憲法改正し「強い国」「戦争のできる国」になることは必要か?
前回に引き続き、この話題。
高市総理は憲法改正に向けた議論を進めたいとしていますが、具体的には防衛費を増やして日本を「強い国」「戦争のできる国」にしたいようです。
第二次世界大戦の終戦以来、日本は日本国憲法に「戦争放棄」をうたい非戦を貫いてきたのですが、自民党が大勝するこの流れの中では「戦争のできる国」になることに世論も傾きつつあるように見えます。
同じ人類なのに他国と憎み合い、互いに「相手を攻撃する」ことを前提に軍事力を果てしなく強化し合い、相手をけん制し合うことは私にはナンセンスにしか思えませんが、そう思わない人が増えてしまったのかな…
ロシアが力でウクライナに侵攻し、アメリカが自国ファーストで国際協調のための予算を出し渋る21世紀にあってはそれも全く分からないわけではないのですが。以下、論点整理です。
Q 日本が防衛費を増額するのはいけないことなのか? いけないとすればなぜ?
・国民の生活が苦しいのに防衛費の増強でさらに苦しくなる
・福祉などもっと予算をまわすべきものがある
Q 日本が防衛費を増額する=「戦争をしたい」のか?
・「もし他国から攻められたときのために防衛費の増強は必要。戦争をしたいわけではない」という主張は理解。
Q 防衛費を拡大しているのは中国やアメリカなのに、他国は非難せずに自分の国にだけそういうのはおかしくないか
・周辺国が軍事力を増強しているからといって、同じだけ軍事力を強化することが国を守ることにはつながらない
・そもそも世界一の軍事力を日本が持つことは、国内資源などを考えると無理
・「平和」は同じだけ軍事力を持つことではない
Q ならば他国から攻められたら抵抗せずに降参しろということか。ウクライナだって抵抗している。
・「他国から攻められない」ためにするべきことは軍事力増強だけではない
・「戦争を起こさない」ことが大事
Q 具体的には?
・中国とは対話を欠かさない。刺激しないこと。
・アメリカ、中国、ロシア等とも友好的な関係を築くこと。何があっても非難しないということではなく、言うべきことは言えるよう対話を欠かさずコミュニケーションをとっていく。
Q 相手がいい人だとは限らない。仲良くしていても攻められることもあるのでは。
・日本に中国人がたくさんいればいきなりミサイルを撃ち込んでくる可能性は低くなる
・互いの文化に価値を認め合い、交流を深め、互いに反戦の意志が共通していれば戦争を回避できる
・孤立が戦争を招く
・いい人かどうかは限らないのは日本人でも中国人でも同じ。
・対話できる相手を増やし、戦争の抑止力となってもらうこと。それが日本の取るべき戦略なのでは。
甘いと言われそうだけど、果てしなく軍備を増強し、防衛費に金をつぎ込むことよりも他国との協調に尽力する方がよほど生産的なのではないかと思います。
てか、それが20世紀後半のスタンダードだったのにな。
やはり世界情勢の変化がそれを許さないということかもしれない。
ロシアの横暴を誰も止められないんだもの。
「力で世界を支配する」ことが正しいという世界にしてはいけないのに。


Recent Comments