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2017.10.26

落ちたら死ぬの?

今回の選挙ではなくて、以前の選挙のときの話ですが、私がいつも使う駅に立ってがんばっている候補の方がいました。
残念ながら、私の選挙区の立候補者ではなかったのですけど、政策を読んでみたらとてもよかったので、その人のツイッターに応援している旨のコメントをしました。
確かそしたら「がんばります!」という返信もあって、ますますファンになり、選挙結果にも注目していました。

ところがその候補者はその選挙で落選しちゃったんですよね。
残念に思った私は励ましのメッセージを送りました。
「(落選しても)あなたの取組を応援している。選挙には落ちてもめげずにまた地域でがんばってほしい」
そしたら、それに対する返事はこんな感じでした。うろ覚えなので正確ではないですが。
「選挙は結果が全てです。落選してしまって申し訳ない」

そのとき違和感がありました。
え? あなたのやりたいことって政治家じゃなきゃできないの?
いや、もちろん政治家だからできることはあるけど、政治家じゃなくたってできることはたくさんあるはず。
そういう地道な活動が認められて、次の選挙の当選につながるんじゃないの?

そういう違和感はもうその候補には伝えませんでしたが、なんかがっかりしちゃったんですよ。
所詮、政治家になりたいだけなのかよって。
思いも志も一票を入れてもらうためだけのリップサービスなのかいな、と。

いえね。
今回の選挙でも思うんですよ。
希望の党の議員達が、小池さんのせいで「○人の仲間が死んだ」とか言ってるらしいじゃないですか。
死んでないでしょ? 生きてるでしょ。
政治家じゃない人間は死人ですか?と。

たとえば会社員であれば、会社を首になれば家族ごと路頭に迷います。
議員も議員じゃなくなれば、明日から生活に困るんですかねぇ?
てか、そもそも生活のために議員やってんの? なんかそれもすごい違和感。

政治家だろうと政治家じゃなかろうと日本をよくしようとがんばってるんじゃないのかな。
もちろん、綺麗事だけではなかなか選挙に勝つのは難しいのかもしれないけど、落ちたら落ちたで、また捲土重来を目指すのが政治家でしょ。
馬鹿じゃないの?

まあ、選挙で当選したいからって沈みかけた舟である民進党から即席の希望の党に行った人達だから、よっぽどの単純馬鹿か、「前原代表がそう言ったから」っていう人任せの能なしか、そもそも民進党が嫌いで保守に行きたくてたまらなかった人達ですから、醜態をさらすのもさもありなんですが、自分達でその見苦しさが分かってないっていうのが絶望的。

今回、落選した埼玉一区の希望の党の候補者は(上に書いた人ではありません)、また駅立ちから始めるとツイッターに書いてました。
大丈夫、あなたはまだ死んでない。
あなたが本物の政治家なら、またいつか必ず政治家として活動できる時はきます。がんばれよ。

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2017.10.04

立憲主義とは

◇立憲主義とは?
(引用開始)
政治権力の専制化や政治の恣意(しい)的支配を憲法や法律あるいは民主的な政治制度の確立などによって防止・制限・抑制しようとする思想原理。
(引用終わり)
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

これって確か小学校でそう習ったなぁ。

専制政治とか独裁主義に対抗する概念です。
ナチスドイツのユダヤ人虐殺があった第二次世界大戦の反省を踏まえ、総理大臣でも誰でも、権力を私物化し、恣意的に使ってはならないわけで、そこに法の歯止めを設けるってこと。

ネット民は枝野さん達を「社会主義」だと揶揄するけど、安倍さんや小池さんのように自己の思いや信念や好き嫌いだけで、議会を軽視したり、勝手に政治をやられたら困る。
たとえ議会がしらがみや足かせであっても。
ネット民は、上から目線で一般大衆を馬鹿にするけど、それは自らに跳ね返る話だと分かってるんだろうか。

モリカケ問題にしても法に基づいた運用だったのかということ。
問題がないならそれでいいわけで。

トランプがアメリカファーストを主張して大統領になってしまい、北朝鮮が武力によって周辺諸国を従わせようとしている昨今では、憲法前文が理想でしかなく形骸化してしまったのは分かるんだけど、武力による「専制と隷従」は最終的には世界から消え失せるべきだと私は思っています。
恣意的に権力を振るう政治家の登場を私達は許してはならない。

まぁ、知事はいいんですよ。それこそ特区的な意味合いでの地方自治。時にはユニークで個性的な知事がいてもいい。
小池さんは東京都知事だけしててくれればいいんじゃないかな。都民がそれを選んだのだから。

でも、首相はだめ。立憲主義なんだから、もし何かやりたいことがあるなら、法律を変えるために議会の承認を得る必要がある。
安倍さんは危ない。戦前の日本を取り戻そうとする思想がまずい。日本に誇りを持つのはいいけど、教育勅語復活を本気でよいと思っているなら時代錯誤。
そういう右派な保守が、政治の実権を握っているとしたら危険です。

強い日本も危険。
アメリカに守られているだけで自分達は戦わないのが卑怯だとしても、では日本も軍隊を持って、徴兵して、戦争ができる国にするのがよいのか。
日本も核武装が必要なのか。
何もしなければ、北朝鮮からミサイルを撃ち込まれて日本が滅ぶというのが仮に真実だとしたって軍拡競争の果てだって破滅しかない。

日本も核武装が必要だというのが日本人の総意なら従うしかないのかもしれないけど、ちゃんと国会で議論して欲しい。それが立憲主義。

少なくとも、数を頼みにした、手前勝手な自己都合解散は立憲主義じゃないよ。

現安倍総理が北朝鮮やアメリカと、日本の顔として対等に渡り合うために必要だというなら、それはそれでもいい。
でも自民勝ちすぎはよくない。
衆議院には、ちゃんと内閣の動きをチェックすることのできる勢力が必要です。

旧民進党の、希望の党から排除された人々に貼られたリベラル派というレッテルが「社会主義」だとか「親中」だとか言われるとちょっと鼻白むところはあるんだけど、「立憲民主党」という党名は私は気に入っています。
政権交代は望んでない。
ただ、専政にはNOを。自民党にやりたい放題させてはいけない。

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2017.09.27

給食はなぜカフェテリア方式にならないのだろう

「教師による給食「完食」指導で小学生5人が嘔吐 そこまでして「好き嫌い」をなくす必要はあるのか」

今日はこの記事について。

思い起こせば小学校の「給食」は私にとっては鬼門でした。
食べられないものが多くて。

偏食の原因は、今にして思うと、母がそもそも炊事が苦手だったことにありそうです。
子供なんて転がしといても育つと思っていた節もあり、要は子供の食事にあまり意識が高くなかった。
家の食事は決まったものしか出なかったんですよ。
だから、給食では、初めて見るような食べ物が多くありました。

初めて見るったってたいした話ではありません。
そもそも自宅では、生野菜サラダって出たことなかったんです。
マヨネーズも嫌い、酢の物も嫌い、ドレッシングも嫌い。
なのに、給食って「○○の酢の物」や「△△のマヨネーズ和え」がよく出るんですよねぇ。
食べられなくて泣きそうでした。生のトマトも食べられなかったし。
納豆も家では当時、食べたことなかった気がするなぁ。

ということで、食わず嫌いが多く、食べてみたところで美味しいと思えず、給食は「苦行」でした。
小学校入りたての頃は食が細かったので、パンも食べきれなくてよく残して、家に持ち帰ったりしていました。

そういった体験から、私は給食の完食指導には否定的です。
しかし、じゃあ残せばいいのかというとそれもどうかと思う。

食事というのは、他の命を奪って自分の命をつなぐことですから、基本的に食べられる分だけをとって食べるべきで「残す」のはよくない。

給食を出して残されるくらいなら、給食廃止、弁当持参、といいたいところですが、これも自分の体験上、家での食事がそもそもまともでなく、弁当なんてもってこられない子もいるし、用意できない親もいますから、お昼は家に用意させるわけにはいかんのだよなぁ。

カフェテリア方式にできないもんですかね。
食べられるものだけ取らせる。取ったら残さない。
学食や社員食堂みたいに給食もできないものか。
マクドナルドとか、そういう子供向けカフェテリアやらないかしら。

アメリカではそういう形式だというのを以前テレビで見ました。
お菓子やデザートコーナーが充実していて、子供がそういうのばかり取る、なんて問題になっていました。

でも、そここそ教育なのでは。
野菜やタンパク質もとらないといけないよ、っていうのを学ばせる。
で、自分で取らせる。取ったら残さない。
それでいいんじゃないかなぁ。

自分で選べない1、2年生は「お子様ランチ」みたいな感じでいろいろ載ってる一皿メニューでもよいかも。
3年生になったら自分で選べるんだったら、みんな早く3年生になりたいと思うだろうな。

未だになぜ「給食」なのが非常に疑問です。
マクドナルドでもワタミでもファミレスチェーンでも吉野家でも参入して、カフェテリアにしちゃえばいいのに。

カフェテリアといっても、料金は月額一律で何を食べても定額がいいと思います。
それだとカフェテリアというよりバイキング形式か。

「給食&バイキング形式」で検索すると実例もあるみたい。

給食を残す子がほとんどいない保育園

ほう、この記事によれば、なんと、保育園の子も自分で食べるものを自分でちゃんと決められるんだ。
じゃあ、1・2年生もできる。
リンク先はちょっと前の記事ですが、今もやってるかなー。
こういう保育園理想です。

20世紀から21世紀になって、文明も進んだはずなのに、未だに進歩しないものっていくつもありますが、給食もその一つ。
未だに何やってんだって思います。

思うに、たとえば医療の電子カルテとかもそうですが、半分「公」で制度の縛りがあるものってホント、なかなか進歩しないですよねぇ~
変えてはいけないことも世の中にはあるのですが、給食は変わって欲しいものの一つ。
未だに、私が過去、苦しんだ「完食指導」なんてやってんのかと思うと、半分、呆れてしまいました。

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2017.05.03

『日本を守る』組織は軍隊である必要があるのだろうか。

 本日は5月3日、憲法記念日です。

 安倍総理が、2020年までの憲法改正を目指していると表明しました。9条を改正し、自衛隊の位置づけを明確にするそうです。

 やはりそこなのか…
 新聞に自民党が以前作った改憲草案が出ていましたが、天皇を「元首」と位置付けたり、日の丸、君が代が国旗、国歌であることを明確にしたり、その辺もちょっとなぁと思ったのですが、その草案からまた変わる可能性があるので今はおいとくとして。

 以前の草案では、自衛隊は「国防軍」として明記されています。

 そうか、軍隊になってしまうのか。

 私は自衛隊の仕事ってめちゃめちゃ大事だし、災害のときなどに組織的に動ける存在があることは、とかく災害の多い日本国にとって必要不可欠だと思っています。

 それが自衛隊だと思っていて、自然災害だけでなく、テロとか、北朝鮮からミサイルが飛んできたりとかにも、対応する。とても大事な役割です。

 多分、それに反対する人はいない。

 いないんだけど…国防軍となるとちょっとなぁ。

 現行9条では

(前略)
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 となっていて、前段はいいとして問題は後段。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
 
 これよ、これ。「戦力」ってなんだって話だよなぁ。

 「交戦権」とは「戦争をする権利」だから、それも認めないのはよい。つまり現行憲法は、

『日本は国と国との紛争を解決するために武力は使いません。だから「軍隊」は持ちません。もちろん「戦争をする権利」なんて認めません』

 って言ってる。
 
 だから自衛隊は今のところ、実体はおいといても、表向きは「軍隊」じゃない。

 もろもろ災害の時に活躍する、警察とか消防署とか海だったら海上保安庁的な、昔の子供向けアニメ風にいうなら「日本を守るぞ」的な存在なわけです。

 軍隊じゃなくていい気がするけどなぁ。
 だって「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」なんでしょ?

 安倍総理もそこは変えないと言ってたもんな。

「日本を守る」じゃだめなのかなぁ。
 
 海外とのバランスなのかな…

 いえ「戦争」はね、だめだと思う。
 勝てばいいってもんじゃない。
 「国際紛争を解決する手段」は戦争以外にもあるんだし、逆に、戦争すれば解決できるのかといえば、力での解決は力で覆される。それが20世紀だったわけで。

 二度の世界大戦で日本のみならず、ヨーロッパだってアメリカだってロシアだって懲りたんじゃなかった?
 ロシアあたり、懲りてない気はちょっとしますし、そもそもすぐそばの北朝鮮がオカシイので、ついつい丸腰でいるのが怖くなる心理は十分にわかるわけですけども。

 それでもなぁ。結局、力比べによる世界支配などナンセンスにすぎないと人類は悟ったんじゃなかったかなぁ。

 自衛隊には軍隊にはなってほしくない。
 今が違憲だっていうなら、半分すでに軍隊っぽいからそう言われてるわけで、じゃあほんとに「軍隊」にしちゃえ、じゃなく、「軍隊」じゃなくする方の選択肢はないのかなぁ。
 
 国を守るのが軍隊である必要はあるんだろうか。
 国を守るための銃器や地対空ミサイルの整備などは軍隊じゃなきゃ持てないのだろうか。持てないならそこを変えればいいわけで。

 まあでも、いくら兵器を増強してもきりがない。
 疑心暗鬼こそが人類の本当の敵なのでは。
 
 そのための歯止めとして・・・自衛隊を軍隊として9条で位置付ける改憲だけは・・・

 2020年か。まだ多分生きているな。なんとか避けたいよな。

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2017.04.27

#東北でよかった

今村復興大臣辞任という事態はありましたが、ツイッターでは、「東北でよかった」、このフレーズの意味を逆転し「#東北でよかった」というハッシュタグで、東北のよいところをみんなが発信しているとのこと。

ということで私の「#東北でよかった」を思い返してみると、とてもツイッターでは文字数が足りないことに気がつきました。

以下、私の「#東北でよかった」。

三陸の海は本当に美しい。
宮古市の浄土ヶ浜を初めて訪れた時は、まさに「浄土」のようだと思いました。
山田湾も最高にきれいでした。

新花巻からSL銀河で釜石まで。電車を見送る地元の方がみんな手を振ってくれたのがうれしかったな。

奥入瀬の緑は本当にきれい。静かな十和田湖はヨーロッパの湖水地方のようです。
十和田市の現代美術館、面白かったな~ おすすめ。

以下、忘れられないものをランダムに…

強風の津軽、階段国道
下北、風間浦のマグロ、ウニ
弘前のリンゴ畑
酒田の花火
田沢湖も美しい
仙台は緑いっぱいで賑やかで大好き。

南北三陸鉄道ローカル線の旅
気仙沼からのBRT
大船渡の屋台村
陸前高田の一本松
気仙沼の海の市
南三陸の防災庁舎跡
石巻市の大川小学校跡
猫の島、田代島
登米の木造小学校
伊豆沼の蓮
秋保の緑水亭
日帰り温泉「一の坊」
弘前のレストラン山﨑、リンゴの冷製スープ
仙台七夕
大河原町の一目千本桜
蔵王のスキー
みちのく湖畔公園
定義の三角油揚げ
岩沼の千年希望の丘
松島の初日の出
閖上さいかい市場
南三陸町さんさん商店街のウニ丼
松島のかき小屋でのカキ食べ放題
宮古のとれたてのホヤ
山田町の牛乳瓶ウニ
大船渡黒船の秋刀魚だしラーメン
陸前高田の夢の樹バウム
大船渡のかもめのたまご
おかせいの女川丼
釜石の海まん
宮古のイカ王子
気仙沼のさんまくん
高政の笹かまぼこ
ひょうたん揚げ
ずんだシェイク
喜久水庵の生クリーム大福

・・・うーむ、いかん、キリがない・・・

東北はホント素晴らしい。おいでよ、東北。

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2017.04.02

経験は時に判断を誤らせる

平成29年3月27日に栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場で高校生ら10人以上が雪崩に巻きこまれ8人が死亡するという事故が起きました。

高校生達は、25日から2泊3日の日程で、栃木県内の7つの高校から山岳部の生徒ら51人と引率の教師11人、あわせて62人で、春山安全登山講習会に参加していたとのこと。

スポーツ庁は昨年11月、高校生の冬山登山を原則禁止とする通知を各都道府県に出していたそうですが、この講習会は50年以上続いている恒例の研修だったようで、講習会としては「春山」なので、この通知の対象ではないという認識だったみたいです。

事故の起こった当日は天候が悪く、本当は登山の研修だったのを変更し、スキー場での「ラッセル訓練」という雪をかきわけて進む訓練にしたのだとか。

訓練だからだと思いますが、スキー場自体は今季の営業は終了しており、営業中であれば実施する雪崩防止の措置も取っていなかったのこと。
おまけに、事故の現場はスキー場の敷地外であったことも判明しました。

事故が起こってから検証すれば、当日は雪崩が起きやすい条件が揃っていたことや、死亡した8人が位置情報を知らせるビーコンをつけていなかったことなど、どんどん「このときこうしていれば」という情報がでてくるんですけど、多分・・・

・普通、研修でビーコンをつけることはない
・春山だし、スキー場だったから、安全に問題はないと思った
・そもそも過去、こんな事故は起こったことがない

うーーーーーーん。
起こってしまってから「なんでそんな危険な状況で訓練をしたんだ」と言うのは簡単ですけど、もし自分が当事者だったら、どうしただろうと考えてしまいます。
思うのは、「経験が判断を誤らせる」ということ。
東北大震災の津波だってそうですよね。まさか、そんな高さの津波が来るとは誰も思ってなかった。
過去の前例なんて全く参考にならず、逆にそれに捕らわれてしまうことで最悪の事態を招く。

もう一つ、この3月には「てるみくらぶ」という旅行会社が突然倒産し、その旅行会社のパックで海外に行っていた旅行者が旅行の途中で、宿も予約が取れていない、帰りの飛行機もないという事態に巻き込まれたという話がありました。

「てるみくらぶ」も倒産してから振り返れば、かなり前から粉飾決算だったなど危ない情報がいくらでも出てくるんですが、日本旅行業協会正会員企業であり、実績もそれなりにあり、それでいて安いということで人気の旅行会社だったようです。私は使ったことなかったんですけど。

私は旅行だと「クラブツーリズム」をよく使っていますが、クラブツーリズムが大丈夫かとはあまり考えたことがありません。「てるみくらぶ」のように安くはないですが、ネットで簡単に予約できるのが便利なので使っちゃう。
どんなものでもリスクって常にあるんですけど、普段はあまり気にしていない。それが通常の感覚だったりします。

難しいな…
どれだけ注意を払ってもリスクは0になることはない。
経験則から「まあ大丈夫だろう」と思ってしまうことも多いですが、雪崩事故のような最悪の事態、自分だけでなく周りの多くの人の命に関わるようなことになってしまったら取り返しが付かないので、「経験則」に頼る時もいつもそのリスクを考えていないといけないのかも。

そういう注意喚起の意味でも、もっとこの二つのニュース、報道して欲しいのだけどな。渡部謙の不倫報道なんかよりもね。

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2017.02.22

男性限定のメリットを考えてみた

霞ヶ関カンツリー倶楽部というゴルフ場は、女性は正会員になれないという決まりがあるそうです。
私はゴルフをしないので全く関係ない話だけれど、ニュースを見て不思議には思いました。

なんでそんな決まりがあるんだろう?
単に昔からそうだったということみたいですが・・・ちょっと考えてみました。

「男性限定」にすることってどんなメリットがあるのだろう。

女性と男性が同じ場所に混在すると、男性だけ、もしくは女性だけ、という場合よりもお互い気を遣うというのは確かにあります。

私は高校は女子校だったのですが、とても楽でした。
中学は共学でしたが、共学だと周りの関心が「○○ちゃんは△△くんが好き」とかそんな話ばっかりなんですよ。
私は当時、全くそういう色気のある話題に興味がなかったので、周囲についていけず、高校は女子校にしました。

女子校はよかったなぁ。
女子ってのは男子がいると何でも男子にやらせたがります。
群れのリーダーは常に男子。女子は一歩下がって、モブキャラに徹する。

でも女子しかいなければなんでも自分で決めなくちゃいけません。
面倒事も自分が引き受けなければ。
クラスのトップも女子ならばビリも女子。
その他大勢でいることが許されないというか、女子でも自分の主張をしっかりしなければいけない。
授業で指されるのも女子だしね。

男女共学の場では「汚れ役」は男子という暗黙の了解事項があったような気がします。
クラスの最下層も男子ならトップも男子。女子は真ん中くらいに固まってた感じ。

それまで私は男性がいる場ではなるべく気配を消していましたが、女子校だとそうもいかなくなりました。
それが嫌なんじゃなくて、なんかほっとした感じ。言いたいことを言えるし、自分の主張もできる。

大学はまた共学だったので、男性に全ておまかせできる世界に戻りそれはそれで楽ではありましたが、女子校時代はよい経験になりました。

今でも思います。
「女性だけ」or「男性だけ」と「男女混合」ではあきらかに何かが違う。

女性がいるとできない話題、男性がいるとできない話題、それぞれ実際にありますし。

通勤電車の女性専用はお互いにとってメリットですよ。
男性は痴漢に間違われずに済むし、女性は男性とぴったりくっつかずに済む。

ゴルフの場合、男性だけだとどういうメリットがあるのかはゴルフをしたことがないので分かりませんが、たとえば美人のキャディさんを同伴させて男メンバーだけでコースをまわったら気持ちいいだろうな、と私は女性ですが、思います。

そこにもし女性がプレイヤーがいて、そういう殿様気分を味わってるところを見られたらちょっと後ろめたいですけど、女性がいないのが分かってれば気楽ですよねぇ。

男性は女性に気を遣うし、気を遣わなかったら気遣いがないって言われそうだし、そりゃ窮屈です。
「男だけ」の場所もあってもいいじゃないか。ちょっと霞ヶ関CCのメンバーの気持ち、分かる気がする。

「女性限定」の旅行ツアーに私は参加したことありますが、とても楽しかったです。
食事がちょっとおしゃれなんですよ。量はないけど、その代わりにデザートがついていたりして。
旅行会社としても、男性と女性では喜ぶポイントが違うからそれぞれ限定にすると企画しやすいんじゃないかと思いました。

ふむ…差別じゃないな、これは。
単に、ここのゴルフ倶楽部は「男性が女性に気兼ねなくプレーできる」ことを一つの売りにしているだけで。
そういうサービスもあり、なんじゃないかなー。

以前、泊まったビジネスホテルのことも思い出しました。
そのビジネスホテルは大浴場があったんですが、男性限定でした。
男性の泊まり客が多かったから必然的にそうなってるだけで、私も女性用の大浴場もあるとよかったのに、とは思いましたが、女性の泊まり客はめったにいないそうなので、そのためだけに女風呂は作れないんだからしょうがない。

これも差別ではありません。
霞ヶ関CCの決まりはどちらかというこれに近いような気がしました。
そもそも正会員になれないのと、日曜は男性のみってだけで、女性が全くプレーできないわけじゃないのだし。

「男性限定」
「女性限定」
そして
「男女混合」
それぞれにメリットはある。いろんなサービス、いろんな楽しみ方があっていいと思うんだけどな。それを「差別」と言ってしまうのってどうなんだろう。

女性だけ、男性だけは気楽だけど、それを体験し、また異性のいる場に戻ってくると、改めて良さを実感したりも…しないかな。いかがでしょうか。

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2017.02.21

教育勅語って何だろう?

「教育勅語」って、このブログをご覧の皆様はご存知でしょうか?
なんでも園児にこれを暗唱させる幼稚園があるそうで。

どんなのかと思って検索してみました。

(引用開始)
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
(引用終わり)

意味がすっと入ってこない部分も多いですが、「朕」というのは明治天皇のことで、明治天皇が臣民に対し下されたお言葉、ということのようです。
ネットで検索すると現代語訳も出ているんですが、意識的に当時のニュアンスをぼやかしている訳もあったりして危険なんですよね・・・

何が危険かというと、これ普通に読むと、
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
これがこの文章のテーマだということが分かります。

何かことが起きたら「皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり、天皇のために仕えなさい、ということ。
まさにいわゆる先の戦争で、国土が壊滅し、日本人全員玉砕するまで戦えということになった思想の元、そのものです。

いろいろ賛否はあろうかと思いますが、私は戦後民主主義って、天皇のために一丸となって戦争に突っ走った事を反省し、「民」が「主」なんだよ、と。これからは天皇の御為、国の御為ではなく、私たちひとりひとりが主人公で、国民はみんな、自分の進む道は自分で決めていいんだよ、となったんだと思っています。

もちろんそうなったことで「自己責任」の名の下に弱者が切り捨てられたり、思いやりがなくなってきたりはあるのかもしれませんけど、それはまた別の話。

基本的な原則として、私達は一人一人、私達自身のために生きる。
それはすごく大事なことではないのかな。
それを今更、天皇のためにって。少なくとも今上天皇はそんなこと望んでないと思うんですよねぇ。

いや、分かりますよ。
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」
そりゃ大事だけれども。それを何のために為すべきかという大事なところで、当時のこの教育勅語は「天皇のため」って言っちゃってる。
これをまんま園児に暗唱させるのまずいっしょ。

園児には、
「家族やお友達とはいつもなかよくしようね」
でいいんじゃないかなぁ。

なんというか・・・「教育勅語」復活ってそりゃいくらなんでもまずいでしょう、という意見に対し「いやいや親を大事にしょうとかそういう当たり前のことがなぜまずいの?」って言われたら、そりゃ論点のすり替えに他ならず。

親を大事にしたり、勉強をしっかりやり、コンプライアンス(笑)も大事にする。

それらのことはそれはそれで大事なことなので、毎日唱えた方がいいならそういうのを新しく作ればいいとは思います。「教育勅語」はおかしい。

私は個人的に、日本国憲法前文を暗唱させたほうがよっぽどましだと思うんですけども。私、これ、好きなのよね。

(引用開始)

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

(引用終わり)

いや、現アメリカ大統領にしたら
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
なんてちゃんちゃらおかしいのかもしれませんが、これ、めっちゃ大事でしょ。

総理大臣や防衛大臣には就任の時に朗読していただきたい。
もちろん、公正と信義と信頼で安全や生存が保持できるわけない、との主張も分からなくないですが、現実には難しくてもそれを目指す努力はしなければ。

もう一つ、憲法から引用します。

第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

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2016.11.28

パンを踏んだ娘

「残酷」スケートリンク謝罪、中止に 魚5000匹氷漬けの上を滑る

今朝のニュースでこの話を目にしました。
聞いた瞬間に「なし」と思いましたけど、よく考えるとなぜ「なし」なのかがなかなか深いようにも感じます。

もし「氷の水族館」なんてのがあるとして「いろいろな魚たちが氷漬けにされた氷のトンネル」なんてのがあれば、それは「あり」のような気がします。
そもそも普通に水族館では、生きた魚を見世物にしているわけですしねぇ。
生きてない魚としては、魚の剥製もありますし。

死んだ魚で言えば、魚市場などには死んだ魚が山のように売られています。
切り身になっているのもあれば、そのままの形のものもあります。
それを見て「気持ち悪い」とか「残酷」とは思いません。

魚料理を出す料亭などでは水槽に魚が入っていて、それを取り出して目の前で活き作りにしてくれたりもしますよね。
踊り食いなんてのもあるしなぁ。
踊り食いまでいかなくても、私、アサリの吸い物を作る時なんてちょっと残酷だなぁと思いますけど。
アサリの酒蒸しも。生きてるアサリをレンジでチンでしょ?

そして釣り。魚をえさの付いた針でひっかけて釣り上げる。残酷なレジャーですな。

というわけなので、結局、魚が氷漬けされたスケートリンクがなぜなしかというと
「命を遊びに使うなんて」
とか
「殺すなんて残酷」
とかじゃないんですよね。

「足蹴にする」
これがまずい。

昔、萩尾望都のマンガで「パンを踏んだ娘」というのがありました(マンガのタイトルは「「白い鳥になった少女」)。
元々はアンデルセンの創作童話だそうですが。

主人公のインゲは美しいけれど、その美しさを鼻にかけたあまり性格はよろしくない少女。
ある日、もらったパンを片手に道を歩いていたらそこに水たまりがあったので、服を汚したくないインゲはパンを水たまりに落としてその上を渡ろうとしたんですな。

そしたら、そのままぬかるみの底に引きずり込まれてしまって、ずっと暗い沼の底で生きることになってしまう。
でもインゲはずっと、なぜ「たかがパンを踏んだだけで」自分がそんな罰を受けなくてはいけないのか分からなかった。

そんなインゲの話を聞いた人は皆が
「食べ物を粗末にするなんてなんとひどい娘だ。罰を受けて当たり前だ。ざまあみろ」
と思い口々にインゲを批判します。
でもそんな中、一人の小さな女の子だけは「インゲがかわいそう」と涙を流します。

インゲが自分がしたことの罪を悟ったのはその瞬間でした。

何百、何千の人にそしられ、ののしられても、
「パンを踏んだことの何が悪いのよ。ふんだ」
と思っていたインゲがその少女の涙を見た途端に考えが変わる。

ちょっと不思議ですが、もし自分がインゲだったらと想像してみると、なんとなく理解るような気もします。

自分が憐れむべき存在なのだということ。
自分のしたことをその少女の目線で見ることができたこと。

そして、インゲは沼の底から出ることができるわけですが・・・

そのくらい、つまり「足蹴にする」のは罪の重いこと。
なぜそう感じるのか不思議ですけどね。理屈じゃないのかもな。
余談ですが、人々がインゲのことを口々に噂して批難するところも、今回のニュースと被りました^^;

小野不由美の「十二国記」のエピソードも思い出しました。
主人公の陽子は、一国の王になったときに最初に出す命令「初勅」で「伏礼」を廃止しました。
伏礼とは、相手に向かって地に頭を付けて拝礼すること。
そのたびに人としての尊厳とかいろんなものが踏みにじられていく。
陽子は「人は誰の奴隷でもない」と言います。民のみんなに王になって欲しい、と。その証として「伏礼を廃す」とね。
かっこよかったな。

魚を氷漬けにすることや、生きてるor死んでる、が問題なのではないみたい。
それをスケートリンクの下に埋めて、人がその上を滑る。
それがまずいんですな。

魚でもパンでも人でも踏んではいけません。

蹴ったり踏んだりしていいものは…そうねぇ、サッカーボールくらいですかねぇ。
あとは缶蹴りの時の缶くらいか。
それ以外のものは大体、踏むと親に叱られます。

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2016.11.10

反グローバリズムとは

あるところに小さな村がありました。
その村に住む人はみんなが自分の家の前に小さな畑を持っていました。
みんな、自分の食べるものは自分の畑で作って暮らしていました。

ところがある日、住民の一人、Aがこんなことを言い出します。

「ねえ、おれたちってさ、みんながそれぞれ自分の畑で、芋を植えたり、野菜を育てたりしているよね。
 こういうのってさ、分担決めて、たとえば

Aの畑 芋
Bの畑 豆
Cの畑 キャベツ
Dの畑 大根

って、自分の畑では担当の作物だけ育てた方が「効率的」なんじゃね?
いろんな作物を自分の畑で作るよりも楽だと思うんだよね」

みんなはそれを聞いて「そうかもしれない」と思ったので、担当を決めることとしました。
確かにこれで少しみんなの仕事は楽になりました。
今まではチマチマ、1年中働かないといけなかったのが、自分の担当の作物だけを育てればいいことになったので。
作った作物はそれぞれ自分の畑で取れたものと交換して今までどおりいろいろな作物を手に入れることもできました。

ところが、ある日、CがBにこんなことを言いました
「Dの畑の大根ってうまくないよね。すかすかでさ。すっげーからいし」
Bも言いました。
「俺も実はそう思ってた。前に俺の畑で作ってた大根の方がめっちゃうまかったよ」

そこでBはこっそり豆畑の片隅に大根を植えて、Dの大根はもらわないことにしました。
Cも自分のところのキャベツをDとは交換せずに、Bに多めにあげてBが作った大根をもらうことにしました。

Dはキャベツや豆を譲ってもらえなくなりました。

そんなある日、Cの畑で青虫が大発生し、キャベツが全滅しました。
交換するものがなくなり、Cは飢え死にの危機に直面します。

Aは「困った時はお互い様だ。みんなでCを助けよう」と言い、Bも賛同しましたが、Dは自分の作物をCにあげることはしません。
別にキャベツなんかなくても生きていけますし。
Aは
「俺の言うことを聞かないと芋もやらないぞ」
とDを脅します。DはBがこっそり大根を作ってCとBで食べていたことをAに訴え、自分の正当性を主張しましたが、Bは大根を作っていたことを隠蔽し、Dの大根がまずいことを声高に言い始め、Dは畑仕事がへたくそだ、そんなヤツとはまともに取引するヤツが馬鹿だなどと攻撃します。

Aは困ってしまいました。
実はAもBが大根を作っていることを黙認していたのです。Dの大根がまずいことはAも分かっていたので。

AはDを説得するのをあきらめ、Dと交換する予定だった芋はCを助けるのに使いました。
そしてBが大根を作るのを認め、Aも大根をBからもらうことにしました。

激怒したDは、A、B、Cと縁を切り、独自で豆や芋やキャベツも作り始めることにしました。

・・・つまり「反グローバリズム」ってこういうことですかね。
いえ、トランプさんがどんな主張をしているのかと考えていたのです。

「自国の利益」だけを考えてたらいろいろ非効率だよねっていうのはよく分かる「理屈」です。

日本が自動車を作るのがうまく、アメリカでは穀物がたくさんとれるなら、それぞれ分担して、お互い、得意なものを交換すればいい。
アメリカと日本だけではなく、全世界で、物を交換することで、みんなが豊かになる。
それがグローバリズムの基本的な考え方なのだろうと思います。

でも、そうはうまくいかないのが世の理。
みんなが自分が他よりも得しよう、もうけようとすることで、
「なんだよ、あいつ、ちょっとずるいんじゃね?」
ってことになります。暗黙のルールは破ったら得をする。
それもある種の「パラダイムシフト」なのかもしれなくて、その繰り返しが文明を発展させてきたとも言えますが、ただルールはルールで、それを守らなくなることで大切な何かを失ったりもするんだよなぁ。

結局、今のグローバリズムの流れってのは、地球全体で見た時に、みんなが「自分だけ得しよう」としたら、資源は枯渇するは、温暖化は進行するはで、人類全体の命が縮むって話ですよね。
だから世界全体で協調しようよ、と。

トランプさんを大統領にしたアメリカ国民の主張も分かるんですけどね。
「世界全体の理想を語るより、俺を救ってくれ」
とね。そして、
「よし、分かった。日本やメキシコのことなんか知るか。強いアメリカを取り戻そうぜ」

しかしねぇ・・・

大転換が起こっていることは確かです。私達は第二次世界大戦の後からずっと、アメリカという超大国が人類全体を守っているという世界の中で生きてきました。

ところがそんなのは日本だけの幻想だったのかも。
アメリカに守ってもらってない国からしたらそりゃ日本はおめでたく見えるよな。

人類全体のことなんか誰も考えちゃいない。
みんながみんな自国の利益だけを守り、他の国のことなんて知るかということになっちゃったら。
そりゃ次の戦争も起こるでしょう。

私達は…
人類全体のことを考えたり、地球全体のことを考えるなんて「理想」に過ぎないのかもしれない。「幻想」なのかもしれない。
明日の自分のご飯もままならないのに、なぜ100年先の人類の心配なんかしなくちゃいけないかって思う人がいるのも分かります。
でも、それを忘れてしまってはだめだと思うんだけどな。

トランプさんは誰もが言えなかった本音で語ってくれるところが魅力だと言います。
でもその本音が
「俺さえよけりゃいい。他のことなんて知るか」
じゃなぁ~
大統領選出後の演説では、トランプさんも少し他の国とうまくやっていこう的なことを話していたように思います。ぜひそうして欲しい。

冒頭のたとえ話に戻ります。
このようなトラブルが起きた時どうするか。今まではアメリカがルール違反を取り締まってきたわけです。ところがその取り締まる役をアメリカが降りてしまった。
そしたらみんなDのように、もう協調なんかやめて自国のことだけを考えるようになっても不思議ではありません。
どうなってしまうのか…とても不安です。

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