですな・・・

 私だってあの頃はそうだった。大人なんて働いて死ぬだけだと思ってました。世の中は絶望に満ちていて、この先、生きていてもつらいことばかりだと思っていました。

 あんなにつらいことばかりだったのに、暗黒時代に命を絶つことなく、そこを乗り越えた私は、大人になることは自由を手に入れることなんだというのを知りました。

 親や世間や知識やいろんな枷に、なぜ子供の頃は縛られなくてはいけないのでしょうね。

 逃げ出せないオリに見えた恐ろしい牢獄は、実は概念でしかない。
 解放された先には、何でもありの、果てしなく広く、美しい世界が広がっていました。

 ネヴァジスタに出てくる子供たちはどちらかというと檻に閉じ込められて、助けを求めている子なので、私から見るとネバーランドに住むピーターパンとは真逆のようにも見えます。

 子供の頃が幸せで、ハッピーならば、大人になることが檻に入るように見えるでしょう。
 だから命を絶つことが永遠を手に入れることと=に映る。

 でも子供の頃が辛いなら、大人になることはそこからの解放なんだけどな。
 なんて・・・それは今だから言えるのか^^;

 しかし、あらためて「望んで大人になったのか?」と問われると、私は決してYESとは言えません。
 これを読んでいる皆様はいかがでしょうか。

 結婚をせず、子供もいず、誰にも縛られない、どんな選択でも可能な自由を選び取った私は、実は中身はそんなに彼らと変わってはいないような気がします。

 子供かと言われると子供ではありません。
 でもいわゆる大人でもない。
 
 知らない方には誠に恐縮ですが「スカイ・クロラ」というアニメ映画をご存知の方はいらっしゃいますか。
 
 この映画には「キルドレ」という大人にならない子供が出てきます。
 この映画を見たときに、私は、
「私たちがキルドレなんだ」
 と思いました。
 
 世界は変わらないかもしれない。
 何も変えられないかもしれない。
 それでも生きていく・・・

 子供の頃に見た絶望の世界と、実は今、私の目の前に広がる世界は何一つ変わったわけではないんです。絶望も希望も・・・世界はあるがままにあるだけで。
 それでも生きるということに望みをつなぎ、次の世代に夢を託し、生きるのが「命」なので・・・
 
 そのことを私たちは暗黒時代に足をすくわれそうな彼らにどう伝えていけばいいのだろうと。
 今、「図書室のネヴァジスタ」を見た、大人になった私はつくづく思うのでした。

 望んで大人になったわけではないけれど、生きた年数だけ積み重ねたものがあって。大人になるということはおそらくそこに希望をつなぐことなんだろうと思います・・・彼らに説明しろといってもできないけれど。
 あ~、私、商売に「先生」を選ばなくてよかったーw

「図書室のネヴァジスタ」はおそらく、彼らの世代にすごく響く作品なのだろうな。
 未来には絶望しかないと信じている。
 でもそんな彼らに希望を見せるための小説でありゲームなんでしょう。
 
 もし、機会がありましたら、下記のリンクからちょっと覗いてみてください。
 こういうゲームに慣れない方は、非常にとっつきが悪いかもしれませんが・・・
 もしかしたら、このゲームは誰かの「救い」になるかもしれません。

 「図書室のネヴァジスタ

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2013.08.04

「神学校-Noli me tangere-」感想

これはPIL-SLASHのPCゲーム「神学校/Noli me tangere」の感想です。
このゲームは18禁のBLゲームです^^;
そういうゲームに免疫のない方、すみません。
何言ってるんだか分からない方もすみません。
このゲームをプレイしたことがある人にだけ分かる、非常にニッチな感想記事なのですが、あまりにも素晴らしい出来、感動の作品なので、ここに書かずにはいられません。ごめんなさいっ!
そして一部ネタバレありです。これからプレイする方はご注意ください。

一言でいってシナリオが素晴らしい。作者は「神様」だと思いました…いや、ほんと。
こんなお話が作れてしまうのか。自分でも小説書きを趣味としている立場の私としても脱帽の一言です。恐るべし。

私はごくごく自然にセシル、レオニード、ニールの順にシナリオを進めたのですが、個人的に
「ホントは優しいかもしれないけれど一見さんに冷たい人」
及び
「初対面からいきなり馴れ馴れしくベタベタしてくる人」
というのが、基本、大嫌いなんです。
こう書くとこのゲームをプレイしたことのある人は分かると思いますが、つまりレオニードとニールは全くタイプじゃなかった。だから選択の余地なく、セシルver.からゲームを進めました。

すると、セシルver.はだいたい予想通りの展開。
BLゲームなんて初めてなのですが、なるほどねーといった感じ。
そこまではまあ普通の感想です。

その後、仕方なく(?)レオニードver.をやり始めたのですが、シナリオが進むに連れ、不思議なことに、好きになってきてしまうんですよ、レオニードのこと。
とにかくレオニードは絵になる。きれいです。何でもない正面のショットでさえキラキラ輝いて見える。
表面的な性格は冷酷そのものなのですが、それが…「ツンデレ」っていうのはまさにこういうことかという。
レオニードが「マイケル大好き」になる後半からの流れは見所満載で、あの「鉄壁のレオニード」がこんなこともあんなこともしちゃうのか~、そうか~。
そういうストーリー展開がごくごく自然で納得できて、だからこそ感情移入できてしまうというシナリオの完成度の高さにはまさに脱帽以外の言葉がありません。

だからレオニードが最高だと、これ以上はないと思っていました。
思っていたら…なんということでしょう。

上に書いたように、私は個人的にニールみたいな人は超苦手です。
このゲームの主人公、マイケルも最初は嫌そうだったなぁ。
レオニードには初期段階から好意を持ってたような感じでしたが、それに比べるとニールを相手に恋に落ちるのはかなり時間がかかりました。

マイケル本人も言ってましたね。
誰かを心配したり、面倒を見たりするのは得意でも、逆は苦手だ、と。
何かといえば家訓を持ち出す、あのチャらい台詞もうざったかった。私はスキップを多用してました。

…なのに。
なのに、好きになっちゃうんだなぁ、これが~~

まじめな話、ニールの設定って、主人公よりもずっと年上ですし、その上、牧師さんだし。
マイケルとどうにかなるなんてはっきり言って犯罪です。牧師としても神の教えにそむく大罪。
BLだからいずれはそうなるんだろうとは思いましたが、どうやったらそうなるのか、これはいくらなんでもかなり無理なんじゃないかと思ってストーリーを見ていきました。
でも、ニールver.でもちゃんと最後の最後にはそうなります。
それも不自然ではなく。ああ、これならありかなぁと思える。これはすごいことです。

ニールが孤独な身の上であることは、伏線がいくつかありますからなんとなく察することはできました。
ただ、それに対する同情心は私にはなかったな。
というか、同じ身の上である共感からそうなるのでは、私はきっと納得できなかった。

私自身がニールを好きになる流れというのは、彼の生き方の根底を形作る、「身軽さ」でした。
何事にも深刻にならない。いや、なってるのかもしれないけれど、それを絶対に人に見せない。
いつも前向きで明るい。
それが結局、絶望の淵にあったマイケルを救っています。

彼自身も地獄も見た。辛い思いもした。けれど人間が好きで。地の底にあっても基本的な信頼を失わない。
「基本的な信頼」、もしかするとそれがある意味「信仰」というものなのかもしれなくて、その「軽さ」の上にある強さは尊敬に値します。

…「年齢」じゃないよな…これって。
どうしたらこんな大人になれるんだろう?

私はフィクションの世界でしかこういう大人に会ったことはありませんが、できるなら自分がそういう大人になりたかったなぁ。そういう意味で、ニールという人は自分とは対局にあるんだけど、「憧れ」の存在なんですよね。

私はマイケルがニールと恋に落ちる前から彼を信頼していました。
だからニールver.では、預言者ゲームでもこのシナリオ中で初めて当たるはずのない預言をしてみました。
でもそれでは悲劇は防げないのですけども。

その結果、マイケルはわざと罠にはまる選択をせざるを得ません。
かくて「愛する者を手にかける」預言は発動し、マイケルは終わることのない幻覚に悩まされることになってしまいます。

そうなった後も、ニールは預言の発動の阻止のために最大限の努力をし、発動してしまった後はマイケルを救うために大芝居まで敢行。
まあそりゃそうだよなぁ。マイケルをこの事件に巻き込んだのはあなただだもの。
大人の責任として彼はマイケルを守り切り、ルシフェルを追い詰め、無事、秘密結社は壊滅、ただし、神学校の信頼は地に落ちて、もしかすると彼のミッションは失敗?というオチとなります。

そもそも、なぜ彼はこの仕事を引き受けたんでしょう。
作中では少し触れられる程度ですが、恩のある人に頼まれちゃったから仕方なく、という感じなんでしょうな。
だからミッション自体には失敗しちゃっても
「しょーがねーだろ」
の声が聞こえてきそうな気がします。

本当はやりたくないことでもやらなきゃいけなくなったらやる。
で、やったことの責任は最後まで自分で取る。
そういうところがまさに「大人」。私自身も大人だからその辺もとっても共感してしまいます。
ただしそんな大人の彼の、唯一の誤算が、そう、マイケルとのことでして。
それが本当に「誤算」ぽく、ついつい、「やべぇ」だとか「やっちまった」とかぼやくところがなんともおかしい。
ああ大人でも失敗することがあるんだなーなんてね。

最後の最後もニールは予測を誤ります。
まさかあんなことになるなんて、彼は予想もしてなかったでしょう。
でも…人智の及ばないところで起こる奇跡、それを私達は「神」と呼ぶ。
不良っぽくて軽く見えるけど、実は誰よりも敬虔な牧師であるニール・ローウェルの身の上にもたらされるソレこそ「神の恩寵」という言葉がぴったりだと私は思いました。

台詞にはありませんが、私は、きっとあの二人はあの後、神に感謝したんだろうと思っています。
再び巡り会うことができ、結ばれたことにね。

というわけで、ニールver.のシナリオが大好き、ニールが大好きでしょうがありません。
ニール風にいうなら「やべぇ」って感じです(笑) ホントにやられました。
レオニードよりもニールが好きになるなんて思ってませんでした。

すごいわ、このゲーム。

本日、全てのシナリオをコンプリートしてしまって、明日からがさみしくなってしまうのが心から残念なのですが、ホントに楽しかったー。

もちろん楽しいだけではなくて、「神」の意味について各シナリオでそれぞれの答えを描いているのには感動を通り越して感銘を受けました。

私自身の問題としてもとても考えさせられたな。
私はキリスト教の信者ではないし、その意味では一番近いのはレオニードなんですけど、他のシナリオでは、レオニード以外の各登場人物の考え方にも共感できます。たとえばニールについては上に書いたような感じでね。
いろんな意味で、一生忘れがたい作品になったことは間違いありません。

このゲームを作ってくれた人たちに心から感謝します。ありがとう。

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2011.10.20

我が青春のドラゴンクエスト

 誕生25周年記念ということで、今、東京の六本木で「ドラゴンクエスト展」をやっているのをご存知でしょうか。

 ホームページはこちら

 私、任天堂DSを持っていないし、そもそも携帯のゲーム機ってあまり必要を感じないので、Ⅸだけはやってないのですが、それ以外のシリーズは全てクリアしました。

 もともとは大学生の頃、中学生のいとこに借りたⅡが最初。そのあと、ⅠをやってⅢをやって・・・あとはもうずーっと。ちょうど青春時代と重なってるのですよねぇ~~

 ドラゴンクエスト、大好きです。
 
 見ていると、自分がそれをプレイしたときの思い出が一つ一つ蘇ってきちゃう。
 今回、ドラゴンクエスト展で、ⅠからⅩまで紹介されていて、会場ではちょっとだけプレイとかもできたりしたんですが、懐かしいったらありゃしません。もうね、すぎやまこういちさん作曲の音楽聞くだけでわくわくしてくるし、鳥山明さんデザインのモンスター原画がまた素晴らしくて、よくぞほんとあれだけのモンスターを考えられるものだなぁと。みんな、ひとつ、ひとつ、思い入れがあるんです。

 会場で、自分が勇者になって竜王をやっつけるイベントなんかは、もういい年の自分としては気恥ずかしくて、できればパスしたい感じでしたが、その他、数々の展示品には、胸が締め付けられるようでした。

 この展示会があるからというわけでもないのですが、つい最近、Ⅷを最初からプレイしたりもしまして。
 ちょっと3Dに酔いそうになったりもして、ゲームもそろそろ引退かなぁとは思ったのですが、結局、Ⅷはまたクリアしちゃいました。
 シナリオをほとんど忘れていて、初めてやるゲームみたいな感じもしたので、ちょっとお得だったかも。

 ドラゴンクエスト・・・そう、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今、Ⅹの発売が予定されています。
 Ⅸは冒頭に書いた理由でプレイしませんでしたが、Ⅹはやっちゃうかもなぁ。wiiなの? しょうがない、久々にハードも買うか・・・

 写真は、自分にお土産を買ってきました。スライムマグです^^

Photo


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2006.11.08

リュードが好きです♪

 「バテンカイトス」というとあるゲームの登場人物に「リュード」という名前の青年がいます。
 ヒーローでもヒロインでもなく、いわゆる、いっしょに旅をするパーティの一員。
 簡単に書くと 「帝国」という私利私欲だけに走る皇帝に支配された国があって、彼はその国の軍人でエリート階級の出なのですが、帝国に反抗的なある村の掃討作戦に反対したことで、地方に左遷されてしまいます。
 そして、彼は、結果として、左遷先で出会った主人公を始めとする仲間達とともに、自分の国を敵にまわして、戦うこととなっていくのですが。

 私は、最初の頃から、このリュードという青年が好きでした。

 このゲームを私に勧めてくれた友人曰く、「リュード」はこのゲームの中ではあまり強くなくて、それなのにセリフは強気で、このゲームのファンの間では「ヘタレキャラ」として名を馳せているとか(笑)。
 そもそも、ゲームのストーリーの中でも、敵国の人間なので、主人公からは最初、スパイなんじゃないかと疑われ、後半では自分の国を滅ぼした裏切り者と言われます。本人も、そうして疑われ続けることを気にしてますし、要は態度のはっきりしないところがあるが故に「ヘタレ」に見えちゃうみたいです。
 でも私は、勧善懲悪のストーリーにあるような「正義の味方」なんてうそくさいと思うし、まあ理屈はともかく、リュードの強気なセリフがなかなか気に入っていました。

 そしてゲームの進行は終盤に入り。いよいよ最終決戦がせまってきました。
 リュードのストーリーもそろそろ締めです。
 
 リュードの故郷である「帝国」はいろいろありまして、皇帝が死に、崩壊してしまいました。大勢の人間が犠牲になり、リュードの場合は身内の人間も亡くなってしまいます。
 自分は正義と信じて戦ってきたけど、けして自分の国を滅ぼしたいわけじゃないかった・・・
 リュードは悩み、その「心の闇」につけ込まれ、そういう心の闇に巣喰う怪物に、闇の世界に引きずり込まれて戦うことになります。
 まあよくある話です。「ゲド戦記」や「指輪物語」の昔から、自分の中の闇と戦う話は、ファンタジーの王道。

 でも、、私はこのエピソードで確信しました。やっぱり私はリュードが好きだー♪

 なんというか・・・やっぱりこの世界には絶対的な正義も悪もないからなぁ。誰も君が正しいんだ、なんて言ってくれないんですよね。誰もが自分が信じる正義のために戦うしかない。

 帝国のエリート階級で、優秀な兄と姉の元で育ち、左遷なんかされたものだから一族の汚点として憎まれていた彼。左遷されてもそれなりにその土地を好きになってがんばっていたけれど、帝国の人間だからってあまりよく思われておりませんでした。

 どこへいっても自分の居場所がないようで。両方から疎まれて。
 仲間といっしょに戦うようになってからだって、何かというとすぐ疑われるし。
 
 もちろん、疑われたって何したって、気にしない、というのは一つのやり方です。仲間の中には、リュードと同じように元は同じように帝国側としてもっとえげつないひどいことをしたけど、今は同じ目的のためにいっしょに戦ってる仲間もいて。

 リュードが悩んだり迷ったりするのはおそらく、自分自身が、自分の正義を信じることができないからなのです。

 ・・・ふふ、でも、それが人間というもの。自分でさえ自分を信じることができないことは本当によくあることで。つまり彼は一番、「私」に近いのかもしれません。

 誰も自分のことを愛してくれないのなんてもうとっくに知っている。
 あきらめずにがんばってみたけど、認められなかったことだってあるでしょう。
 それでも・・・そう、それでも。
 何のためって、自分の正義のために戦わなきゃね。

 心理学の用語に「投影」という言葉があります。
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec14.html

 リュードががんばって、仲間といっしょに戦ったり、悩みを乗り越えたりする姿を見て、私が、「いいな」と感じるのは、まさにそれなのかもしれませんわ。

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2006.08.03

私にも学習能力があるんだなぁ~「ヤンガスと不思議のダンジョン」

 最近は、プレイステーション2の「ヤンガスと不思議のダンジョン」というゲームをやっています。
 私は、コンピュータゲームというとRPGオンリーなのですが、この「ヤンガス・・・」は、ゲームにまったく縁がない人でも名前だけは知っているであろう「ドラゴンクエスト」というRPGゲームの、シリーズのⅧに登場するキャラクターを使っていますので、珍しく手にとってみました。
 ゲーム通には「ダンジョンもの」と言っただけで、内容が分かるらしいのですが、簡単に説明すると、まず、迷路のような場所があって、そこにいろいろな宝物がある。主人公は、その迷路でいろいろな宝物を探す。
 基本的には、それだけが目的のゲームです。
 迷路には、うじゃうじゃと敵がいて、敵を倒しながら宝物を取っていくのですね。

 何が面白いんだ?ということですが、まあ、見たことのない宝物を見たり、見たことのない強い敵(モンスター)と出会い、それを倒したりするのが楽しいわけです。あまり突っ込まないで下さい(爆)

 RPGというものの説明が後になりました。
 RPGという言葉は、「ロールプレイングゲーム」の略で、言葉そのもののの意味はちょっと違いますが、コンピュータゲームの中のRPGとは、「主人公がゲーム中で成長していく」という設定で知られています。
 つまり、ゲームを始めた頃の主人公は、弱い敵とちょっと戦っただけですぐ死んでしまったりするのですが、何度も何度も戦う内に、しだいに成長し、強くなり、最後はものすごい強い敵にも勝利することができる・・・それがRPG。
 私は、最初に書いたとおりコンピュータゲームというとRPGしかやったことがないので、何度もプレイする内に、主人公は強くなっていくのが普通だと思っていました。

 ところが、この「ヤンガス」は違うんです。
 
 迷路に入って、敵と戦って、経験を積んでいくと迷路の中では強くはなるのですが、迷路を出てしまうと、また始めた時の状態に戻ってしまいます。
 ゲーム通の友達に言わせると「ダンジョンものなんだから当たり前」だそうですが、私にとっては、「えー、こんなゲームってありなの?」って感じでした。
 それでも、この「ヤンガスと不思議のダンジョン」というゲームでは、主人公のヤンガスは全く強くなりませんが、敵のモンスターと戦うと、その敵を、自分の仲間にできるというシステムがありまして。その仲間にしたモンスターは、迷路から出てもちゃんと成長したまま。迷路で経験を積めば積むほど強くなります。おかげで、主人公は弱いままでしたが、仲間達のおかげで、なんとかゲームをクリアすることができました。

 が、問題はここから。たとえば小説なら最後まで読んでしまえばそこで終わりですが、このゲームは、一度クリアしても、その後、さらに新たな迷路が現れます。今は、それをやっているところなのですが、なんと、その迷路は、仲間にしたモンスターも、武器も、道具も、何も持たずに、体一つで入らなければいけない迷路でした。

 迷路に入る → 敵と戦う → やっつけられる → 迷路の入り口に戻る → また迷路に入る →また敵と戦う → またやっつけられる → 入り口に戻る・・・エンドレス。

 なんなんだ、こりゃ、と。
 
 何度戦っても、敵にやっつけられて迷路の入り口まで戻されてしまえば、ヤンガスは全く強くならないですから、同じことの繰り返し。もう何度、この迷路に入り、入り口まで戻されたことか。

 さて・・・何も成長しないなら、全ては「徒労」。
 ここでみなさんに質問です。
 こういうゲームって一体何が楽しいと思いますか?(笑)

 迷路は地下1階からどうも地下30階まであるらしく。
 主人公のヤンガスは弱いままですが、最初は1階や2階でゲームオーバーになっていたのに、今は、がんばれば20階までいけるようになりました。
 何度も言いますが、ヤンガス自体は強くなってない。なら、なぜ最初は1階や2階までしかいけなかったのに、今は20階までいけるんでしょうか。

 それは・・・私が強くなってるんですね^^
 ヤンガスは強くなっていない。何度迷路に入っても、敵にやっつけられるたびに元に戻ります。
 でも、どうして失敗したのか、なぜそこでやっつけられてしまったのか、やっつけられないためにはどうすればいいのか・・・画面に数字となって現れたりはしませんが、プレイヤーである私はゲームをやった時間だけ経験を積んでいる。経験を積めば、同じ状況に遭遇した時に、どうすれば先に進めるかが分かってくるんです。
 罠の種類や敵の特徴を覚え、気を付けて進めば、0からスタートしても、いつかはきっと迷路の一番奥底までたどり着くことができる。「ヤンガスと不思議のダンジョン」というのはそういうゲームなんですねー。

 つまり、リアルRPGなわけだ。びっくり。

 ・・・いえ、すみません、普段いろんなゲームをやってる人には、当たり前のコトなんですが、普段RPGばかりをやりつけている私はちょっと、この発見にコーフンしてしまいました。
 そして。
 そうか、こんな私でもちゃんと日々、経験値を積み、成長してるんだなぁ^^と。

 RPGは、テレビの画面の中で、架空のキャラクターが架空の経験を積み架空の成長をしていきます。
 全てフィクションだから、それは小説を読むのに近く、現実のプレイヤーは何の成長もしていないわけです。まあ「遊び」というのは役に立たないからこそ「遊び」なんですけど。

 でも人には学習する能力があり。やればやっただけ、経験を積んでいく。
 すごいなぁと。この力があれば、もしかしたら・・・そう、もしかしたら・・・

 囲碁だって強くなれるんじゃないか!?(←それかよ)

 ちゃんと注意深く。罠を踏んでしまったら、次に踏まないためにはどうするか。敵の挟み撃ちにあってしまったら、そういう状況にならないためにどうするか。自分のHPを減らさずに、相手にダメージを加える方法がないか。その都度、しっかり考えて、二度と同じ失敗をしないようにすれば、最初は2階までしか行けなくても、30階まで行けるようになる。
 囲碁も、今は6級だけど、初段だって本当に夢じゃないかもしれない。きっとなれる時が来る。そう思ったら、なんだかとても勇気が湧いてきました。ありがとう、ヤンガス!

 というわけで・・・こらこら、そこの人。「囲碁もゲームじゃん」とか言わないように(爆)

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2006.05.02

ドラゴンクエストⅧクリアしました

「今頃かよ!」
というツッコミは置いておいて^^;
 ドラゴンクエストⅧのストーリーって、ストーリーが進めば進むほど、賢者の子孫と言われる人が死んでいき、悪の親玉の復活を手助けしているようで、どうにも最後までクリアしようという気がなくなってくる展開だったんですもん。
(これ以上、人が死ぬのは見たくない・・・)
 と思い、ゲーム途中でほったらかしにしておきました。しかし、中途半端もちょっと、ということでやっとこさ、クリア。予想したとおり、ストーリーが進行するにつれ、事態がどんどん悪化していくのですが、最後に勝てばノープロブレム・・・って、こんなんでいいのかなぁ?

 終わってみれば、「世界を救い、お姫様と結婚する」。ストーリー的には王道の中の王道。
 昔はこれに感動したんだっけ・・・

 この間、清里に行った夜に、宿にミヒャエル・エンデの「モモ」が置いてあったものですから、お借りして、パラパラとベッドに寝転びつつ読んでいました。その中で、モモが時間泥棒から「お人形」をもらうシーンがあります。そのお人形は、とてもよくできた「しゃべる」お人形でした。でも、下手に喋るから、会話を想像したりしていっしょに遊べない。想像の余地がない。

 もしかしてドラゴンクエストもそうかも。昔に比べると格段に進歩したグラフィック、詳細になったキャラクター設定。逆にそれが想像の余地を少なくしているのかもしれません。
 RPGでも、小説や映画やドラマ、他のどんな作品でも、それを「PLAY」する人たちに、どこまで感情移入をしてもらえるかでその物語の良し悪しは決まってくるような気がします。敵とひたすら戦って勝ってレベルを上げていく。それだけじゃね・・・
 
 でも、昔よりも小さなことに感動できなくなってるのかな。ちょっと、それだけは心配です。

        パサパサに乾いていく心を/人のせいにはするな
                 (茨木のり子「自分の感受性くらい」より)

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2006.03.16

「プラス・X」

 ハンゲームというゲームサイトの中の、「ミニハンゲーム」という一人で遊べるゲームの中に「プラス・X」というゲームがあります。
 非常に単純なゲームでして。
 画面上に1から9までの数字のパネルが散らばっており、その横に、たとえば「11」とお題がでます。
 お題の数字を見て、画面上の数字のパネルを、足して「11」になるように複数個、クリックすると、そのパネルが消える。
 どんどんパネルを消していって、なるべく早く全てのパネルを消すというゲームです。

 これね・・・やり始めるとはまってしまうのですが、やってて、つくづく
「私って頭悪いなー」
 と思ってしまいます^^;
 いや、囲碁で整地したあと、地を足し上げる計算さえ暗算でできないので(当然目算もできない^^;)数字に弱いのは分かってはいたのですが・・・逆に、数字に強い人は、こういうゲームがカンタンにできるのだろうと、「あなたの知らない世界」を垣間見た気になるわけです。

 たとえば「11」。足して11にするパターンというのはたくさんあります。
 1+9+1 でもいいわけですし
 6+5   でもいいわけです。
 7+4   でもいい。
 
 1から9までのパネルは最初はたくさんありますが、消していくと当然、目の前にあるパネルの数が少なくなってくる。
 たとえばもう残りが4と5と8と2と7しかないときは、「11」とお題が出た瞬間に、数ある、足して11になる選択肢の中から「4+7」を選び出し、パネルを消していないといけないのですね。

 いかがでしょ。そういうゲームだったら自信あるっていう人いますか?

 私は、全然だめですねー。たとえば「20」というお題だと真っ先に浮かぶ選択肢は、次のどれですか?
 (パネルに10はありません)

1 5+5+5+5
2 (9+1)×2 ←「×2」というパネルはあります
3 (5+5)×2
4 7+3+6+4
5 8+2+1+9
6 8+6+6
7 それ以外   

 私はいつもパネルを消す時に、20という数字を「10と10」というふうに分けて考えています。なので、大体1番から5番くらいまでの発想になるのですが、パネルの数が少なくなってくると選択肢が限られてくるので、いつもの発想をしていると、なかなかお題の数字にならなかったりします。
 「20」と示されてすぐに6番を思いつける人っているかなぁ。または、

  9+7+4

 とかって。いかがでしょうか?

 私はできないけど、こういうのがパッと出来る人は世の中にたくさんいるんだろうなーと思うと、つくづく自分って頭悪いなーとね^^; でもそう思いつつ、ちゃんとクリアするまではやりたい!ってつい何度も挑戦してしまいます。・・・いや、全部パネルを消すまでの時間は実は決まっていて、決まった時間内に全部消すことができないと、失敗なんですよ。以前調子のいいときはできたこともあるのですが、最近は全然クリアできない^^;

 自信とお時間のある方はぜひ一度挑戦してみて下さい。

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2006.03.08

こどもとおとな

 ハンゲームというゲームサイトで、自分の家(というか部屋)を作った、という話をこのブログにもちょこっと書きました。
 最初はフローリングと白い壁しかない部屋なのですが、そこに自分の好きな家具や観葉植物やインテリアを置き、自分のお気に入りの空間にデザインしていく、という遊びなわけですね。
 私、今、これにはまってまして^^;
 当初は窓もなく、殺風景だった部屋も、次第に自分の居心地のよい空間と変わりつつあります。
 このサイト上に部屋を持っている方は、たくさんいらっしゃいまして。他の人の部屋も自由に見学することができます。いろいろ見て回るのも楽しいですね。かわいい部屋、くつろぎの和室、ペットがいっぱいいる部屋(ペットも飼えるんです)それぞれ、みんな特色があって素敵です。

 が。前も書きましたが、家具や観葉植物、そして床や壁のデザインまで、部屋を飾るアイテムの一つ一つは、基本的に全て有料。リアルにお金がかかるのです。
 もちろん、額的には100~300円、一個一個は駄菓子程度のお値段なんですが・・・
 たとえば、テーブル、ソファ、窓、カーテン、照明器具、ベッド、テレビ、観葉植物。それに、かわいいぬいぐるみ、床にはじゅうたん、壁の色もちょっとおしゃれにしよう、なんてことになると、一部屋につき、ざっと2000円くらいかかるわけです。
 で、「ハンゲーム」の商売のうまいこと、一人が今は5部屋まで持てることになっていまして、5部屋全部を充実させようとすれば1万円。
 こうなるととても子供の遊びでは収まらなくなります。ゴージャスな部屋を持っている方々を拝見すると、あきらかに子供じゃありません。そこに落とし穴があるような。

 私らオトナは、一回、飲み会にいけば6000円くらいかかりますし、パチンコに行けば1万円くらい使ってしまう人もおそらくざらでしょう。それに比べれば安上がりな娯楽ではありますが、ネットのゲームサイトの土俵には子供も大人も平等に存在します。自分が白い壁と床しかなくて、隣の家がゴージャスに飾り付けられていれば、子供だって自分も欲しくてたまらなくなる・・・
 ハンゲームのサイトには、だから、子供の物乞いがいたりします。
「アイテム下さい」とか「コイン下さい」とか、親しくもないまったくの他人にいきなりメールを送ったりしてひんしゅくを買っています。無論、誰もあげたりしませんが。そういうのを見てるとちょっと心配になります。
 
 子供にそういうサイトに「来てはいけません」とは言えませんが、なかなかこれは教育上よろしくないかもなぁ。リアルの世界では大人は大人、子供は子供、見た目で分かりますが、ネット上ではそれが分かりませんしね。私がもし親だったら、自分の子供にはハンゲームサイトには出入りさせたくないです。ネット上の部屋を飾りたいからって、5000円ちょうだいなんてねだられたって、絶対あげません(爆)。
 ・・・うーむ。子供にやらせたくない、と言って自分がやってる遊びって。ある意味、あまりたちがよくないのだろうか^^; でも、楽しいんですよぉ~(こらこら)

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2004.12.21

まだドラクエ、やってません^^;

 ドラクエ8とPS2を買ったまま、未だにほったらかしです。2005年になってからやろうかな。友達はそろそろラスボスだそうです・・・

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