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2019.07.21

投票率が低いことについてのかなり怖い考え

 本日、2019年7月21日は参議院議員選挙でした。

 現状、与党は自民党で安倍政権がしばらく続いています。首相がコロコロ変わるよりは良きにつけ悪きにつけ、何年か、同じ総理大臣が日本を代表していた方が海外との付き合い上はいいと私は思うので、いろいろポカはあるけど、安倍やめろ、とは私は思ったことはありません。

 ただ、自衛隊を憲法に明記することには賛成できかねるので自民党支持ではないのですが、野党といっても、特定の支持政党があるわけではな0く。全体のバランスから見て、自民が勝ち過ぎることがないようにと思いながら、いつも投票をしています。

 選挙区候補者は、政党というよりは、とりあえず唯一の女性候補に投票しました。女性、増えて欲しいよなぁ。おっさんばかりの国会で、女性議員はかなり大変なのに、それでも立候補しようと思うだけでも偉いわ。21日21時現在、ちょっと当選の確率は低そうなのですが、頑張ってほしいなぁ。

 …という話はともかく、ちょっと今回、少し、というかかなり気になることに気付いてしまったので、そのお話を致します。

 ここ最近、ずっと低投票率が言われていて、今回の参院選もたぶん、かなり低いことが予想されています。でも、ツイッターであるつぶやきを目にしました。

『私の知人は皆、ほぼ選挙に行っているのに投票率が低いのはなぜなんだろう』

 うん。そうなんですよね。私もそう思うのです。おそらく自分の知っている人はほぼ投票している。なのに、投票率は半分もいかない。

 二人に一人は投票していないのです。

 これってどういうことか分かりますか?

 …もしかしたら、日本にも「階層」ができつつあるのかもしれない。

 ふとそう思ってしまいました。

 

 投票へ行く人の周りの人はみんな投票に行っている。でも行っていない人の周りは誰も行かない。

 昔、日本人って悪い意味で均質でした。教育水準も所得水準も。つまり貧しい時はみんな貧しかったし、中流な時はみんな中流でした。

 ところが今はもう違うのかも。

 経済的に余裕があって普通に暮らせている層と、毎日の生活が苦しくて選挙どころじゃない低所得者層。二極化しているんじゃないかと。

 貧困とか非正規とかひきこもりとかいろいろ問題化しているけれど、それがもう一部ではなくなってきている。

 ずいぶん前から言われているけど「格差社会」です。日々の生活にいっぱいいっぱいの人に「政治に関心を持て」なんていっても無理でしょ。低所得が故に教育水準も低く止まり、それは連鎖して地方に固定される。

 これ、ものすごくまずいことです。

 低所得者層が固定化しずっと貧困ってことになると、教育だってなんだって、上の層に向けたものは下まで届かなくなる。

 じゃあ、上の層だけで日本という国を動かしていけるのですか? そんなわけないわ。

 以前、「貧困」問題は貧困層だけの問題じゃないということを、それについての記事を読んで考えたことがあります。

 働けない人が増えたり、生活保護の人が増えたりすれば、働く人にその負担がのしかかり、経済全体が崩壊していくことになりかねません。だから、みんなが幸せになれないとだめなのよ。

 多様性も自由もいい。でも極端な「自己責任」はだめだ。 

 基本的な衣食住とそして教育、仕事。どんな人でも、何かしらで生産的な活動をし、社会のために奉仕し、自分だけでなくみんなのために働く意識を忘れてはだめだわ。

 そのことを一体、日本人のどれくらいが分かっているんだろう。

 一握りの高所得者に特にそれを言いたい。確かに高所得になったのは自分の努力と才能だったかもしれない。自分の才覚なんだから、税金という形で搾取されることを文字通り「搾取」と思ってしまうかもしれない。

 でも、あなただけが儲けることで、何が一体起こってくるのかを想像してみて欲しい。

 そういう人は、日本が沈みかけたら海外に行けばいいのかな。いやいや…

 ユートピアなんてどこにもないのよ。それは私たち自身が私たちの手でこの地に作らなくてはいけない。

 というか、そうして先人達の血の滲むような努力の果てに、今の日本があるのではないのか、と。だとしたらそれを次の世代に引き継がずにどうするの。

 政治家の皆さま。

 一部の高所得者層や自分を支持してくれる身の周りのごく一部の人達だけを見ずに、投票しない、関心もない、日本人の半分にどうか目を向けてほしい。

 自己責任で関心を持たないのではなく、環境が彼らにそうさせていることをもっと危機感を持って自覚してほしい。

 そしてそういう世の中にしてきてしまっているこの流れをどうにか今の内に食い止めて欲しい。

 頭のいい、あなた方ならとっくに気づいていていいはずのことでしょ。

 このままでは日本はどうなってしまうのか…とてもとても怖い考えでした。

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2019.04.25

子供の貧困

食事は給食頼み」長期休暇明けに痩せて登校する子どもたち

今日、この記事を読んだのですが、ちょっと違和感がありました。
何に違和感を感じたのか、書いてみたいと思います。

私は、子供の頃、母親がうつで寝たきりのときは、自分でお米といでごはんを炊いたり、わかめの味噌汁は作ったりしたけど、おかずは

鮭の水煮缶詰
サンマのかば焼き缶詰
コンビーフ
ホテイの焼き鳥缶詰
イシイのハンバーグ(温めるだけで食べられる)
ボンカレー

とかでした。なので缶詰類は今もソウルフードです。
昔はコンビニもホカ弁もなかったから、開けるだけで食べられたり、温めるだけで食べられるものは貴重でした。
貧困というよりは物理的に食事を作ってくれる人、面倒を見てくれる人がいなかったからなぁ。

記事を読んで思うんですが、休み明けに痩せて出てくるということは、つまり
「コンビニで弁当も買えない」
ってことなのではないでしょうか。

それを「コンビニのお弁当など、栄養バランスが取れていない子が多い」ってバランスの問題にしない方がいいと思うんですよ。
そういうこと言い出すときりがない。
私が幼稚園の時、親が弁当を作れないときは昼に園から菓子パンと牛乳が出ました。
バランスはとれてないけど、それが悪いとは私は思いません。
「バランスがとれた食事」なんて言い出すからどんどんハードルが高くなる。
「こども食堂」だってそんなこと言ってるから月に1~2度しかできないんじゃないの?
フードバンクなどにストックされている食料を利用して、とにかく食べさせることを優先するくらいにハードルを下げればいいのではないかなぁ。

記事の後段になるともっと違和感はひどくなります。
キャンプ? 美術館・博物館? 旅行?

(引用開始)
夏休みやGWなどの休暇明けにはクラスの中で「キャンプに行った」「遊園地で遊んだ」という会話で盛り上がることでしょう。そこに入れない劣等感や疎外感を感じた場合、非認知能力のひとつで全ての力の基礎にもなる自己肯定感が著しく低下します。
(引用終わり)

非認知能力? 自己肯定感? 何言ってんの?
友達は遊園地に行ったことあるけど、自分は一回も親と行ったことない。そんなの普通にあるでしょ。
親に言ったって
「よそはよそ、家は家」
で終わりです。私は遊園地は幼稚園の遠足で行ったきり。親とは行ったことががないです。キャンプの経験もないし。

「子供の貧困」って何なの、って話です。
昔と今は違うっていうのも分かった上で言うのですが、問題は
「コンビニにいけばいくらでも食べ物があるのに買えない子」
「学校には行ってても給食費も払えない、遠足に行くときの交通費もない」
というような子どもなのではないでしょうか。

学校側で学びの機会を作るために博物館への遠足を企画したとしても、移動のための電車賃も払えなくて遠足の日は休まないといけない子がいたらそれは貧困です。
でも親がそういう場に連れていけるかいけないかは経済的な問題もあるし、親の労働環境もあります。
夜に働かなきゃいけない親は当然いるだろうし、祖父母の介護があって子どもと旅行なんていけない家庭もある。
それは貧困の問題もあるだろうけど、また別の話だし、そのことをもって「貧困だ、支援だ」って正直、
「よけいなお世話」
って気がしてならないのです。

この世界の全ての子供が、皆、バランスのよい食事を三食とり、親は昼間に働き、長期休暇には親とキャンプに行き、博物館や美術館にも連れてってもらい、旅行にも行く…
あまりにもお花畑思考なのでは?

私が言いたいのは、こういうことを言うから貧困問題って取り上げられる度に、
「俺の方がもっと困ってる」
という反発を招くんじゃないの?ってこと。
反発を招いてしまうと、本当に支援が必要な「長期休暇にやせてしまう子」への支援まで批判されちゃうでしょ。

貧困は本当に問題で社会的な支援が必要です。
けれど、どこに対してどのような支援が必要なのかはしっかり考えるべき。
発言する側はよっぽど気を付けないと。
とはいえ、私も自分自身の中の常識と「支援が必要な状態」を整理しながらこれを書いているのですが。
「貧困」とそれに対する「支援」を語るのはなかなかに難しいです。

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2019.04.20

なぜ私はひきこもりにならずに済んだのだろうか

私が生きているうちに…」ひきこもりの中年息子、惑う79歳母

「ひきこもり」についての記事を読むと他人事ではないような気がしてしまいます。
親が79歳、50近い息子…
この息子、間違いなく私と同世代です。
「引っ込み思案」「人付き合いが苦手」「学校で孤立し、いじめられた」
うん、私も全部該当する。
だけど、私は引きこもりにはなりませんでした。私と彼を分けた理由は何だろう。

一つは社会に出た時期でしょうか。
私はギリギリバブル期、彼は就職氷河期。
同世代なのに、なぜその違いがあるかというと、この人は「浪人して私立大学に進学」とあります。
おそらく年齢自体も1歳くらいの違いはあるのですが、浪人したことにより、私よりも2年くらい遅れての大卒といえそうです。
完全に運でしかないのですが、この2年の違いは大きい。
「気後れして企業の説明会に行くこともできなかった」
のは私も同じですが、だからこそ、私は当時、試験に受かればどこかしらに採用されると言われていた公務員試験を受けました。
受かってから採用されるまでが世間知らずでコミュ障だったせいもあり大変だったんですが…ギリギリ何とか採用してくれる先がありました。
そこが大きな分かれ目だったのだと思います。

でも、この人も「知人のつて」で事務の仕事に就職したことあったとのこと。
「人間関係をこじらせて1年余りでやめた」って何をこじらせたんだろう。
本当にブラックで、周りの人間の最低な職場もあるから一概には判断できませんが、基本、仕事って、人のことは気にせず、やらなければならないことをしっかりやれば、昇進はできなくてもふつうには勤めていけるのではないか、と思ってしまいます。
営業などでノルマがあって成績をグラフで示されて給与も能力給の割り合いが高かったらそんなこと言ってられませんが、事務なら。
仕事をするようになってよく言われたのですが、職場は「仲良しクラブ」ではないので、基本的には仕事さえきっちりやればいい。
「仲良しクラブ」な職場もあるんだろうけど、今も当時も、忙しい職場であればあるほど人のことなんか構っていられません。
みんなが自分を冷たい目で見ているとか、自分だけ話しかけてもらえないとかが「人間関係のこじれ」だと思うならそれは病気です。
自分が思うほど他人は「私」を気にしていない。

ひきこもりの何が問題って、自分の食い扶持を自分で稼げないことが一番の問題です。
自分の食い扶持くらいは自分で稼げないと。そのための「仕事」。
引きこもりを減らすためには仕事についてもらうことが必要なんですが、朝、電車に乗って決まった時間に会社に行き、そこでやるべきことをやる。それがそれほどに難しいことなんだろうか。

たとえばパン工場のアルバイトとかをイメージしてみます。
やるのは単純作業。立ちっぱなしで体はきついようですが、それでお金がもらえる。
口コミによると、延々と同じ仕事をすることがきついという感想が多いですが、それは人によるんだよな…と、スポーツクラブで延々、マシンでランニングしている人のことを思ってみたり。

学生の頃、郵便配達のアルバイトをしたことがあります。
自転車に郵便物を載せて配達。あの仕事は楽しかったなぁ。

証券代行会社で、延々証券を数える仕事。それはあまり楽しくなかった。
何の仕事が楽しくて、何の仕事はつまらないかは人によりますが、そうしてとりあえずアルバイトでもいいから働けたら。
その一歩のハードルの高さが私にはあまりピンときません。

何が違うんだろう。
なぜ私は引きこもらずに済んだんだろう。
人見知りでコミュ障は今も変わらないけれど、月曜日から金曜日まで毎朝出勤して、働いて、土日は好きなことをしている私は思います。
私の父はこのお母さんと同じ年だけど、私はもう自分の稼ぎで食べていて、将来のための貯蓄もしているし、その点ではあまり心配をかけていないはず。独身なのでそのことは心配でしょうが、それはまた別の話。

増加しているというひきこもり。
一人でも多くの人を、ひきこもりから脱出させるためのカギは一体何だろう。

私に何か、できないだろうか。

そんなことをひきこもりに関する記事を読む度に考えています。

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2019.03.05

「美容整形」っていいことなのか

有村藍里さんが美容整形を受けたというのがテレビのドキュメンタリーで放映され、朝の情報番組でも報道されているのを見ました。Yahooニュースのリンクも貼っておきます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-00000320-oric-ent

美容整形の成功に称賛の声が集まっているとのこと。

うーん。私は3月4日の朝にテレビでこの話を知ったんですけど、何とも嫌な気分になりました。そして「怖い」と感じました。
彼女は自分の口元が気になっていたそうで、報道では「こんもりした唇」が嫌だったこと、自分の顔で他人を不快にさせていないか気になっていたことなどを話していました。

「自分の顔で、相手を不快にさせる」?
それが気になって整形しないではいられない?
それって「醜形恐怖症」ではないかしら。
つまり精神障害です。

私は藍里さんを批判したいわけではありません。
私が怖かったのは「美容整形がいいこと」であるとなったら、美容整形をしないことは悪いことであり、美人でない顔をそのままにしておくことは美意識が低く、他人を不快にさせる行為である、となってしまうのではないかということ。

見た目がよくない人を批判したり、さげすんだりすることが当たり前になってしまわないかということ。

有村藍里さんは確かにかわいくなりました。
でもそれで済むのだろうか。
唇やあごを整形したらまた他のところが気になるのではないかな。
そしていずれ年をとればシミやしわが気になるのではないのかな。

結局はあれって「美容整形」を当たり前にして、成功事例を華々しく報道することで業界が儲かりたいだけなのでは。
いや、別に業界が儲かることを否定はしませんが
「1mmでもかわいくなりたい」「かわいくないのは嫌」「かわいくないと人の目が怖い」
ある意味で精神疾患に近いような女性の意識に付け込んで、
「ほら、美容整形するとこんなにかわいくなって劣等意識も克服できて幸せになれますよ」
って…美に憧れる気持ちを利用されて、搾取されるだけでしょ。

私たちは「美=善」という一つの価値観に捉われてはいけません。
「美」も確かに世の中の善いことの一つで私もそれは否定しないけど、そのために、何かを犠牲にすることだけはあってはならない。

藍里さんは自分で考えて自分で「美容整形」を選択しました。
そのこと自体は批判したくないし、仮に彼女の今回のカミングアウトが彼女のプロデュースであるなら、それも戦略の一つだと認めてもいい。私はそれが彼女の幸せだとは思わないけれど、自分の幸せは自分で決めるものだから、彼女がそれを選択し、芸能界で生きていくならそれでも構いません。

ただ、その姿をテレビで見せられる、少なくとも「私」は、それを見たときの自分の不快感や恐怖をちゃんとこうして書いておきたいと思いました。

自分の容姿に劣等意識があって、それを克服したいと思うとき、「美容整形」は決して最善の方法ではありません。
なぜなら、それは、結局ところ際限がないからです。美にゴールってありません。
そして人間は誰でも年をとるしね。

美容整形というとマイケル・ジャクソンのことを思い出したりもします。
彼もずっと顔を直し続けた。それで最後は満足できたのかしら。

ずっと美容整形にお金をつぎ込み続け、どんなに社会的に成功しても、最後まで気持ちが満たされることがない・・・
それって地獄でしょう。

結局、幸せって「美」にはないんですよ。
「美」も幸せという価値観はあってもいいけれど、それは長い人生においてほんの一瞬でしかない。
というか「他人が自分を見る目」の中に本当の幸せなんてないんです。

これって現代を生きる私たちにとって当たり前だと思っていたので、最近の流れが私は怖くてたまりません。見た目の美のことばかりを言い続けたNHKの前朝ドラ「半分、青い」も怖かったしなぁ。

「美容整形」を悪いとは言いません。でもいいことだとも思いません。
有村藍里さんについては、彼女が自分の幸せのために選択したことなら仕方ない。
ただ、その報道を見て、その選択が支持されて、美容整形が広まっていくことに対しては危機感を抱いています。
皆さんはどう感じますか?

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2019.02.20

中国へ女性が売られている!?

中国へ売られる花嫁

ベトナムやミャンマーから女性が誘拐されたり、騙されたりして中国に連れていかれ、そこで強制的に中国人男性と結婚させられるという報道です。
なんてひどい話。
というか、読んで信じられない思いでいっぱいです。

中国人男性って、妻を金出して買うんだ。それがまず信じられない。
「花嫁」って言葉が胸糞悪いです。
食べ物もろくに与えなかったりして家族どころか人間扱いもされてない。
言葉も通じない。
ただ性欲の解消のためと子供を産ませるためだけの道具。
ひどすぎる。
仮に女性の方が多くたって、金で男性買ってきたりしないわよね。なんで女性だけがこんな目に。

これ、他人事じゃないわ。
だって誘拐だもん、北朝鮮に連れ去られた日本人と同じ。日本の女の子だって誘拐されることが十分あり得ます。
今まで普通に暮らしていた日本人の少女が、ある日突然見知らぬ人に連れていかれて中国の男性と暮らすことを強制されることを考えたら、ものすごく怖い。
娘がいる日本人のお父さん達も、もし自分の娘がそうなったらと考えて欲しいわ。

需要があるから供給が生まれる。ならば、これ、需要をなんとかしてよって思います。
中国人男性ってそんな馬鹿なの? 女性を道具としか思ってないわけ? そんな国だと思われて中国は平気なわけ?
今や世界を席巻するほどの大国なんでしょ? 他国から女を買う野蛮な国家だなんて言われたくないでしょ。
ちゃんと教育してよ、中国政府。

日本人だって貧困で結婚できない男性は多い。
でも、他の国から買うなんてしないでしょ。
東南アジアの女性を嫁にする男性はいるだろうけど、その場合はちゃんと嫁として大切に扱うでしょ。
子供産ませて、または子供を産まないからって転売もするって、どういう考え方をしているのか。同じ人間とは思えない。
私は今まで中国をそんな国だと思ったことがなかったので、めちゃくちゃショックです。

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2019.01.11

「論理国語」とは

本日も東洋経済の記事より。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

少し調べてみると、高校の国語が、2022年度の学習指導要領から「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」の四つになるようです。
今まではどうだったかというと国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典B。
うん、私の頃も確かそうでした。
今から考えると「A」だの「B」だのって何じゃいな、と思いますねぇ。

ざっくりいうと、新しく登場する論理国語は「論理的な文章の書き方」を学ばせるものであるようです。
古文を読んだり、夏目漱石の「こころ」を読んでKの気持ちを議論したりするのではなく、契約書の作成方法とかグラフを読み取り方を学ぶ。
社会に出たとき、より役に立つ「実学」を勉強するわけですね。
それに対し文学者からは「日本人なら誰もが読んできた文学作品が国語教育から消える」という声が上がっているとのニュースもありました。

確かに「学校で学ぶ勉強って社会に出たときに役に立たない」ことが多いのですが、私は「勉強」ってそういうものだと思っていたので、だからどうするべきと考えたことはありません。

ただ、古典や現代文学が大事と言われても、それもあまりピンとこない。
「こころ」を読まなくたって生きていけますし、その時間にもっとやるべきことがあるならやった方がいいとも思います。

振り返ると、私自身は、小さな頃から国語は得意科目で、作文も大変得意でした。文章を書くのは当時から大好き。
それが論理的な文章か、と言われると、このブログの文章を自分で読み返すと、なるべく読んでいる人に伝わりやすいように書いてはいるつもりですが、論理の飛躍があったり、違う論点にすり替わったりしているときもありまして、あまり自信はないというのが正直なところです。

ただ、書くのを苦痛に思ったことはなく、自分の思ったことを文章に書き起こすことに困ったことはありません。
ブログも、仕事もね。

「話し方」はやや難があります。うまく説明ができないことが多い。
昨日も、上司への説明の際に
「で、一体何が言いたいの?」
というしどろもどろ状態に。文章で書くならあまりそうはならないんだけどな。

という自分の実態を考えると「話し方」は学校で教えてくれてたらなぁと思うことはあります。
3分間スピーチとか、もっと学校でやればいいんだよな。
内容は何でもいい。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、事実について3分間で適切に話す訓練とかした方がいい。
たとえば昨日、テレビで見たドラマ、とか大好きなマンガや音楽やゲームについて語らせるのでもいいと思います。
そういうのって学校でやらなかったなぁ。私の頃は。

私は文学者ではないので、近代文学も古典も、やる必要があるかと言われると「ない」というのが私の意見です。
読解力が必要なら、小さい頃から読書を好きにさせて、習慣づけるようにすれば自然と身に付きます。
別にその本が「怪獣大事典」でも「日本妖怪総覧」でもいいでしょ。
読むこと、読んでその内容を理解することが大事。
私なんか小学校中学年から高学年まで図書館で星新一ばかり借りて読んでいました。

夏目漱石じゃなくて星新一で十分でしょう。
文章で書かれたものを読んで、それを理解し、楽しむことができればね。
どんな文学作品だって、どう読むかは読者の自由なのだから、読んで何をどう考えるか教育の範疇ではない。
読書を親しむことを習慣づけるところまでが国語教育ではないかしら。

一方、話し方は、読書ほど私自身には自然には身につかなかったので、学校でやってほしかったな。
社会人をもう30年弱やってきて今更ですけど。

物の考え方、読解力、そしてその表現。
国語って大事です。
「論理国語」か。
可能なら今から私もやりたいかも。

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2018.04.24

続・セクハラの定義って難しいね

やっぱり、この議論になっちゃったか…

「女性記者お断り」セクハラ防ぐには女性排除を、という暴論は“新たな差別”を生むだけだ

「女性と二人だけで酒を飲んだり、食事をしたりするとあらぬ誤解を受けるので、リスク回避のためにそういう行為を一切禁止する」
とどうなるかって話です。

やっぱり、それも「セクハラ」って言われてるよー

「女性と二人きり」が全部だめって話になったら、仕事にならない職種もある。
記者がどうかはけっこう微妙なラインなんですが、それはともかくとして、リスク回避のための女性排除はやっぱりセクハラなんですよね。

だとしたら、どうしたらいいんだろう?
上記の記事には、
「男性が『セクハラはヤバい』と思ってくれればよいだけなのに」
という女性記者の意見が引用されていますが、私は「それは難しいんじゃない?」と思います。
取材相手の男性が、普段いくら『セクハラはヤバい』と思っていても、酒の席でしょ?
理性も吹き飛びますって。
ましてや相手は、取材対象と仲良くなってなんぼという意識で近づいてくるわけです。
「酒や会食なんかしなくても取材はできる」
と、舛添さんがコメントしてるのが正論だと私は思うけど、それに対して、

(引用開始)
「お酒の力をかりてリラックスした空気で情報交換する貴重な時間です。昼間に取材した言葉の裏の意味を聞き出したり、お互いを知ったりするのに欠かせません」
(引用終わり)

それ、女性記者が言っちゃうのか、やっぱ。
結局ぐずぐずですよね。線引きなんかできるわけない。

私は酒がダメなので、
「お酒で相手と仲良くなる」
っていう関係自体がナンセンスだと内心、思っていますが、個人的な感情はさておいて、一緒に酒飲んで取材対象の理性を吹っ飛ばして本音を聞き出すことで特ダネをとるのが「記者」のお仕事なんだろうと理解しています。

そしたら、そこでセクハラとか言うのって卑怯なんじゃない?
だって取材対象の理性のタガを外させて、ネタとろうとしているのは女性記者自身なんだもの。
なのに、相手が調子に乗って「おっぱい」うんぬんと言い出したら、「身を守るため」と称しそれを録音してセクハラだと糾弾する。
私も女性ですけど、そりゃないよ~って思うんですけどねぇ。

〇か✖かきっちり線引きできないことって世の中にたくさんあって、今回の「財務事務次官」と「テレビ朝日の女性記者」という個別の話と「一般論」は一緒にすると非常にまずいことになるのかもしれません。他ならぬ女性にとって、です。

もちろん男性の取材対象に、美人の女性記者を張り付かせて取材させる、そのやり方自体がセクハラでおかしいっていう意見もあると思うんだけど、前の記事にも書きましたが、だとしたら、世の中に、「女性ならではの魅力や強み」を商売の道具にしている仕事はたくさんあって。私はそういう仕事が全部「おかしい」とは言いたくないのです。

だって、この世界に男性と女性という二つの性が存在し、それぞれの個性で成り立つ職業ってあってもいいのだから。

もちろん「女性」だからって全ての女性がそういう職業に就く必要はないんですよ。
「男性」も然り。
私もいわゆる「女らしさ」とは無縁の世界で仕事してますしね。

人が一人一人、自分の得意とする分野で個性を発揮し、活躍できればいいわけです。
それが、女性ならではの魅力や強みを生かす職業(たとえばアイドル歌手やモデルや女優とかね)であるならそれは誰にも否定できない。

私はセクハラを容認せよと言いたいわけではありません。
ただセクハラとそうでないところの線を引くのは、結局のところ、その行為の受け手側にしかないわけで、セクハラと言われないために自己防衛をするなら知らない異性には気を許さないようにするしかないでしょう。(知っている異性にだって録音されるくらいだもんね)
え? そこで異性と言っちゃうとだめ? 同性でも同じ?
つまり…知らない人にはついていっちゃいけません?
いやぁ~だからさぁ。

疑いだしたらもうきりがないのですが、今回の事件を教訓に今後の再発防止を防ぐためなら、ある程度やりにくくなるのは覚悟の上で取材対象との「1対1の酒、食事禁止」とするしかないような気がします。
一般社会の常識からいうと当然なんですが、その世界で働いている「女性記者」にとっては大ダメージだろうなぁ。
でも、それが正しい。女であることを武器にネタを取る、そんなやり方がもう古いのだ、と。
そう言い切ってしまえるなら、世の中簡単なんだろうなぁ。

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2018.04.19

セクハラの定義ってけっこう難しいね

財務事務次官と新聞記者のセクハラの件。

性別に限らず、取引先と親密になって、仕事をとることってよくありますよね。

本当は飲みたくない酒を飲み
本当は行きたくないゴルフに行く・・・
そういう「接待」は今も一般に行われているんじゃないかな。
(公務員はそもそもそういう接待を受けてはダメだけど)

で、それとはまたちょっと違うんだけど
着たくない水着姿になって写真を撮らせたり、
個人的には親しくなりたくないファンとの握手会をするのもよくある話。
この二つは、まさに「仕事」そのものです。

つまり、個人的な感情に従えば嫌なことを
仕事である限りやらざるを得ないということがあった場合に
それを強要されることを「セクハラ」と呼ぶと
「仕事って何?」
ってことにならないだろうかって考えていました。

または、こんなことも考えられます。
たとえば記者と、対する取材対象の場合。
相手が男性なら、一緒にお酒を飲んで、本音トークをできるけど
お前は女性だから、一緒にお酒を飲んだらセクハラだと思われるので、お前とは食事も酒も一切同席しない、
と取材先が言ったらどうなっちゃうのでしょう。

「女性だからって拒否られた」
これが逆にセクハラなのかしら。
取材を受けてもセクハラ、取材を受けなくてもセクハラ。
これじゃ、困るんじゃないかな。
アンビバレンツだよね。

一般の会社で、一緒に仕事をしている女性に対し性的な発言すればセクハラになるし、女性であることを理由に仕事に差を付ければ女性差別になります。仕事と直接の関係がないからですよね。

でも、水着撮影や握手会は、女性が内心どう思っていようと仕事だからセクハラではないのかもしれない。
セクハラとか言い出したら、それを仕事にしている女性自身が困ってしまうでしょう。

同様に…もし財務事務次官がキャバクラで
「おっぱい触ってもいい?」
と言ったら、言われる女性は仕事だからセクハラではないのかもしれない。(セクハラだといういう人もいるけど)
バーでママにふざけて言ったとしてもセクハラじゃないような。
仕事だから。

じゃあ、記者が取材で男性である財務事務次官と二人きりで食事に行き、そこでそう言われるのは?
うーん…白ではないけどけっこうグレーじゃないかな。

多分、相手は酒を飲んでいるんだと思います。
酒の席の発言を録音し、セクハラだと週刊誌に売るのは卑怯な気がするし、取材対象と二人で食事に行き、酒を飲ませ、そこで本音を引き出すやり方はいわゆる「デート商法」に近く、そういう取材の仕方がそもそもおかしい。

新聞記者ってそういう仕事の仕方が普通なの?
セクハラだと訴えるならそういう取材をさせるテレビ朝日の方が問題なんじゃないのかな。

女性が、記者だからといって取材する相手に「おっぱいさわらせて」だの「浮気しようよ」なんて言われつつ仕事をしなくちゃいけないことには同情します。

でも、もしそれをやめさせて、女性記者を守るなら、男性の取材対象に1vs1で食事とか、酒飲みにいかせちゃいけないし、それじゃ仕事にならないっていうなら、仕事そのものがセクハラのような気がする。

まあ、でもそれを言ったら、女の子に水着着せて写真撮って売るのだってセクハラだしね・・・

うーん???

財務事務次官をかばう気持ちはあまりないけど、酒飲んだプライベートの席での醜態を公にされて、セクハラだと責められるのはもし自分がその立場だったらと考えると・・・ねぇ? 
いかがなものでしょうか。

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2018.02.15

アルマーニの標準服と「約束のネバーランド」~子供の成長の理想とは~

 銀座の小学校が標準服(実質「制服」みたい)にアルマーニのブランド服を採用するというニュースが報道され、話題になっています。

 私が最初にこのニュースを聞いて感じたのは、小学校は制服じゃなかったですけど、中学、高校は制服だった自分の経験からいえば、
「制服ってそんなに大事なものかしら」
でした。

 中学の時、女子の制服はセーラー服だったんですけど、登校すると、すぐにスカートからトレパンやジャージに「下」だけ着替えさせられるのが私の中学のルールでした。上がセーラー、下が白いトレパンって異様でした。なんでそういうことになっていたのか、女子にスカートをそんなにはかせたくないなら制服の意味ないやん、と正直思います。
 私自身は部活の朝練があったので、上もセーラーではなくジャージに着替えちゃってて、制服でいる時間は、登下校時のみでした。

 ましてや小学生。
 体操服やジャージばかり着てたなぁ、私。
 動きやすい服装でいいと思うんですよね。洗濯もしやすいし。

 なんというか…外面とか体面を取り繕うためだけでしょ、制服の意味って。
 子供にそんなの必要かしら。

 もちろん大人になれば、体面を取り繕う場が必要なのはわかりますよ。
 会社員は背広にネクタイだし、葬式は喪服だし、TPOはいずれ学ばなくてはいけない。
 でも、それって小学生に「制服」という形で教えるものなの?
 変だなぁ。

 アルマーニ校長の今回の騒動についてはいろいろな意見が出ていますが、
「校長がどんな子供を育てたいのか分からない、校長が育てたいのは泰明小学校であり、そこにおとなしく、大人のいうなりに礼儀正しく従う学校の付属物としての子供なのではないのか」
 という評論をネットで目にしまして、まさにそうなんじゃないの、と思いました。

「子どもにどう育ってほしいか」

 最近、私は「約束のネバーランド」というマンガを読みました。そこに出てくる子供たちはまさに理想です。

 自分で考え、自分で判断し、自分たちで自分の未来を選択する。

 これができるようになることこそ、子供を大人にするってこと。

 まあ、マンガの中では、そうして理想の子供を育てると、人間の脳が美味しくなるので、人を捕食する鬼がそういう環境を作り、美味しく食べられる人間を育てているという何とも皮肉で、恐ろしい設定なんですけどねー。

(ちなみにこの漫画では賢くない子供はもっと小さい内に出荷されて食べられます)

 理想的な環境で愛情たっぷりに育てられ、日々の勉強で賢く成長した子供たち。
 彼らはその賢さから、自分たちが食べられるために育てられたことにも気づいてしまいます。
 そしてその環境から脱出することに挑戦する。
 育てる側と子供の頭脳戦がものすごく面白くて夢中で読んでしまいました。

 理想の子供にするための「母親」役を務める女性も大変賢く、子供たちにとっては強大な敵なんですが、敵でありつつも、そこまで賢い子供を育て上げる。

 子供は親の思うとおりには育たないものだけど・・・
 どういう子供になってほしいか。 そのためには何が必要なのか。
 「約束のネバーランド」がまさにその答えのように私には思えます。

 アルマーニなんかいらない。銀座の子供である必要なんかない。
 自分で生き抜く力こそ、子供に本当に大人が与えてやりたいものではないでしょうか。

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2018.01.27

非武装中立

「非武装中立」を発言すると馬鹿にされるのが今の日本のトレンドらしい。
だったらなぜ、日本では銃の所持が規制されているのだろう。

「他国が攻めてきたら殺されるよ。殺されてもいいの?」
と武装支持の人は言うんだけど、それって理屈としては個人の場合でも同じ。

銃を持っている何者かが家に入ってきて、金品を奪おうとしたとして、抵抗したら私たちは撃たれて殺されます。
「殺されてもいいの?」
と問われて、殺されたくないなら武装するのが当然、ということなら、各世帯は銃を所持し、国民個々人も武装した方がいいですよね。

でもそうはなってない。。
強盗目的で人を殺すような犯罪が発生する確率は0にはならないけど、私たちはリスクを抱えつつも武装せずに暮らしています。

国と国との関係もそうなんじゃないかと。
隣の国が銃を持っているからって、自分も銃を持って武装するべきってなんでそうなるのか分からない。
個人と国とは違う、個人は警察が守ってくれるんだから、っていうなら、本来、国と国の争いも、個々の国が武装しなくて済むような仕組みを作るべきではないかしら。実際、そう動いた時期もあった。それが国連だったはずで。

基本的に、私たち個人が銃を持って武装することが現実的ではないように、国の場合も、全ての国が、そして日本が、武装して核を持つのは間違っていると思うんだけど。

いろんな国と協定を結び、自分が銃を持って戦うことよりも一定程度の経費を負担し、守ってもらうことだって、個人だったら普通でしょ。
なんで「自分の国は自分で守らないと」っていうのが正しいようにまかり通るのか。

銃を持って殺し合うことになる前にそうならないように努力する。
憲法9条の戦争放棄はそういうこと。

国際を紛争を解決する手段として「武力」は使いません。
だから日本は軍隊は持ちません。

なぜそれが非現実的なのかな。

もちろん、国連が当初の理想どおりにいかなかったのは分かってるし、世界の警察だったアメリカがその役目を放棄したのも分かってます。
ただ、だからって、やはり個々の国それぞれが武装しようって安易に流れちゃっていいのか。

また20世紀の二度の世界大戦のようなことが起こるよ。いや、もっと悲惨かも。
そもそも国連って、あの世界大戦の反省の上にできたものじゃなかった?

「非武装」を主張するのが、馬鹿にされるような世の中の雰囲気を誰かが作ろうとしている。
気を付けないと。それしかないと思わされることが一番危険です。

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