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2019.01.11

「論理国語」とは

本日も東洋経済の記事より。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

少し調べてみると、高校の国語が、2022年度の学習指導要領から「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」の四つになるようです。
今まではどうだったかというと国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典B。
うん、私の頃も確かそうでした。
今から考えると「A」だの「B」だのって何じゃいな、と思いますねぇ。

ざっくりいうと、新しく登場する論理国語は「論理的な文章の書き方」を学ばせるものであるようです。
古文を読んだり、夏目漱石の「こころ」を読んでKの気持ちを議論したりするのではなく、契約書の作成方法とかグラフを読み取り方を学ぶ。
社会に出たとき、より役に立つ「実学」を勉強するわけですね。
それに対し文学者からは「日本人なら誰もが読んできた文学作品が国語教育から消える」という声が上がっているとのニュースもありました。

確かに「学校で学ぶ勉強って社会に出たときに役に立たない」ことが多いのですが、私は「勉強」ってそういうものだと思っていたので、だからどうするべきと考えたことはありません。

ただ、古典や現代文学が大事と言われても、それもあまりピンとこない。
「こころ」を読まなくたって生きていけますし、その時間にもっとやるべきことがあるならやった方がいいとも思います。

振り返ると、私自身は、小さな頃から国語は得意科目で、作文も大変得意でした。文章を書くのは当時から大好き。
それが論理的な文章か、と言われると、このブログの文章を自分で読み返すと、なるべく読んでいる人に伝わりやすいように書いてはいるつもりですが、論理の飛躍があったり、違う論点にすり替わったりしているときもありまして、あまり自信はないというのが正直なところです。

ただ、書くのを苦痛に思ったことはなく、自分の思ったことを文章に書き起こすことに困ったことはありません。
ブログも、仕事もね。

「話し方」はやや難があります。うまく説明ができないことが多い。
昨日も、上司への説明の際に
「で、一体何が言いたいの?」
というしどろもどろ状態に。文章で書くならあまりそうはならないんだけどな。

という自分の実態を考えると「話し方」は学校で教えてくれてたらなぁと思うことはあります。
3分間スピーチとか、もっと学校でやればいいんだよな。
内容は何でもいい。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、事実について3分間で適切に話す訓練とかした方がいい。
たとえば昨日、テレビで見たドラマ、とか大好きなマンガや音楽やゲームについて語らせるのでもいいと思います。
そういうのって学校でやらなかったなぁ。私の頃は。

私は文学者ではないので、近代文学も古典も、やる必要があるかと言われると「ない」というのが私の意見です。
読解力が必要なら、小さい頃から読書を好きにさせて、習慣づけるようにすれば自然と身に付きます。
別にその本が「怪獣大事典」でも「日本妖怪総覧」でもいいでしょ。
読むこと、読んでその内容を理解することが大事。
私なんか小学校中学年から高学年まで図書館で星新一ばかり借りて読んでいました。

夏目漱石じゃなくて星新一で十分でしょう。
文章で書かれたものを読んで、それを理解し、楽しむことができればね。
どんな文学作品だって、どう読むかは読者の自由なのだから、読んで何をどう考えるか教育の範疇ではない。
読書を親しむことを習慣づけるところまでが国語教育ではないかしら。

一方、話し方は、読書ほど私自身には自然には身につかなかったので、学校でやってほしかったな。
社会人をもう30年弱やってきて今更ですけど。

物の考え方、読解力、そしてその表現。
国語って大事です。
「論理国語」か。
可能なら今から私もやりたいかも。

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2018.04.24

続・セクハラの定義って難しいね

やっぱり、この議論になっちゃったか…

「女性記者お断り」セクハラ防ぐには女性排除を、という暴論は“新たな差別”を生むだけだ

「女性と二人だけで酒を飲んだり、食事をしたりするとあらぬ誤解を受けるので、リスク回避のためにそういう行為を一切禁止する」
とどうなるかって話です。

やっぱり、それも「セクハラ」って言われてるよー

「女性と二人きり」が全部だめって話になったら、仕事にならない職種もある。
記者がどうかはけっこう微妙なラインなんですが、それはともかくとして、リスク回避のための女性排除はやっぱりセクハラなんですよね。

だとしたら、どうしたらいいんだろう?
上記の記事には、
「男性が『セクハラはヤバい』と思ってくれればよいだけなのに」
という女性記者の意見が引用されていますが、私は「それは難しいんじゃない?」と思います。
取材相手の男性が、普段いくら『セクハラはヤバい』と思っていても、酒の席でしょ?
理性も吹き飛びますって。
ましてや相手は、取材対象と仲良くなってなんぼという意識で近づいてくるわけです。
「酒や会食なんかしなくても取材はできる」
と、舛添さんがコメントしてるのが正論だと私は思うけど、それに対して、

(引用開始)
「お酒の力をかりてリラックスした空気で情報交換する貴重な時間です。昼間に取材した言葉の裏の意味を聞き出したり、お互いを知ったりするのに欠かせません」
(引用終わり)

それ、女性記者が言っちゃうのか、やっぱ。
結局ぐずぐずですよね。線引きなんかできるわけない。

私は酒がダメなので、
「お酒で相手と仲良くなる」
っていう関係自体がナンセンスだと内心、思っていますが、個人的な感情はさておいて、一緒に酒飲んで取材対象の理性を吹っ飛ばして本音を聞き出すことで特ダネをとるのが「記者」のお仕事なんだろうと理解しています。

そしたら、そこでセクハラとか言うのって卑怯なんじゃない?
だって取材対象の理性のタガを外させて、ネタとろうとしているのは女性記者自身なんだもの。
なのに、相手が調子に乗って「おっぱい」うんぬんと言い出したら、「身を守るため」と称しそれを録音してセクハラだと糾弾する。
私も女性ですけど、そりゃないよ~って思うんですけどねぇ。

〇か✖かきっちり線引きできないことって世の中にたくさんあって、今回の「財務事務次官」と「テレビ朝日の女性記者」という個別の話と「一般論」は一緒にすると非常にまずいことになるのかもしれません。他ならぬ女性にとって、です。

もちろん男性の取材対象に、美人の女性記者を張り付かせて取材させる、そのやり方自体がセクハラでおかしいっていう意見もあると思うんだけど、前の記事にも書きましたが、だとしたら、世の中に、「女性ならではの魅力や強み」を商売の道具にしている仕事はたくさんあって。私はそういう仕事が全部「おかしい」とは言いたくないのです。

だって、この世界に男性と女性という二つの性が存在し、それぞれの個性で成り立つ職業ってあってもいいのだから。

もちろん「女性」だからって全ての女性がそういう職業に就く必要はないんですよ。
「男性」も然り。
私もいわゆる「女らしさ」とは無縁の世界で仕事してますしね。

人が一人一人、自分の得意とする分野で個性を発揮し、活躍できればいいわけです。
それが、女性ならではの魅力や強みを生かす職業(たとえばアイドル歌手やモデルや女優とかね)であるならそれは誰にも否定できない。

私はセクハラを容認せよと言いたいわけではありません。
ただセクハラとそうでないところの線を引くのは、結局のところ、その行為の受け手側にしかないわけで、セクハラと言われないために自己防衛をするなら知らない異性には気を許さないようにするしかないでしょう。(知っている異性にだって録音されるくらいだもんね)
え? そこで異性と言っちゃうとだめ? 同性でも同じ?
つまり…知らない人にはついていっちゃいけません?
いやぁ~だからさぁ。

疑いだしたらもうきりがないのですが、今回の事件を教訓に今後の再発防止を防ぐためなら、ある程度やりにくくなるのは覚悟の上で取材対象との「1対1の酒、食事禁止」とするしかないような気がします。
一般社会の常識からいうと当然なんですが、その世界で働いている「女性記者」にとっては大ダメージだろうなぁ。
でも、それが正しい。女であることを武器にネタを取る、そんなやり方がもう古いのだ、と。
そう言い切ってしまえるなら、世の中簡単なんだろうなぁ。

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2018.04.19

セクハラの定義ってけっこう難しいね

財務事務次官と新聞記者のセクハラの件。

性別に限らず、取引先と親密になって、仕事をとることってよくありますよね。

本当は飲みたくない酒を飲み
本当は行きたくないゴルフに行く・・・
そういう「接待」は今も一般に行われているんじゃないかな。
(公務員はそもそもそういう接待を受けてはダメだけど)

で、それとはまたちょっと違うんだけど
着たくない水着姿になって写真を撮らせたり、
個人的には親しくなりたくないファンとの握手会をするのもよくある話。
この二つは、まさに「仕事」そのものです。

つまり、個人的な感情に従えば嫌なことを
仕事である限りやらざるを得ないということがあった場合に
それを強要されることを「セクハラ」と呼ぶと
「仕事って何?」
ってことにならないだろうかって考えていました。

または、こんなことも考えられます。
たとえば記者と、対する取材対象の場合。
相手が男性なら、一緒にお酒を飲んで、本音トークをできるけど
お前は女性だから、一緒にお酒を飲んだらセクハラだと思われるので、お前とは食事も酒も一切同席しない、
と取材先が言ったらどうなっちゃうのでしょう。

「女性だからって拒否られた」
これが逆にセクハラなのかしら。
取材を受けてもセクハラ、取材を受けなくてもセクハラ。
これじゃ、困るんじゃないかな。
アンビバレンツだよね。

一般の会社で、一緒に仕事をしている女性に対し性的な発言すればセクハラになるし、女性であることを理由に仕事に差を付ければ女性差別になります。仕事と直接の関係がないからですよね。

でも、水着撮影や握手会は、女性が内心どう思っていようと仕事だからセクハラではないのかもしれない。
セクハラとか言い出したら、それを仕事にしている女性自身が困ってしまうでしょう。

同様に…もし財務事務次官がキャバクラで
「おっぱい触ってもいい?」
と言ったら、言われる女性は仕事だからセクハラではないのかもしれない。(セクハラだといういう人もいるけど)
バーでママにふざけて言ったとしてもセクハラじゃないような。
仕事だから。

じゃあ、記者が取材で男性である財務事務次官と二人きりで食事に行き、そこでそう言われるのは?
うーん…白ではないけどけっこうグレーじゃないかな。

多分、相手は酒を飲んでいるんだと思います。
酒の席の発言を録音し、セクハラだと週刊誌に売るのは卑怯な気がするし、取材対象と二人で食事に行き、酒を飲ませ、そこで本音を引き出すやり方はいわゆる「デート商法」に近く、そういう取材の仕方がそもそもおかしい。

新聞記者ってそういう仕事の仕方が普通なの?
セクハラだと訴えるならそういう取材をさせるテレビ朝日の方が問題なんじゃないのかな。

女性が、記者だからといって取材する相手に「おっぱいさわらせて」だの「浮気しようよ」なんて言われつつ仕事をしなくちゃいけないことには同情します。

でも、もしそれをやめさせて、女性記者を守るなら、男性の取材対象に1vs1で食事とか、酒飲みにいかせちゃいけないし、それじゃ仕事にならないっていうなら、仕事そのものがセクハラのような気がする。

まあ、でもそれを言ったら、女の子に水着着せて写真撮って売るのだってセクハラだしね・・・

うーん???

財務事務次官をかばう気持ちはあまりないけど、酒飲んだプライベートの席での醜態を公にされて、セクハラだと責められるのはもし自分がその立場だったらと考えると・・・ねぇ? 
いかがなものでしょうか。

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2018.02.15

アルマーニの標準服と「約束のネバーランド」~子供の成長の理想とは~

 銀座の小学校が標準服(実質「制服」みたい)にアルマーニのブランド服を採用するというニュースが報道され、話題になっています。

 私が最初にこのニュースを聞いて感じたのは、小学校は制服じゃなかったですけど、中学、高校は制服だった自分の経験からいえば、
「制服ってそんなに大事なものかしら」
でした。

 中学の時、女子の制服はセーラー服だったんですけど、登校すると、すぐにスカートからトレパンやジャージに「下」だけ着替えさせられるのが私の中学のルールでした。上がセーラー、下が白いトレパンって異様でした。なんでそういうことになっていたのか、女子にスカートをそんなにはかせたくないなら制服の意味ないやん、と正直思います。
 私自身は部活の朝練があったので、上もセーラーではなくジャージに着替えちゃってて、制服でいる時間は、登下校時のみでした。

 ましてや小学生。
 体操服やジャージばかり着てたなぁ、私。
 動きやすい服装でいいと思うんですよね。洗濯もしやすいし。

 なんというか…外面とか体面を取り繕うためだけでしょ、制服の意味って。
 子供にそんなの必要かしら。

 もちろん大人になれば、体面を取り繕う場が必要なのはわかりますよ。
 会社員は背広にネクタイだし、葬式は喪服だし、TPOはいずれ学ばなくてはいけない。
 でも、それって小学生に「制服」という形で教えるものなの?
 変だなぁ。

 アルマーニ校長の今回の騒動についてはいろいろな意見が出ていますが、
「校長がどんな子供を育てたいのか分からない、校長が育てたいのは泰明小学校であり、そこにおとなしく、大人のいうなりに礼儀正しく従う学校の付属物としての子供なのではないのか」
 という評論をネットで目にしまして、まさにそうなんじゃないの、と思いました。

「子どもにどう育ってほしいか」

 最近、私は「約束のネバーランド」というマンガを読みました。そこに出てくる子供たちはまさに理想です。

 自分で考え、自分で判断し、自分たちで自分の未来を選択する。

 これができるようになることこそ、子供を大人にするってこと。

 まあ、マンガの中では、そうして理想の子供を育てると、人間の脳が美味しくなるので、人を捕食する鬼がそういう環境を作り、美味しく食べられる人間を育てているという何とも皮肉で、恐ろしい設定なんですけどねー。

(ちなみにこの漫画では賢くない子供はもっと小さい内に出荷されて食べられます)

 理想的な環境で愛情たっぷりに育てられ、日々の勉強で賢く成長した子供たち。
 彼らはその賢さから、自分たちが食べられるために育てられたことにも気づいてしまいます。
 そしてその環境から脱出することに挑戦する。
 育てる側と子供の頭脳戦がものすごく面白くて夢中で読んでしまいました。

 理想の子供にするための「母親」役を務める女性も大変賢く、子供たちにとっては強大な敵なんですが、敵でありつつも、そこまで賢い子供を育て上げる。

 子供は親の思うとおりには育たないものだけど・・・
 どういう子供になってほしいか。 そのためには何が必要なのか。
 「約束のネバーランド」がまさにその答えのように私には思えます。

 アルマーニなんかいらない。銀座の子供である必要なんかない。
 自分で生き抜く力こそ、子供に本当に大人が与えてやりたいものではないでしょうか。

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2018.01.27

非武装中立

「非武装中立」を発言すると馬鹿にされるのが今の日本のトレンドらしい。
だったらなぜ、日本では銃の所持が規制されているのだろう。

「他国が攻めてきたら殺されるよ。殺されてもいいの?」
と武装支持の人は言うんだけど、それって理屈としては個人の場合でも同じ。

銃を持っている何者かが家に入ってきて、金品を奪おうとしたとして、抵抗したら私たちは撃たれて殺されます。
「殺されてもいいの?」
と問われて、殺されたくないなら武装するのが当然、ということなら、各世帯は銃を所持し、国民個々人も武装した方がいいですよね。

でもそうはなってない。。
強盗目的で人を殺すような犯罪が発生する確率は0にはならないけど、私たちはリスクを抱えつつも武装せずに暮らしています。

国と国との関係もそうなんじゃないかと。
隣の国が銃を持っているからって、自分も銃を持って武装するべきってなんでそうなるのか分からない。
個人と国とは違う、個人は警察が守ってくれるんだから、っていうなら、本来、国と国の争いも、個々の国が武装しなくて済むような仕組みを作るべきではないかしら。実際、そう動いた時期もあった。それが国連だったはずで。

基本的に、私たち個人が銃を持って武装することが現実的ではないように、国の場合も、全ての国が、そして日本が、武装して核を持つのは間違っていると思うんだけど。

いろんな国と協定を結び、自分が銃を持って戦うことよりも一定程度の経費を負担し、守ってもらうことだって、個人だったら普通でしょ。
なんで「自分の国は自分で守らないと」っていうのが正しいようにまかり通るのか。

銃を持って殺し合うことになる前にそうならないように努力する。
憲法9条の戦争放棄はそういうこと。

国際を紛争を解決する手段として「武力」は使いません。
だから日本は軍隊は持ちません。

なぜそれが非現実的なのかな。

もちろん、国連が当初の理想どおりにいかなかったのは分かってるし、世界の警察だったアメリカがその役目を放棄したのも分かってます。
ただ、だからって、やはり個々の国それぞれが武装しようって安易に流れちゃっていいのか。

また20世紀の二度の世界大戦のようなことが起こるよ。いや、もっと悲惨かも。
そもそも国連って、あの世界大戦の反省の上にできたものじゃなかった?

「非武装」を主張するのが、馬鹿にされるような世の中の雰囲気を誰かが作ろうとしている。
気を付けないと。それしかないと思わされることが一番危険です。

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2017.12.04

川口祖父母殺人事件の報道を見て

川口祖父母殺人事件で強盗殺人の罪で懲役15年の判決を受けた少年の話を、昨日、テレビで見ました。
「祖父母を殺してでも金を持ってこい」という母親のために祖父母を殺害してしまった少年。
学校にも通えず、親に金を得るための道具のように扱われた少年はとてもかわいそうですし、少年が懲役15年なのに、母親が懲役7年で、
「その判決、おかしいんじゃね?」
っていうのはそうなんですけど、私がこの報道を見て気になったのはまた別のことでした。

親に利用され、身体的、精神的に虐待を受け、そこから逃れる術も知らず、悲惨な生活を送っている子供というのはきっと彼だけではないし、少なくない数の子供が今、この瞬間も苦しんでいるかもしれない。
それを救えない世の中をどうにかできないものかなぁ。

…私は母親がそううつ病(今は双極性障害というそうです)だったので、母親がうつのときは、今から思えばネグレクトっぽい感じになっていました。
父は仕事でほとんど家にいなかったし。うつの時、母はほとんど寝たきりで、家事は一切できませんでした。
私はお金をもらって買い物に行き、お米をといでごはんを炊き、イシイのハンバーグを温めて食べたりしてました。

死なずに無事育ってますし、学校も行けましたし、父は自分ができる限り、うつの母と娘の私を養育してくれたので、世のネグレクトとは比べるべくもないのですが、自分の子供の頃を振り返って思うのは、川口祖父母殺人事件の少年が母を神だと思っていたという話には、全面同意だということ。
「祖父母を殺してでも金もってこい」
という母に逆らえなかったし、逆らうなんて選択肢自体、彼になかったことが自分のことのようによく分かります。

私の場合も、世間的、客観的に、1年の半分以上も布団から出られなくなって家事ができなくなり、小学生の娘にご飯を作って持ってきてもらう母親がどんなにダメだとしても、私には母しかいなかった。
もし仮に誰かが私を引き取って育ててくれることになったとしても私は嫌がったと思う。母のそばに居たがったと思います。
母親ってのはそれほどにまさに神様。子供にとっては世界の全て。

だからね。
児童虐待から子供を救い出すのは並大抵のことではできないと思うのです。
子供にとっては母親が全てだから。
どんなにひどい仕打ちを受けたとしても。

三原順のマンガ、「はみだしっ子」を思い出すなぁ。

…それでもぼくたち生きてきたよ…

うん、私にとっても今はそれが全てなんですけども。祖父母を手にかけてしまった少年はこの先どうなっていくのかな。
少年の妹は元気なのかな。

なんというか…人は生まれてくる環境を選べない。人それぞれ、運命を背負って育ちます。

けれど、どんな境遇に生まれ落ちたとしても、最後は自分の手で自分を幸せに導くことができるようになれたらいい。
世界中の子供たちがどうか、そうでありますように。心からそう願います。

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2017.10.26

落ちたら死ぬの?

今回の選挙ではなくて、以前の選挙のときの話ですが、私がいつも使う駅に立ってがんばっている候補の方がいました。
残念ながら、私の選挙区の立候補者ではなかったのですけど、政策を読んでみたらとてもよかったので、その人のツイッターに応援している旨のコメントをしました。
確かそしたら「がんばります!」という返信もあって、ますますファンになり、選挙結果にも注目していました。

ところがその候補者はその選挙で落選しちゃったんですよね。
残念に思った私は励ましのメッセージを送りました。
「(落選しても)あなたの取組を応援している。選挙には落ちてもめげずにまた地域でがんばってほしい」
そしたら、それに対する返事はこんな感じでした。うろ覚えなので正確ではないですが。
「選挙は結果が全てです。落選してしまって申し訳ない」

そのとき違和感がありました。
え? あなたのやりたいことって政治家じゃなきゃできないの?
いや、もちろん政治家だからできることはあるけど、政治家じゃなくたってできることはたくさんあるはず。
そういう地道な活動が認められて、次の選挙の当選につながるんじゃないの?

そういう違和感はもうその候補には伝えませんでしたが、なんかがっかりしちゃったんですよ。
所詮、政治家になりたいだけなのかよって。
思いも志も一票を入れてもらうためだけのリップサービスなのかいな、と。

いえね。
今回の選挙でも思うんですよ。
希望の党の議員達が、小池さんのせいで「○人の仲間が死んだ」とか言ってるらしいじゃないですか。
死んでないでしょ? 生きてるでしょ。
政治家じゃない人間は死人ですか?と。

たとえば会社員であれば、会社を首になれば家族ごと路頭に迷います。
議員も議員じゃなくなれば、明日から生活に困るんですかねぇ?
てか、そもそも生活のために議員やってんの? なんかそれもすごい違和感。

政治家だろうと政治家じゃなかろうと日本をよくしようとがんばってるんじゃないのかな。
もちろん、綺麗事だけではなかなか選挙に勝つのは難しいのかもしれないけど、落ちたら落ちたで、また捲土重来を目指すのが政治家でしょ。
馬鹿じゃないの?

まあ、選挙で当選したいからって沈みかけた舟である民進党から即席の希望の党に行った人達だから、よっぽどの単純馬鹿か、「前原代表がそう言ったから」っていう人任せの能なしか、そもそも民進党が嫌いで保守に行きたくてたまらなかった人達ですから、醜態をさらすのもさもありなんですが、自分達でその見苦しさが分かってないっていうのが絶望的。

今回、落選した埼玉一区の希望の党の候補者は(上に書いた人ではありません)、また駅立ちから始めるとツイッターに書いてました。
大丈夫、あなたはまだ死んでない。
あなたが本物の政治家なら、またいつか必ず政治家として活動できる時はきます。がんばれよ。

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2017.10.04

立憲主義とは

◇立憲主義とは?
(引用開始)
政治権力の専制化や政治の恣意(しい)的支配を憲法や法律あるいは民主的な政治制度の確立などによって防止・制限・抑制しようとする思想原理。
(引用終わり)
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

これって確か小学校でそう習ったなぁ。

専制政治とか独裁主義に対抗する概念です。
ナチスドイツのユダヤ人虐殺があった第二次世界大戦の反省を踏まえ、総理大臣でも誰でも、権力を私物化し、恣意的に使ってはならないわけで、そこに法の歯止めを設けるってこと。

ネット民は枝野さん達を「社会主義」だと揶揄するけど、安倍さんや小池さんのように自己の思いや信念や好き嫌いだけで、議会を軽視したり、勝手に政治をやられたら困る。
たとえ議会がしらがみや足かせであっても。
ネット民は、上から目線で一般大衆を馬鹿にするけど、それは自らに跳ね返る話だと分かってるんだろうか。

モリカケ問題にしても法に基づいた運用だったのかということ。
問題がないならそれでいいわけで。

トランプがアメリカファーストを主張して大統領になってしまい、北朝鮮が武力によって周辺諸国を従わせようとしている昨今では、憲法前文が理想でしかなく形骸化してしまったのは分かるんだけど、武力による「専制と隷従」は最終的には世界から消え失せるべきだと私は思っています。
恣意的に権力を振るう政治家の登場を私達は許してはならない。

まぁ、知事はいいんですよ。それこそ特区的な意味合いでの地方自治。時にはユニークで個性的な知事がいてもいい。
小池さんは東京都知事だけしててくれればいいんじゃないかな。都民がそれを選んだのだから。

でも、首相はだめ。立憲主義なんだから、もし何かやりたいことがあるなら、法律を変えるために議会の承認を得る必要がある。
安倍さんは危ない。戦前の日本を取り戻そうとする思想がまずい。日本に誇りを持つのはいいけど、教育勅語復活を本気でよいと思っているなら時代錯誤。
そういう右派な保守が、政治の実権を握っているとしたら危険です。

強い日本も危険。
アメリカに守られているだけで自分達は戦わないのが卑怯だとしても、では日本も軍隊を持って、徴兵して、戦争ができる国にするのがよいのか。
日本も核武装が必要なのか。
何もしなければ、北朝鮮からミサイルを撃ち込まれて日本が滅ぶというのが仮に真実だとしたって軍拡競争の果てだって破滅しかない。

日本も核武装が必要だというのが日本人の総意なら従うしかないのかもしれないけど、ちゃんと国会で議論して欲しい。それが立憲主義。

少なくとも、数を頼みにした、手前勝手な自己都合解散は立憲主義じゃないよ。

現安倍総理が北朝鮮やアメリカと、日本の顔として対等に渡り合うために必要だというなら、それはそれでもいい。
でも自民勝ちすぎはよくない。
衆議院には、ちゃんと内閣の動きをチェックすることのできる勢力が必要です。

旧民進党の、希望の党から排除された人々に貼られたリベラル派というレッテルが「社会主義」だとか「親中」だとか言われるとちょっと鼻白むところはあるんだけど、「立憲民主党」という党名は私は気に入っています。
政権交代は望んでない。
ただ、専政にはNOを。自民党にやりたい放題させてはいけない。

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2017.09.27

給食はなぜカフェテリア方式にならないのだろう

「教師による給食「完食」指導で小学生5人が嘔吐 そこまでして「好き嫌い」をなくす必要はあるのか」

今日はこの記事について。

思い起こせば小学校の「給食」は私にとっては鬼門でした。
食べられないものが多くて。

偏食の原因は、今にして思うと、母がそもそも炊事が苦手だったことにありそうです。
子供なんて転がしといても育つと思っていた節もあり、要は子供の食事にあまり意識が高くなかった。
家の食事は決まったものしか出なかったんですよ。
だから、給食では、初めて見るような食べ物が多くありました。

初めて見るったってたいした話ではありません。
そもそも自宅では、生野菜サラダって出たことなかったんです。
マヨネーズも嫌い、酢の物も嫌い、ドレッシングも嫌い。
なのに、給食って「○○の酢の物」や「△△のマヨネーズ和え」がよく出るんですよねぇ。
食べられなくて泣きそうでした。生のトマトも食べられなかったし。
納豆も家では当時、食べたことなかった気がするなぁ。

ということで、食わず嫌いが多く、食べてみたところで美味しいと思えず、給食は「苦行」でした。
小学校入りたての頃は食が細かったので、パンも食べきれなくてよく残して、家に持ち帰ったりしていました。

そういった体験から、私は給食の完食指導には否定的です。
しかし、じゃあ残せばいいのかというとそれもどうかと思う。

食事というのは、他の命を奪って自分の命をつなぐことですから、基本的に食べられる分だけをとって食べるべきで「残す」のはよくない。

給食を出して残されるくらいなら、給食廃止、弁当持参、といいたいところですが、これも自分の体験上、家での食事がそもそもまともでなく、弁当なんてもってこられない子もいるし、用意できない親もいますから、お昼は家に用意させるわけにはいかんのだよなぁ。

カフェテリア方式にできないもんですかね。
食べられるものだけ取らせる。取ったら残さない。
学食や社員食堂みたいに給食もできないものか。
マクドナルドとか、そういう子供向けカフェテリアやらないかしら。

アメリカではそういう形式だというのを以前テレビで見ました。
お菓子やデザートコーナーが充実していて、子供がそういうのばかり取る、なんて問題になっていました。

でも、そここそ教育なのでは。
野菜やタンパク質もとらないといけないよ、っていうのを学ばせる。
で、自分で取らせる。取ったら残さない。
それでいいんじゃないかなぁ。

自分で選べない1、2年生は「お子様ランチ」みたいな感じでいろいろ載ってる一皿メニューでもよいかも。
3年生になったら自分で選べるんだったら、みんな早く3年生になりたいと思うだろうな。

未だになぜ「給食」なのが非常に疑問です。
マクドナルドでもワタミでもファミレスチェーンでも吉野家でも参入して、カフェテリアにしちゃえばいいのに。

カフェテリアといっても、料金は月額一律で何を食べても定額がいいと思います。
それだとカフェテリアというよりバイキング形式か。

「給食&バイキング形式」で検索すると実例もあるみたい。

給食を残す子がほとんどいない保育園

ほう、この記事によれば、なんと、保育園の子も自分で食べるものを自分でちゃんと決められるんだ。
じゃあ、1・2年生もできる。
リンク先はちょっと前の記事ですが、今もやってるかなー。
こういう保育園理想です。

20世紀から21世紀になって、文明も進んだはずなのに、未だに進歩しないものっていくつもありますが、給食もその一つ。
未だに何やってんだって思います。

思うに、たとえば医療の電子カルテとかもそうですが、半分「公」で制度の縛りがあるものってホント、なかなか進歩しないですよねぇ~
変えてはいけないことも世の中にはあるのですが、給食は変わって欲しいものの一つ。
未だに、私が過去、苦しんだ「完食指導」なんてやってんのかと思うと、半分、呆れてしまいました。

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2017.05.03

『日本を守る』組織は軍隊である必要があるのだろうか。

 本日は5月3日、憲法記念日です。

 安倍総理が、2020年までの憲法改正を目指していると表明しました。9条を改正し、自衛隊の位置づけを明確にするそうです。

 やはりそこなのか…
 新聞に自民党が以前作った改憲草案が出ていましたが、天皇を「元首」と位置付けたり、日の丸、君が代が国旗、国歌であることを明確にしたり、その辺もちょっとなぁと思ったのですが、その草案からまた変わる可能性があるので今はおいとくとして。

 以前の草案では、自衛隊は「国防軍」として明記されています。

 そうか、軍隊になってしまうのか。

 私は自衛隊の仕事ってめちゃめちゃ大事だし、災害のときなどに組織的に動ける存在があることは、とかく災害の多い日本国にとって必要不可欠だと思っています。

 それが自衛隊だと思っていて、自然災害だけでなく、テロとか、北朝鮮からミサイルが飛んできたりとかにも、対応する。とても大事な役割です。

 多分、それに反対する人はいない。

 いないんだけど…国防軍となるとちょっとなぁ。

 現行9条では

(前略)
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 となっていて、前段はいいとして問題は後段。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
 
 これよ、これ。「戦力」ってなんだって話だよなぁ。

 「交戦権」とは「戦争をする権利」だから、それも認めないのはよい。つまり現行憲法は、

『日本は国と国との紛争を解決するために武力は使いません。だから「軍隊」は持ちません。もちろん「戦争をする権利」なんて認めません』

 って言ってる。
 
 だから自衛隊は今のところ、実体はおいといても、表向きは「軍隊」じゃない。

 もろもろ災害の時に活躍する、警察とか消防署とか海だったら海上保安庁的な、昔の子供向けアニメ風にいうなら「日本を守るぞ」的な存在なわけです。

 軍隊じゃなくていい気がするけどなぁ。
 だって「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」なんでしょ?

 安倍総理もそこは変えないと言ってたもんな。

「日本を守る」じゃだめなのかなぁ。
 
 海外とのバランスなのかな…

 いえ「戦争」はね、だめだと思う。
 勝てばいいってもんじゃない。
 「国際紛争を解決する手段」は戦争以外にもあるんだし、逆に、戦争すれば解決できるのかといえば、力での解決は力で覆される。それが20世紀だったわけで。

 二度の世界大戦で日本のみならず、ヨーロッパだってアメリカだってロシアだって懲りたんじゃなかった?
 ロシアあたり、懲りてない気はちょっとしますし、そもそもすぐそばの北朝鮮がオカシイので、ついつい丸腰でいるのが怖くなる心理は十分にわかるわけですけども。

 それでもなぁ。結局、力比べによる世界支配などナンセンスにすぎないと人類は悟ったんじゃなかったかなぁ。

 自衛隊には軍隊にはなってほしくない。
 今が違憲だっていうなら、半分すでに軍隊っぽいからそう言われてるわけで、じゃあほんとに「軍隊」にしちゃえ、じゃなく、「軍隊」じゃなくする方の選択肢はないのかなぁ。
 
 国を守るのが軍隊である必要はあるんだろうか。
 国を守るための銃器や地対空ミサイルの整備などは軍隊じゃなきゃ持てないのだろうか。持てないならそこを変えればいいわけで。

 まあでも、いくら兵器を増強してもきりがない。
 疑心暗鬼こそが人類の本当の敵なのでは。
 
 そのための歯止めとして・・・自衛隊を軍隊として9条で位置付ける改憲だけは・・・

 2020年か。まだ多分生きているな。なんとか避けたいよな。

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