心と体

2025.03.09

続 風邪2025

「風邪2025」の記事を書く時に当ブログの過去記事を見て「風邪2020」を見つけ、対処法を思い出しました。
ブログって紙の日記よりは検索しやすいので、こういうときに役立つのよね。

ということで「風邪2025」についても、今後の参考により詳細にブログに記載しておこうと思います。

2025年2月25日に発症した今回の風邪。
熱は微熱程度でしたからインフルエンザやコロナではないと思ったので、前の記事にも書いたとおり1日か2日で治るかと思ったら、咳がひどくなる一方。咳のせいで夜、布団で横になることもできずにボロボロになりました。

2月28日に近くのクリニックへ。
そこで正式にやはりインフルエンザやコロナではなく「風邪」(ヒトメタニューモウィルス)であることが分かりました。クリニックではうがい薬やトローチなどが処方されたのですが…今、振り返ると一番悩まされている症状は、喉に痰が絡んで出る咳なので、炎症を起こしているのは喉ではないんです。

これ、前も自分でネットで調べたんですが「後鼻漏」という症状で、ウイルスで鼻炎を起こしてその鼻炎によって発生する痰が喉に落ちるせいで咳が出るんですよ。

「風邪2020」にも少し記載がありますが、この咳は「風邪」というよりは原因は鼻炎なので、風邪が収まってもずっと鼻炎が残って咳が長引きます。記憶に残る範囲でも、2020年以前からこの後鼻漏による咳にはかなり長いこと悩まされており、さんざん悩んで得た解決法が、漢方の荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)。今回もクリニックの薬を一周間できっちり飲み切った後はこの漢方の服用を開始しました。

今日は3月9日、発症してから13日目、明日で二週間になります。
鼻炎も咳もだいぶよくなり、夜もしっかり寝られるようになってほっ。
体も回復し、嗅覚も一昨日あたりから復活しました。
でもまた咳は残ってるなぁ。
それにずっと咳してたので耳がやられており、ちょっと違和感。おそらく中耳炎を起こしているのですが、痛みはないので、今のところ耳鼻科に行く予定はありません。だって…耳鼻科っていつも混んでるし(>_<)

そしてもう一つ…風邪ひくと出るよなぁ。口唇ヘルペス。
今日になって、ちょっと唇がピリピリするので慌てて常備しているヘルペシア軟膏を塗りました。早めに対処すれば悪化しないので。
荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)は96錠、1日3回、4粒ずつ飲むので8日分、今週末まではあるので、また様子を見て、咳が止まらないようであれば追加しようと思っています。

少し考えたのですが、クリニックで「後鼻漏」であることをちゃんと伝えれば、病院の処方で漢方薬出してもらえたりしたかなぁ。
ウイルス性の急性鼻炎には、昔は抗生剤の処方があったのですが、今回はそういう薬は出ず、喉荒れの対処薬しか出てないので、クリニックでもらった薬を飲んでも咳止めにはなりませんでした。
もしかしたら市販の鼻炎薬を早めに飲んだ方が効いた可能性もあるかも。

ただいずれにしても必要な処方を受けるためには、自分自身が今、感じている症状やこれまでの病歴などをちゃんと医師に伝えないといけないのかもな、と今回強く思いました。
風邪ひいて具合が悪いと頭も働かなくて、言葉で自分の症状を的確に説明、なんてできないのですが、医師だって言われなきゃ分からないこともある。

私は元々あまり医者が好きじゃないのですが、それは、医者が忙しくて、こちらはコミュ障で、思っていることをちゃんと医師に伝えられず、もやもやしてしまうことになります。

でもそれで臆していてはダメで何が苦しくてどうしてほしいのかはしっかり伝えないといけないし、察してくれない医者をやぶだと愚痴ったところで自分の症状が楽になるわけではない。

こうして過去の対処や、何が効いて何が効かなかったかをちゃんと覚えておいて、次にまた風邪に困ったときに生かせるといいな。

いや、まあ、ならないのが一番ですが。5年、風邪ひいてなかったんだから御の字か。

では未来の私、また、風邪をひいたときはこの記事を参考にしてください。

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2025.03.02

風邪2025

 日本における新型コロナウィルスの大流行、いわゆる「コロナ禍」は、日本で感染が拡大し始めたのが令和2年(2020年)2月、弱毒化して当初のように外出自粛まで言われなくなるようになるまで、つまり2類から5類になったのが令和5年(2023年)5月ですので約3年間。
 今は令和7年の2月ですから一応の収束からも2年経つわけで、日々、当時の記憶は薄れつつあります。

 でもちょうどその時に学生だったり、就職だったりした人には、忘れようとしても忘れられない3年間でしょうね。今後もまた同じようなことが起こらないとは限らない。それがいつ頃のことだったか、何が起こったかは忘れてはいけないと思ったりします。その3年でずいぶん変わったこともあったしな。テレワークが当たり前になったりね。

 元に戻ったこともあれば、戻っていないこともあります。飲食店やイベント業、映画館、飛行機会社や鉄道会社、旅行業、観光業…よく持ちこたえたよなぁ。

 災害だと3.11とかって1年目とか2年目とかその折々に、その災害を振り返るイベントやテレビで特集があったりしますが、コロナ禍はそういう「総括」みたいなことされないのかしら。あったらまた改めて振り返りたい気もするんだけど。

 で。どうしてそういう話になるのかというと、先月の25日から久々に風邪をひきました。コロナが流行っていたころからは、コロナには私は2回感染しましたけど、風邪やインフルエンザには感染したことなかったんですよ。

 なので考えてみたら風邪、久々でした。久々の風邪でしたが、風邪といってもけっこうきつくて、仕事休んで1日か2日、寝てれば治るかと思ったら全然で、仕方なく最寄りの、コロナの時にもお世話になった病院へ行って検査を受けたら「ヒトメタニューモウィルス」というのに感染していました。聞き慣れないウィルスですが、要は風邪ということらしいです。

 熱は微熱程度でしたが、鼻と喉がやられて、湿った咳が止まらず呼吸が苦しい。
 それが4日間程度続き、5日目にようやく普通に呼吸できるようになったと思ったら、嗅覚がなくなっていました…。
 そして、今も咳は続き、のどがひりひりします。まいった。

 よく思い出してみれば、コロナ前に風邪をひいたときも同じような感じで、咳で眠れなかったり、咳だけ長引いたりしてたよなぁ。
 懐かしいです… つまりざっと5年ぶりくらいか。風邪については、よくブログに記録を残していたことを思い出して、今、見てみたら、やはりそう「風邪2020」という記事を発見しました。

 ああ、当時も同じようなこと書いているわ~。ちなみに当時の記事にも記載のある「アズノール」といううがい薬が今回も出たので、それで回復を図りたいと思います。

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2024.07.07

父が肺がんになった(最終回)

 肺がん闘病中だった父が6月27日に亡くなりました。83才でした。

 当ブログでは「父が肺がんになった3」で記事にしていますが、2月の「3」のときは本人、まだ元気であと余命わずかなんて言われても全然ピンときていなかったんですよ。

 4月に無事、桜も見られたのですが、5月に入り次第に足の筋力が衰え通院もつらくなってきたので、本格的に緩和ケアに移行することになりました。それが6月の初め。

 私はてっきりガンの末期といえば「ホスピス」という専門の医療施設で過ごすのかと思っていたのですが、近くの緩和ケアの病院もあるにはあるもののずっと入院をするということは想定されていないとのことで、とりあえず入院も視野には入れつつも自宅で在宅医療を受けることになりました。幸い、母が地域のケアマネージャーさんと知り合いだったので、その方を通じてベッドなどをレンタルし本格的に自宅での療養が始まったのですが…

 6月に入ったら急に日を追うごとに弱ってきて、それでも何とか自分でトイレにはいっていたのですが、最後の1週間は自分でベッドから起き上がれなくなり、おむつをあてていました。その状態で長く寝たきりになる人もいるしな…と覚悟してたら、結果的にはそれから1週間ほどで亡くなってしまいました。

 最後は食べたり飲んだりもしなくなり、意識も「せん妄」状態ではっきりせず、まだ起き上がれるときに一人でトイレに行こうとして転んで腕を骨折したりして、このままでいいのか、入院させた方がいいのでは、と付き添っていた母と悩んでいたんですが…

 看取りが難しいな、と思ったのは終わりが明確に分からないこと。

 6月26日に、医師は「あと2日」と言っていて結果的に亡くなったのは翌日でしたから、医師の見立てどおりだったんですが、私から見ると27日の朝は意識も少し戻り、骨折した腕なのか、がんの影響で他の部位なのか、かなり苦しそうにしていました。その様子は数日前と変わらなかったので、この状態がまた1週間くらい続くのかと思ったんですよね。居合わせた看護師さんもそうおっしゃっていて、とりあえず痛みをとるための座薬を取り寄せて下さり、薬が効いて落ち着いて眠ったので、一安心して私はいったん実家から自宅に戻ったところ…その間に息を引き取りました。分かっていたら付き添っていたんだけどなぁ。

 死に目に会えなかったのを残念ではないと言ったらウソになるんですけど後悔はありません。

 最後はそのまま眠るように逝ったようなので何よりで。肺がんの末期ってかなり苦しむと聞いていたので、安らかに逝けてよかった。

 …看取りは昔と違うのですねぇ。昔だったら、食べられなくなったり、飲まなくなったりしたら胃ろうとか点滴とかいろいろしたのかもしれませんが、自宅での看取りだったこともあり、そうした措置もなく。自分もこうやって死ねたらいいなと思ってしまうほどです。

 通夜と告別式が7月3日と4日にあり、明日から私の日常が戻ってきます。

 母が亡くなった時もそうだったんですが、血のつながった親だからか、亡くなっても「いなくなった」感じは全くしていません。遠くに今もいて、連絡したければいつでもできるような。元々、別々に住んでいて、電話とかもマメにしない父と娘だったので、今もどこかにいて見守ってくれているような気がしているのでさみしくないんだよな。

 娘は娘で自分の生を全うするから見ていてね。また何十年後かに会いましょ。

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2024.02.08

父が肺がんになった3

人は誰でもいつかは死ぬ、なんて分かりきったことなのに自分の親のことになると何だか実感がないというか、
「ではどうしたらいいのか?」
よく分からないというのが実感です。

私の父が肺がんだということが判明してから約2年。
ヘビースモーカーだったからさもありなん、別に驚きはなかったなぁ。
発見当時、父本人に全く自覚症状はなくて、抗がん剤治療初めてからも重篤な副作用はなく、1ヶ月に一度病院に行って抗がん剤の投与を受けて帰ってくるという日々が続いていましたが、今年になってがんの影が濃くなってきたから、今までの抗がん剤じゃなくて別の抗ガン剤を投与することになりました
そしたら発熱して食事も喉を通らなくなり、本人もかなりつらかったらしい。
主治医にその話をしたら、
「じゃ、抗がん剤、やめますか。積極的な治療はしないということでいいですか」
みたいなことを言われたとのこと。本人としては
「抗がん剤を打って苦しい思いをしながらでも延命するか」
「それとも何もしないでただ死を待つか」
なんて言われて「後者でいいです」なんて言いにくいみたい。
もし私が本人だったとしてもそうだな。
仮にもし「抗がん剤やめたら後何年」とか言われて、それでいいですなんて言いにくいわね。

ちなみに私の実母はとっくの昔に亡くなっていて、父はその後、10才年下の今の母と再婚しもう20年くらいになります。
その母、つまり私にとっての義理の母は
「肺炎になって急に亡くなることもあるから覚悟するように」
みたいなことを言われてショックを受けていました。

人間は誰でもいつかは死ぬわけで、80過ぎてがんになったらそろそろお迎えかねぇ?という感じは確かにするんだけど、かと言ってまだ普通に会話もできて実家にいけばいつでも会える父が、もうがん治療を一切やめて死を待つ…みたいな覚悟ってまだまだ私にはできていないのが正直なところ。

もし自分がいつ死ぬのか選択できるとしても、とりあえず95くらいまでは生きるんだろうなぁという気がしているので、たとえば今、がんになって、治療しますか?しませんか?って聞かれたら…うーん。まあ一応、緩和ケアだけでもしたいっていうかな。
別に抗がん剤を打たなくたって治療を全部やめるわけではないのだし。
ただ打たないことで、全身に転移して、苦しくなるのは困るんだよなぁ。まあでもそこは0か10かじゃないんだと思うのよね。
いろいろ調べてみたんだけど…結局のところ、楽にあの世にいくにはどうするといいのか、って話。
次に病院に付き添いで言ったら、緩和ケアについて聞いてみよう。

今回は父の話だけど、自分だっていつそうなるかわからない。
そうなったら一応、標準治療はするけど、それが終わったら緩和ケア受けながら死ぬまでをゆっくり生きるんだろう。
悔いがないようにね。
父には今のうちにやりたいこと、聞いておくかな。

(2024年2月8日追記)

今日、つくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅最寄りの国立がん研究センター東病院に父母と一緒にいってきました。主治医から話を聞いたら父や母から聞いていた話どおりのことと、予想外の話と両方ありました。

予想外の話1:父は元々喫煙者だったので、肺がそもそも相当悪いこと。

…いや、喫煙が体に悪いことは分かっていたけど、本人に自覚症状がないようなのでそんなに悪いと思ってなかったのよね。でも、主治医の話では肺がタバコでやられているので、強い抗がん剤を使うと副作用で肺がやられるらしい。そのせいで肺炎を引き起こせば肺がんではなくて、そっちが原因で死亡するリスクがあるんだそうだ

予想外の話2:転移がある

…父と母からは転移はないって聞いてたんだけどしっかり転移している。肺がんによくあるという脳転移こそないけど、肺に複数個所転移があるのもさることながら、骨や肝臓にも転移があるそうなのでそのせいで腰の痛みが出ているらしい。つまりは肺がんそのものというよりはもう体のどこに転移があっても驚いてはいけない。巷でいうステージⅣ状態だなぁ。

 ここまで進行しているんじゃ抗がん剤で肺ガンの進行をある程度防げたとしても、身体全体がすでに終局へのカウントダウンに入っているということ。

 今日の時点では積極的治療をやめるか、継続するかの答えは父本人が出していて、その後、副作用も収まって熱は下がってだいぶ元気になったので、今日は「抗がん剤投与を続けます」と言いに行ったんだけど、それはそれとして「いつ何があってもおかしくない」状態であることはよく分かったわ。医師は「今年の桜は見られる」みたいな話をしてたなぁ。いや、それはそうだけどさ。そんなにあと数ヶ月でガクッといくものなの? 医者の見立てってのもすごいわね。

 私の方はホントに覚悟を決める時のようです。
 まあ、父とはこれまでたくさん思い出を作ったから悔いはないんだけどね。

 おかげさまで、この年になってやっと彼氏もできて「私も一人じゃないから大丈夫」って言えそうだしな。

 

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2022.06.30

初めての人間ドック

 こちらも未来の自分のための記録。

 2022年6月に初めて「人間ドック」を受診しました。職場では毎年集団検診があって、それで充分だと思っていたのですが、年をとるに連れ受診しなければいけない検査が増えて、だんだん検診が辛くなってきました。

 一番嫌なのはバリウム飲んでやる胃のレントゲン。発泡剤飲んでバリウム飲んで、レントゲン撮影のために身体をグルグル動かすのがものすごく大変で、それを職場でやって、その後仕事に戻らなくちゃいけないっていうのがどうにも負担で、それならば職場じゃなくて、自分で選んだもっと快適そうな病院で人間ドック受けた方がいいんじゃないかと。

 以前に転勤で仙台に勤務していたことがあるのですが、仙台での健診は職場ではなく、近くの医療機関で受けるようになっていて、その方が全然楽でした。

 ということで今年は自宅最寄りの消化器内科で人間ドックやっていたので、そこで受診しました。

 胃はレントゲンではなく胃カメラです。鎮静剤を打って受診できるので、以前(初めて胃カメラは5年前の2017年)は意識を失っている間に終わっていました。しかし。

 診療時と人間ドックだと何か違うのか、以前は飲まなかった喉の麻酔も飲まないといけませんでしたし、何より鎮静剤が今回、あまり効かなくて、カメラを入れる時にかなりえずいてしまいました。苦しかったーーーーー!!!

  これならバリウムの方がまだよいかも…。やれやれです。

 あと超音波の腹部健診。これも職場でやると外で待っている人に話が筒抜けでめっちゃ嫌なんでそれは人間ドックはよかったですが…どうも子宮筋腫が大きくなっちゃってるみたいですねぇ。

 以前、子宮筋腫の診断で手術しようか、どうしようか迷ったのはそれも2017年。2017年は1年で3回もCTを撮ることになった厄年でした。当時、複数の子宮筋腫があることやかなり大きいので手術するとしたら子宮全摘出の大事になることが判明し、大きい病院に行って医師に手術の相談をしたところ、その医師が超やる気なくてめんどくさそうだったし、特に日常生活に支障がある症状もなかったので、手術は見送ることにしたんですよね。

 その時の記事はこちら

 その後も特に症状はないのでそのままになっていたのですが、今回の人間ドックでの超音波検査では技師を驚かせるほど大きくなっているようで…

 20cmくらいあるかも、ですって。子宮って普通は7~9センチらしいじゃないですか。え~!? ほんとかいな。

 最初にCTを受けて子宮筋腫が分かった時も「外から触って分かる」と言われていたのですが。

 今の時代、こういうときネットって便利ですね。

 子宮筋腫が大きくなって手術した体験談ってネットで検索するとけっこうたくさんヒットします。

 大きくても開腹手術ではなく腹腔鏡手術で行われたという治療の記録もあるし、やっぱり開腹よりは全然予後が違うようで、5年前開腹しか提案されなかったのは、当時の標準治療がそうだったのか、医師が経験がなかったのか…

 ネットの情報なので話半分とするにしても「子宮筋腫の手術適応は大きさでなく症状」とのこと。貧血に悩む人や生理痛が辛い人は受けた方がいいのでしょう。私は特に困ってないのよね…とりあえず人間ドックの結果を待って、婦人科行った方がよければ行ってみます。

 でも、言われることはほぼ分かっている。

 大病院に紹介されそこでは「手術しますか、しませんか」と聞かれ、するかしないかは自分自身の自己責任。なんだかなぁ。

 とりあえずは結果を待ちますわ。 

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粉瘤記

人間も長くやってると、あちこちにガタが来るのはしょうがない。

大きな病気はしたことありませんが時折トラブルはあり、そんな時、このブログは「病歴」を検索するのに大変役立ちます。

なので今回も未来の自分のための記録です。

2022年6月に「粉瘤」の手術をしました。場所は右胸の下、ちょうどアンダ―バストに当たる部分です。数年前からプツッっと小さく黒くなんかできてる感じはあったのですが、赤く腫れて痛くなりました。ネットで調べると粉瘤の症状。

近所の皮膚科を受診するとやっぱり粉瘤で、腫れは塗り薬と飲み薬の処方で1週間ほどでひいたんですが、粉瘤自体を手術でとってしまうことになりました。

最初に受診してから3週間後に手術。

手術術といってもすぐに終わるたいしたことない手術です。イメージとしては親知らず抜くくらいな感じの小事なはずでしたが、手術を担当した医師いわく「開いたら中で広がってて、膿もまだ残ってた」とのことで、傷口は比較的大きめ。切りとって洗浄して縫って…手術自体は麻酔もしてたし痛くはなかったです。1週間くらいで抜糸。今はまだ傷口は残っていて消えるまでにはまだ時間がかかりそうです。

粉瘤の手術はこれが初めてでしたが、そういえば実家の父もたまにおできができて腫れてたりしたのを見たことあるから体質的になりやすいのかも…またいつかありそうなのでその日のために記録しておきます。

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2022.04.17

父が肺がんになった2

 4月11日から予定どおり、父は入院し、抗がん剤による治療が始まりました。

 抗がん剤の投与は、入院せずとも日帰りで受けられるみたいなのですが、今回は初治療ということもあってとりあえず3日間の入院…の予定だったんですが。

 11日、12日、13日と入院し、14日には退院したんだろうと思って、15日に実家に電話したら、まだ退院してなくて入院しているとのこと。実家にいる義理の母には、父本人から電話が入っているらしいですが、いつ退院できるのかなどスケジュールがはっきりしていないようです。 

(初めて当ブログにいらした方のために書いておくと、私の実母はかなり前に病死していて父はその後、再婚しているので義理の母ということになりますが、実母が亡くなったのも再婚したのも私が成人して家を出てからの話。普通に付き合っております。)

 入退院のスケジュールがはっきりしない…それって普通なのかなー。家族にしてみると気が気じゃないんですけどねぇ。

 最初聞いたときは、抗がん剤の副作用が思ったよりも強く出て状態が悪いとかそういうことなのかと思って心配してしまったのですが、そうではなく、単に抗がん剤治療の後にまたいろいろ病院で検査をしていて、そのせいで入院が長引いているとか。

 それにしたって土日は治療や検査は休みなのだろうから金曜には退院するんだろうと思っていたら、結局、病院スタッフからは何も言われなかったとのことで、月曜日にも何やら検査があるらしく、土日も入院しっぱはなしでした。

 そんなアバウトなの?

 病院のベッドって次の入院患者の予定が詰まっていて、急病のような人はともかく父みたいなケースは居座られると次の人が入院できないから、とっとと帰されるのかと思っていたのに。

 それともやっぱり、思ったより症状が深刻だとかなのかな~

 …っていろいろ考えちゃうじゃないですかねぇ。

 まあでもこうやって書くほど、気をもんでいるわけでは私はありません。

 私は昨日が新型コロナウィルスの3回目接種だったので、かかりつけの病院で接種を受けた後、副反応が出ない内にと昨日は会員になっているスポーツクラブでいつものように筋トレを有酸素運動をして、その後、熱が出たときのためにいろいろ買い物をしてから帰宅。

 今日はずっと家にいますが発熱はなく、用意しておいた解熱剤の出番は今回もなさそうです。

 そうして日々は巡っていく…

 退院したら父から電話くれるそうです。

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2022.04.03

父が肺がんになった

 長生きも半世紀に及ぶと、過去に何があったか検索する時にブログほど便利なものはありません。

 以前、父は胃がんをやってるわけですが、そのときの記事がこちら

 5年前か。そんなに大昔でもないですが何年前かと言われると正確には思い出せなかったのでブログに書いておいてよかったです。

 ということで今回のタイトルどおり、肺がんについても当ブログに綴っておきたいと思います。

 それと「父が肺がんになった」という話って語る相手を選ぶしなぁ。友達にもなかなか話しづらい。でも自分で日記にただ書くだけでは物足りない。こういうときにブログって最適です。

 健康診断に行ったら肺に影があるということで、調べてみたら肺がんだったと父から電話があったのは先月の話。

 父は昭和15年生まれの81歳なので、がんと聞いてもそんなに驚きはありません。話によると胃がんからの転移というわけではなく、今回、肺に新たにがんが発生したようです。

 自覚症状はないし、モノとしては小さいので初期かと思っていたら、がんセンターでの詳細な検査結果が先日正式に通告されたところによれば、リンパ節にも転移のある進行の早いちょっと質の悪いガンのようです。こう書くと胃がんのときも、確か「初期かと思ったら意外と質が悪かった」ので共通しているなぁ。

 最初に話を聞いたときもネットで少し検索したんですが「肺がん」って他のがんに比べて種類もいろいろで複雑。父のは「小細胞がん」というもので、ネットで「小細胞がん」で検索すると「平均余命は2年から2年半」なんて書いてある(汗)。まあガンの余命なんて人それぞれであくまでも「平均」ですけどねぇ。

 治療としては手術はせず抗がん剤投与となるという話があり、放射線治療の話は全く出てこなかったので、父の場合はおそらく「小細胞がん・進展型」と思われます。(参考記事

 進行が早く、どんどん増殖する…これは抗がん剤が効きやすいということでもあるようで。抗がん剤の投与でガンが小さくなったり消えたりする例もあるのだとか。まあ、こういうのも人によるよなぁ。

 小細胞がんは喫煙とのかかわりが強いらしく、父も今でこそやめていますがかなりのヘビースモーカーだったので、まあ肺がんはやむを得ないかな。胃がんになったのも喫煙が原因だったみたいだし、そういった意味ではそれでも80過ぎまで元気ということが逆にすごいと言えるのかもしれません。

 抗がん剤治療は4月11日から始まるようですが、噂に聞くように副作用は当然出そうなので、しばらくはその治療の様子見です。

 今、特に症状もないのに抗がん剤で副作用が出るってのはもし自分だったら憂鬱な話ですが、「効きやすく」「小さくなったり消えたりする可能性がある」と聞くと、近藤誠信者の私でもダメ元でやっぱり「治療してみようか」とは思っちゃうわね。

 それにほっとくと肺がんはけっこう末期がきついみたいだしなぁ…緩和ケアを受けるためにもやっぱり病院のお世話にならないわけにはいきません。

 人間、いつ何があるか分からないとは分かっていますが、こうなるとこの2年のコロナ禍はちょっと悔やまれますね。80歳記念に父と海外旅行にいきたいなんて話していたのに叶わないかも。

 私にとってはたかが2年ですが、全国の小学生、中学生、高校生、大学生達にとってはコロナ禍前と比べて、修学旅行に行けなかったり、部活動が思うようにできなかったりしたコロナ禍の2年が、高齢者にとっても切実なんだということを実感してしまいました。

 もちろん、志村けんさんや岡江久美子さんのように直接的に新型コロナウィルスによって亡くなられた方もいらっしゃるわけだし、多くの人の運命を変えた2年ではあったわけです。

 「あった」なんて過去形にしていますが、すでに感染第7波が始まっているという報道も始まっていて。

 私自身のこの2年は長い人生のたかが2年ではあるのですけど、これからの2年も悔いのないように父の治療を応援して行こう。

 とりあえず来週ちょっと顔見てくるかなぁ。お彼岸には一緒に母の墓参りに行ったんですけどね。普段、用があるときしかいかないのに用もないのに顔出したらびっくりさせちゃうかな。父に会うのための口実に悩むことが出てくるなんて自分でも意外です。

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2020.01.20

風邪2020

新年早々、風邪をひきました。
毎年、正月明けの成人式絡みの三連休に風邪ひいてることが多いので気をつけていたのに…!
でも、病気ってどんなに気をつけていてもなるときはなるのでなってしまったら自分を責めても仕方ない、と最近、悟ったので後悔はしないぞ。

昨年は8月に夏風邪をひき、その後、ずっと咳が長引いていて、最近はずっと荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)という漢方薬を飲んでいます。これを飲むようになってから鼻炎からくるたんによる咳に悩まされること無くなったよなー。

あまり自覚していなかったのですが生来、鼻があまりよくありません。
子供の頃から鼻の通りが悪く、慢性鼻炎で耳鼻科に通っていたこともあったものな。
大人になってから少し鼻もよくなってはきたのですが、今もやっぱり鼻炎にはなりやすいみたいで。
鼻炎になったら、いつものこととスルーせずにちゃんと対処した方がいいとそれも最近思ったこと。
昨年5月からボーカルレッスンに通い始めて「呼吸」を意識するようになったせいもあります。
漢方はよく効いて咳もタンも無くなってきました…その矢先。

正月は生活が不規則になり、そこから急に仕事が始まって、そのせいで体調を崩しやすいです。
分かってはいましたが、なんだか調子悪い1月の最初の1週間が過ぎたあと、1月の最初の三連休、1月11日は午前中はいつも通っている内科の診療がありました。
このとき、すでに喉が痛いという自覚はあったので内科には「アズノール」といううがい薬をもらいました。ネットで調べたところによると「アズノール」には抗炎症作用があるようで、喉が炎症を起こしている時に効くんだよなぁ。
早めにうがいを始めたせいかは分かりませんが、今回の風邪では熱は出ず、ひたすら「鼻炎」でした。花粉症の時のように水っぱながずーっと出っ放し。マスクしているとすぐ鼻水でびしゃびしゃになります。

こうなると漢方とか悠長なこと言ってる場合ではなくなったので、鼻に効く黄色のベンザを服用。
ベンザ、効いたなー。
12日、13日は、家でゆっくり休んでいましたが、休み明けの14日がもう鼻水ズルズル状態。
こりゃいかんとベンザを飲んだら15日にはピタリと鼻水は止まりました。ベンザ、すごい! でも15日、16日は倦怠感はずっと続き、仕事には行っていましたが頭はほとんど働かない。
17日にはかなりマシになってきました。
18日はものすごく寒かったのですが、予定がありましたので外出。少し咳は出たけど生活に支障がないくらい回復。
19日、1日休んで、今日はもうかなり元気です。普通に過ごせてます。ありがたい。

最近、風邪をひくととかく長引くので、今回は1週間くらいでよくなってほっとしました。
というか、風邪ってこのくらいで治るイメージなので、直近何回かあった、

風邪ひく→熱で動けない→熱下がる→鼻炎・セキが一ヶ月以上継続

のパターンがちょっと異常です。鼻炎の漢方を飲んでのどが痛くなったらすぐアズノールでうがいするなど悪化させないように気をつけなくちゃ。

さて、2020年はこれを皮切りに何回、風邪をひくことになるんでしょう。
病はなるときはなる、努力で避けられない。分かってはいてもできるだけなりたくないよなぁ。
規則正しくバランスのとれた食事、体を冷やさない、など基本的なことは怠りなく、新しい年も過ごしたいと思います。

遅くなりましたが、今年も皆さま、相変わらずの当ブログをよろしくお願い致します。

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2019.09.29

何回目だ、バルトリン腺炎

 久々に、いつものあの場所が腫れてきました。

 いやぁ、これねぇ、何回目だろう。5回目くらいかな。

 最初は何が起こったか分かりませんでいたが、今はもう分かってます。「バルトリン腺炎」です。

 確かにね。ここ最近、風邪ひいて、くしゃみの度に尿漏れもあり、尿漏れ予防パッドが手放せない状態で、ちょっとかぶれてきたかな、という予感はあったのですが、ここんとこしばらくは「バルトリン腺炎」予防のコツをつかみかけてたこともあって、油断してたのよねぇ。

 予防のコツは簡単です。

 清潔にすること、触らないこと、エロいことを考えないこと。

 でも今回は、何かがうまくいかなかったらしくしっかり腫れてしまいました。例によって行きつけのレディースクリニックは予約いっぱいで「明日診て欲しい」と思っても、まず予約が取れません。仕方なくとりあえずこの土日、自分でなんとかするためにネットを漁ると…「自壊」というキーワードが。

 バルトリン腺炎の何が痛いって、例のあの場所がパンパンに腫れてしまうことです。歩けない、座れない、どうしようもない。

 バルトリン腺の出口が詰まって、中に細菌が入ったりして腫れている状態なのですが、物理的に言えば、詰まっているんだからそれを出せばラクになるわけです。

 腫れているところをプチっと、たとえば熱した針とかでやるのがいいのかもしれませんが、それはさすがにしたことがなく。

 私流の自壊、つまり腫れているところを何とかする方法は、ネットなどの力も借りまして、以下のとおり。

1 風呂に入って患部をふやかす。

2 鏡で患部をよーく観察。

3 すると、今回は白く膿が出ている部分がありましたので…

4 周囲から指で押して、膿を出してやる。

5 血も出ますし、ちょっと痛いですがガマン。

6 膿と血は清潔な布やティッシュで拭き取る。

7 押しても何もでなくなったら、しばらくそのまま放置。下着は履かない。患部に触れない。

8 しばらくしてみるとまた膿っぽいものが出ているのでまた指で押しだす。(以下繰り返し)

現在、1日経過しまして、だいぶ、腫れているところがしぼみ、痛みもなくなってきました。

あまり人に勧められた方法ではなく、本来、病院で見てもらった方がいいに決まってますが、私のように「とにかくイタイ、何とかしたい」という人もいますからねぇ。

くれぐれも自壊処理中、患部はきれいにし、なるべく触れないで、膿が気持ち悪いときは水洗いがいいと思います。

ネット情報では、馬油などを塗るというのもありました。

アルコールは…しみそうなので私は試してませんが、傷なので、細菌感染しないようにホントは消毒とか必要なのかもなぁ。

 

あの…病院にいける人は病院に行きましょう。抗生剤とか処方されると早く治りそうです。

長く生きているとほんと、いろいろ大変なのですが、リカバリの方法も徐々に身についてくるようで。

私もネットの力を借りましたので、ご参考までに自分の例を挙げておきます。

でも、ホント、他の細菌感染なども心配なので、まずは病院行けたら病院に行ってね。

 

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