日記・コラム・つぶやき

2019.08.06

夏の思い出

打首獄門同好会という物騒な名前のバンドの「なつのうた」という歌を聴いていて考えたのですが、私にはどうも夏の楽しい思い出というのがないようです。

夏と言えばひたすら暑いだけ。
学生の頃は、暑い中、部活に行って汗だくできつい思いをしたなど、とにかく暑くて嫌な印象しか夏にはありません。
家族でプールや海や山にも行きましたが、特段、夏だからという感じではないなぁ。
旅行は春や秋の方が断然、気候的にはいいもんな。

フィクションの世界では夏というのはなにやら事件が起こったり、ひと夏の恋なんかあったり、なんだか特別な季節のように表現されたりするのですが、個人的な実感では、そういう特別感は全くなく、ただ暑いだけ。
夏だから何をするというわけでもありません。
子供の頃は夏休みで楽しかった思い出などもありそうなものですが、高校野球を見たり、祖母や祖父の家に行ったりしたくらいかな。

ましてや大人になった今は、お盆休みが特段ない仕事に就いたせいで、普段と同じように通勤しているだけです。

夏ねぇ。なんか特別ですか?
12月のクリスマスや年末年始の方がよほど特別感があるけどなぁ。

今朝、通勤で自転車をこいでいたら、青い空にモクモクの入道雲、ああ夏だなぁという気はしました。
だから何だって感じですが。

夏で困るのは、食べ物が腐りやすく、何でも冷蔵庫に入れておくと冷蔵庫がいっぱいになっちゃうところ。
冬なら冷蔵庫にいれなくてもいいものが多いのに。
食事も冬はとりあえず鍋でいけますが、夏はとりあえず…なんですかね? トマトとキュウリでしょうか。食べるものも困るんだよなぁ。がっつりご飯とか食べたくないし。そうめんなど麺類はダイエットによくないし。

夏のいいところを無理に考えてみると…そうですねぇ。
洗濯物はよく乾きます(ただし夕立に注意)。
暑いので、1人の時は裸でいてもいいし、Tシャツと短パンでもいいし、冬より服は適当でいい(人が来たら困るけど)。
電車が空いている(最近、自転車通勤だからあまり恩恵なし)。

夏は暑いから、みんなダラダラしていて、自分がダラダラしていてもそんなに目立たない。
何もせずに昼寝ばかりしていても怒られない。
これかな、一番のメリットは。
昼間に寝すぎるから夜眠れなくて、ゲーム三昧、読書(主に漫画)三昧、今だったらネット三昧・・・でも次の日も休みだから全然OK。なんだか、過去の夏休みを振り返るとそんな感じですね。

思う存分ダラダラできるというのは、もしかすると素晴らしいことかも。
おや、夏って意外といいものじゃないですか♪

残念ながら社会人には夏休みはないから夏でもなかなかダラダラできないけれど、せめて次の三連休は、土日は予定があるのですが、月曜は何もないので、夏らしくダラダラしようと思います。
うん、そう考えると夏って好き♪

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2019.06.15

早く帰りたい…

 5月から部署の異動がありまして、めちゃくちゃ忙しいところになってしまいました。5月も6月も残業続きで疲れたー。口唇ヘルペスも出ちゃったし、やっぱ疲れてるよなぁ。

 先週は、研修で3日間ほど、出張してたので、月曜日にまた仕事に行くのがゆううつ。めっちゃたまってんだろうなぁ、仕事。考えるだけで嫌だわ。

 世の中は働き方改革で、残業規制もかかっていて、あまり残業もできません。しかし仕事は山のようにある。どうしたもんかなー。

 

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2019.05.21

「ブスの本懐」

 先日、我が家で中学校時代の友人二人と久々に再会し、昔話に花を咲かせました。

 もう一人、今、結婚してニュージーランドにいる友人がいて、ライブチャット。とても楽しかったです。

 でも、ライブチャット…ニュージーランドの友人には、動画メッセージも送りましたが、それを自分で見ると。

 友人二人は年を取っても美しいのに、私は…ブスだなぁ~(苦笑)

 

 表題の「ブスの本懐」はカレー沢庵という方の書籍で、存在を知ってからずっと一度は読んでみたいと思っていました。曰く、「ブス」はそれこそ「天空の城ラピュタ」に出てくる滅びの呪文以上のパワーをもつ呪いの言葉。その一言が全てを台無しにします。

 なんて他人事みたいに書かずとも、私はもう昔から、十分、この身をもって知ってますとも。母親にさえ「整形したらいいのに」と言われたことありますからねぇ。

 悟ったようなことを書いてしまいますと、なんだかんだ言ったって人間にとって「見た目」ってめちゃくちゃ大事なのです。そんな本もありますね、「見た目が90%」とかなんとか。

 ただ、いろいろブスと美人の所得格差などを語った本などを読んだりして私が思うのは、もちろん見た目で得する分野はたくさんあります。その分野で比べたら見た目がいい方に勝るに決まってるわけで。

 私は生粋のブスですから、最初から同じ「見た目」を競う場所でそういう女性達と戦うつもりはありませんでした。見た目が残念でも生きる方法はあるはずですし、実際あります。そのために情報収集、行動あるのみ。

 ブスを嘆いたり、美人との格差にジタバタしたって仕方ありません。

 ブスにはブスの生き方があります。

 それで私は十分、今、幸せ。

 「見た目」で競う戦場の最たるものはコンカツです。男性の争奪は見た目がいいものが絶対的有利で、それを知ってるからからこそ、女性はダイエットや美容やファッションに余念がないわけです。

 私はその戦場からは早々に離脱しました。だから幸せになれたのかもな。

 ブスでない人、美人や普通の人は結婚してください。そして幸せになってください。でも私はだめだわw

 でも、その代わりにたくさんのものが手に入りました。友達もそうだし、男性に振り回されない分、自分の本当に好きなことに没頭できましたし。実らなかったけど恋もしました。実らなくても恋の経験は楽しかったです。過ぎてみればね。

 ブスのいいところというのは本当に「男性に振り回されない」それに尽きます。

 友人が我が家を評して「女子力高いね」とほめてくれました。

 インテリアが素敵なものが多く、おしゃれだからだそうです。

 でも、それ聞いてびっくりしましたよ。誰に見てもらうわけでもなく、自分が暮らしやすいように自分が好きなものを揃えて生活しているだけなのにな。「女子力」? ちゃんちゃらおかしいわw

 男性に「女子」として評価されようなんて気持ちはとうにありません。そんなものがなくても私は十分生きていける。それが私の今です。

 

 なーんてね。ブログでは書きますが、人にはリアルには言いません。だって「イタイ」じゃないのw

 どう語ったって「負け惜しみ」と思われる。幸せ自慢なんてそんなものです。でも「ブスの本懐」を読んだら、ちょっとだけ語ってみたくなったので書いてみました。

 ふふ、やっぱりイタイかなぁ。ま、いいけどね(苦笑)

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2019.05.01

祝 令和

 昨日と今日は、平成から令和への移行に伴う、皇室の行事のテレビ中継をがっつり見てしまいました。昨日の夜はプリンセス美智子様もドラマも見ました。

 政教分離だから、テレビで放映する際になるべく宗教色を失くすことが必要なのは理解しているのですが、直観的に私が思うのは、おそらく皇室の意義って、この国を何らかの人智を越えた祈りで守ることにあるのではないかってことなのです。

 おかしいかなぁ。

 もちろん、そうした祈りや願いが強制力を持ち始めたらまずいし、その力を利用しようとする者も出てくるから表向き「ない」ことにしないといけないのだろうけど、おそらく「天皇家」というのはそういう神職なのだろうと思うのです。

 神職が権威と結びつき、支配者としての性格を帯び始めることを、私たちが注意深く警戒しなければいけない理由は歴史が証明しているんだけど、権力と結びつくことを可能な限り避けている分には、天皇家は「国民の安寧」という祈りのためにこの国にあるのだろうと。

 私の洞察は間違っているかしら。

 いや、何が言いたいかというと、お祭りを楽しんだり、正月に初詣出にいったり、受験の合格を祈願したりするのと同じように、私たちはもっと天皇家のことを知りたいのに、天皇家が古来のしきたりに基づき、国の繁栄を願ったり、五穀豊穣を祈ったりすることを、どうしてもっとテレビでやってくれないのかということ。

 あの方たちは、天皇家に生まれたというだけで、私たちにある基本的人権さえも保障されず、自由に生きることが許されていない。

 雅子皇后や美智子上皇后は、天皇家に嫁ぐという形で自ら決断してあの世界に飛び込んだんだけど、男性はガチガチに縛られて、私たちの象徴であることを生まれながらに強いられてしまっている。

 もちろんある程度の自由は昔よりはあるし、自分がどんな天皇になるかも自ら選べるんだろうけど、ね…

 その自由と引き換えに、天皇家が日本のために何をしているのか、もっと私たちは知っていた方がいいんじゃないのかなぁ。

 そして時として、天皇家と一緒に何かを祈ったり、願ったりすることも必要なんじゃないだろうか。わざと隠されているんだよね。そして、誰もそれを教えてくれなければ知る機会さえない。

 今はネットがあるから、これからは知ろうとしさえすればきっとそれも不可能ではないとは思うんだけど。

 無理やり政教分離して批判を避けようとすることが不自然に感じられてならないわ。私たちも、いや私たちこそ、国の繁栄を願わなければいけない立場にあるというのに。

 願ったり、祈ったりすれば全て解決するのかと言われればもちろんNOだ。

 私たちは行動し、自らの国を自らの手で作っていかなければいけない。神はいないし、仮にいたとしても、私たちは神ではなく自分たちの手で自らの未来を選択する。

 けれど、時として天災はやってくるし、想定外の事故はどんなに備えたって発生する。

 傷ついて、それでも立ち上がらなければならないときもあるだろう。

 その時になくてはならないのが、願いであり、祈りなのだ。

 上皇はそのことをよくご存知であり、それこそが天皇家の役割だと知っていたからこそ、各地の被災地や戦跡を訪問し、慰霊の旅をされてきたんだろうと思います。

 多分…神様まかせにするのはいけないんだけど、全てが自分の力で変えられると思うのは人間の驕りなのでしょう。

 

 退位の昨日はずっと雨が降っていました。でも即位の今日は、即位後朝見の儀の頃、おだやかな光が差していました。

 新しい天皇陛下の即位と新しい令和の時代の到来を、今日は心よりお祝い申し上げます。

 

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2019.04.23

異動

毎年この時期になると、若くして自ら命を絶った同僚のことを思い出します。

命日は5月12日。

東日本大震災の後、当時、私とその同僚は同じ部署で東北の復興支援の仕事をしていたのですが、同僚は4月の末で1年の任期が終わり、5月のゴールデンウィーク明けから元いた職場に復帰することになっていました。
12日は元の職場への初出勤の日でした。

遺書によると自殺の原因は仕事ではなかったようです。
本当の原因は分からないのですが、同僚は職場に迷惑をかけたくないとの思いからしっかりそのことを書き残していたと聞きました。

一緒に働いていた間もそんな素振りは全然見せなかった。
自ら命を絶つほど悩んでいたことがあったのに、誰にもそのことを話さないまま逝ってしまいました。
そのことがどうにも悔しく、悲しかったことを今でも思い出します。

私も異動を今まで何度も経験してきました。
今年は4月いっぱいで今まで所属していた部署を離れ、5月から新しい部署に移ることになり、溜まっていた不要な書類を捨てたり、必要なものをファイリングしたりしながら整理を進めているのですが、この作業をしているとこのタイミングを同僚が選んだ気持ちが分かるような気がしてなりません。

異動というのは不思議なものです。
それまで必死にやってきたこと、目指してきたこと、積み上げてきたものが全て目の前から消え失せます。
新しい部署ではまた新しい目標があり、新しい課題があり、それを必死にやっていくことになり、それは今までもこれからも何も変わらないはずなのですが、そう思ってみても、
「何かを失うような感覚」
がどうしてもしてしまいます。

もちろんそれは後任に引き継いでいくのだし、自分が担当ではなくなってもなくなるわけじゃない。自分はまた新たなことを覚え、チャレンジしていく。
それはサラリーマンであればみんなが経験してきたことだし、これからも経験し続けることで、何も私が特別なわけではないんですけど。

そこにゴールデンウィークの長い休みが挟まると余計に思ってしまうのかも。
ここで全て終わりにしてしまってもいいんじゃないか、と。

仕事でなくても同じなのかな。
人は、この世界に生まれ、成長し、その時々にいろいろな経験をし、恋をしたり、辛い思いをしたり、いっぱいいっぱいいろんなことを考えて 喜んだり、悲しんだりしながら生きています。
でもそれって、何か意味があるかというと、そのこと自体には特に意味はない。
自分にとっては大事なだけど、他人にとっては関係ないこと。

仕事はたくさんの努力やたくさんの苦労をしながら仮に結果を出したとしても、異動してしまえばそれは自分のものではなくなります。
それって「喪失」の感覚に他ならず。
がんばった経験は自分にとっては意味はあるけど、逆に言えば自分にしか意味はない。

私は、
「生きることには意味はないけれど、意味なんかなくても生きることはそれだけで楽しい」
と思って日々を生きています。
だから、異動で、今まで頑張ってきたことが自分のものではなくなり、残るのは「経験」という自己満足にすぎないとしても、そこで「死んで終わりにしたい」とは今は思いません。

漠然とした期待でしかありませんが、生きている限りは何かを失ったとしてもまた何か新しいものを得るのだろうという気持ちがあるからです。

何を得るかは自分次第なので、また明日も新たな何かを求めて生きていきます。

ただ…やっぱり異動ってね。
失うものの大きさを思い知らされるというか。
逆かなぁ。
自分が今まで必死にやってきたものがこんなにちっぽけだったということを思い知らされるせいかな。
その感覚がどうにも悲しいというか、切ないというか、やるせないというか。

きっと同僚もそんなふうに、異動のためにそれまで自分の住んでいた部屋を片付け、元の職場に戻るために身辺整理をし、いろんなことを思って過ごしたゴールデンウィークだったのだろうと。
その心中を思うとやっぱり涙があふれてきます。

また会おうね。
いつかきっと会おう。
私も命が尽きる時が来たらきっと行くところは同じだから、さ。
もうしばらく待っていてね。

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2019.04.15

10年後もしくは20年後に。

 すっかりこのブログ、不定期更新ですみません。

 定期的に見ている人はいないだろうな、と思ったら、そうでもなく、3月5日から4月の記事まで一ヶ月以上間が空いたために心配させてしまったようです。

 すみません、その間もとても元気でした。

 何をやってたかというと、2019年3月23日は、私が仙台にいる当時に始めた「Ingress」というゲームの「アノマリー」という、イベントというか大会というか、そういうのが東京でありまして、今までは個人(ソロ)でしか参加してなかったんですけど、今年は初めてチームにエントリーして参加しました。

 Ingressを知らない方に一言で説明するのはとても難しいのですが、スマートフォンを使用して行う、現実の世界を舞台にした陣取り合戦です。

 現代のスマートフォンには、ほぼ全てにGPS機能がついていて、現在地を地図上に表示させる機能があります。Ingressはそれを利用しています。

 現実の世界の地図に「ポータル」とよばれるチェックポイントをいくつか設置してあり、複数、とりあえず3か所のチェックポイントを実際に足で歩いてチェック(ハックと言います)して、その三か所のポイントを繋ぐ(リンクと言います)と、三角形の陣地ができます。「Ingress」はそうして現実の世界のチェックポイントをたくさん周り、三角で囲い、自分のチームの陣地を作っていくゲームです。

 「ゲーム」とかいうと怒られるのかなぁ(笑)

 私は「Enlightened」という色で言うと緑色のチームです。この世界に存在するXMという未知のエネルギーを今後も積極的に取り入れ、活用し、人類を新たな進化へ導くために活動する一派、ということになっています。

 一方の「Resistace」は色でいうと青色のチームで、XMの影響から人類を解放、防衛しようとしています。

 私はIngressを勧めてくれた友人が緑だったのが、緑を選んだ一番大きな理由ではあるのですが、現実的にも支持したいのはやっぱり前者かなぁ。XMってのが何かはよく分かりませんが、結局、青だ緑だと陣地争いをする、その理由の根源は上記の設定にあるわけで。「Resistace」が勝ったら、Ingress自体が終わっちゃうのではないかしらん。

 まあ設定はどうあれ、私は、歩くことや旅行をすることが大好きなので、そうやっていろいろなところへいく度に、様々な「ポータル」を「ハック」し、その場所に自分の足跡を残していくことがとても楽しみなのです。

 幸い、3月23日の東京での「アノマリー」は緑の「Enlightened」が大勝利を納めました。普段、地元では「Resistace」にやられっぱなしなので、とてもうれしかったです。その日だけでなく、次の日も、その翌週もアノマリーの関連イベントで散々、東京を歩きました。いやぁ、楽しかった♪

 そんなわけで、3月はほぼアノマリー一色、ingress一色だったのですが、4月に入って現実に帰ってきました。

 テレビでもNHKの朝ドラは、大好きだった「まんぷく」が終わり「なつぞら」が始まっています。

 なつぞら、最初、ちょっと嫌だったんですよ。親を戦争で亡くし、たった一人、知り合いに引き取られて北海道の十勝に移り住むことになる女の子…だなんて、もう可哀そうで見てられなくて。でも、あまり冷たくも意地悪もされず、なんとか北海道の家庭に馴染むことができたようで、結局、続きも見てしまいました。

 その「なつぞら」で、北海道の荒れ地を、1年ではだめ、2年でも3年でもだめ、それ以上かかって緑豊かな土地に変える開墾が先週、始められていました。

 1年や2年では無理。

 でも10年なら。20年なら。無理だと思われたことも可能となる…

 ふとそれを見ていて思いました。私はどうなんだろうと。

 この20年で私は何か、そういうことができただろうか?

 一つ、囲碁は10年以上かかりましたが、初段になることができました。初段になるのが目標だったし、これ以上はちょっと上達できるような気がしないので、一区切り。

 だとしたら、これからの10年、20年で、今は荒れ地だとしてもその長いスパンで何かを叶えたいなぁと。

 新しく何か始めたいな。

 ダイエット? いやぁ、1年、お金もかけてがんばりましたが、それはちょっと…(苦笑)いや、まぁ、続けますけどね。

 そういえばメディケアダイエット記事も、総括を書かないといけないな。

 ダイエットは一生涯続けますけど、それはそれとして、何かこれからの10年もしくは20年でやっていくことをこれから見つけたいと思ってます。

 令和も始まるし、ね。

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2019.04.10

ひとりごと

 たとえば、夫の立場で奥さんの愚痴を聞くときがあるとします。愚痴ってのは大体が感想ばかりです。解決しないから愚痴という。

 コーチングでは「事実」と「感想」を分けて聞くと前に習ったことがあるのですが、妻の愚痴を聞くときに、大事な事実は

「妻はそれを困ったと感じている」

 というただそれだけ。愚痴の内容をまともに聞いてはいけない。ましてやその愚痴の内容が正しいか正しくないかなんて関係ない。「正しい」とか「正しくない」というのはコーチの「評価」でコーチは相手のことを評価してはいけません。

 

 誰かの悩みを聞くときに、コーチングでコーチは自分からその問題への解決策をアドバイスすることもいけないとされています。

 なぜならその悩みは相手の悩みだから。

 コーチの悩みではないから。

 解決するのはあくまでも相手なので、コーチが勝手に解決したらダメなのです。それは解決にはならない。

 

 誰かの悩みを聞くときは「自分の気持ち」を切り離さないといけない。

「自分はこう思う」

 なんて言っちゃいけない。

「こうした方がいい」

 もNGなのです。

 

 ・・・というのが鉄則なのに、つい今日は「〇〇した方がいい」と言ってしまったなぁ。しまった(汗)。

 自分の感情や思いを一切挟まずに、相手が自分で解決できるよう、事実だけを聞くこと。

 もう一度、胸に刻まねば。

 プロのコーチじゃなくてよかったわ。これでお金をもらってたら信用を無くしてしまうわ。

 

 でも、私を信頼して相談してくれる人のために、何かしらその悩みの解消の手助けができたら、と。

 そのために指針となるのはいつでもコーチングで教わったことだったりします。 

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2019.02.26

友がいつの間にか離れていく人

子供の頃から友達を作るのが苦手でした。
自分が人からどう見られるのか、嫌われるんじゃないか、ということばかりが気になって、何も話せなくなっちゃうんですよね…。

私を知る人からは信じてもらえませんが、正真正銘の「人見知り」なので、初めての人がたくさんいる場などは苦手ですし、飲み会などでは何を話したらいいのか分かりません。

友達は多い方ではありません。
多いければいいってものではないでしょうし、親しい友達が何人かいればいいとは思っていますが、遊びにいくのも誘われることはほとんどなく自分から誘うことの方が多いです。それが不満なわけじゃないのですが、もしかして、私って…

「友がいつの間にか離れていく人」

なのかしらん?
そう思ってリンク先の記事を読んでみたらなんと思い当たることばっかりです。げげ。

特徴① すぐ「ダメだから…」という
う~。
自分は独身ですが、家庭を持っている人の子供の話を興味を持って聞いたりするようにはしてるけどなぁ。
相手の趣味や関心を否定するようなことはしないように気を付けてはいるのですが。
気を付けてるってことは「やりがち」だってことか!?

特徴② すぐ「私はね…」という
これはですね。
相手に共感したいから言ってるだけで、決して話を奪い取ってるつもりはないのです(汗)

友人「この間、〇〇という映画を見たよ」
私「私もこの間××という映画を見に行ったよ~」

…やばい。これ、まさにこのケースですよね。
共通の話題がないかと探すつもりで、自分はこーだ、あーだって話ばかりしているかも。
人の話を聞け!!

特徴③ 人のうわさ話
人の悪口は嫌いなので言ってないつもりなんですが、たとえば…

友人「私の友達がこの間、ガンで入院したんだ」
私「そうなんだ。私の友達もガンになった人がいてね。手術を〇月にしてそのあとの経過が…」

なんでそういう自分の「友人」のデリケートな話をしちゃうんだよ!!
「私の話もこんなふうに誰かに話されているのかも」
って思われても仕方ないだろーが!!

だめだ…どうりで友達が少ないと思った(爆)。
友達と話してるときって、変にサービス過剰になっちゃうんですよねぇ。
何を話したらいいのか、何を話したらだめなのか、意識しすぎてることも多いし。
で、結局、話してることと言えば
「私も〇〇」

「私の友達も〇〇」
って、それじゃあんた…友達無くすって。

普通の人は友達と話す時、何を話しているんでしょう。
テレビの話? まあそれなら当たり障りがないわー。
共通の趣味、共通の好きなもの、そんなとこかな。
自分が話さずに人の話を聞くのも大事ですが、そうしていると
「どうしたの? 疲れてる?」
って聞かれます。

ああ、もっと話し上手、聞き上手になりたいよ。

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2019.02.12

パパ活・ママ活

 ツイッターでたとえば「#パパ活」で検索するとパパを探す子供たちのツイートを見ることができます。
 パパ活を知らない方に解説すると、
・若い女性が裕福な男性から金銭的支援を受けること
・女性側からそうした支援をしてくれる男性を探す活動
これが「パパ活」の定義って感じかな。
・若い女性が裕福な男性から金銭的支援を受けて裕福な生活をする「状態」
のこともいうのかもしれません。
 支援をしてくれる男性が「パパ」というわけです。

 ツイッターなどのSNSが普及したことで、他人同士が共通の目的で出会うことが今の世の中では簡単にできるようになりました。

 私にしても、カラオケ仲間や囲碁仲間、読書趣味仲間、ゲーム仲間など趣味を通した知り合いはみな、インターネット経由で出会いました。それでもう10年以上付き合いが続いている人もいます。

 なので、それが男女の出会いであってもインターネットが便利なツールであることは分かります。

 まだ学生で自分で働いていないため、自由に使えるお金のない若い子たちが…そう、女性に限らず、男性の若い子が「ママ」を探す「ママ活」「姉活」っていうのもあるんですよ…自分に金銭的な支援をしてくれる相手をネットで探しています。

 さて、これを見ているあなたは、パパやママになってあげたいと思いますか?

 私は、なりたくないなぁ。そんなに裕福じゃないってのもありますが、もし仮に自分がお金がある男性でもお金があるんだったらもっとちゃんとしたものに投資したいし、私の知っている、株で食ってる男性は余裕のある分は東南アジアの貧しい子供たちに支援をしていました。余ってるお金があるなら福祉関係に寄付したいよなぁ。

 ただ、要はパトロンですかね。
 歌や踊りを勉強して芸能界に入りたいって言ってる若い子に、お金出してあげて、夢をかなえてもらう。相手からは感謝してもらう。それも同じと言えば同じです。

 でも、ツイッターとかで見ているとあんまりそこまでの夢とか考えている感じではない。会って、デートするだけで1万円くらいのお小遣いをもらえると思ってパパを募集している子が多いみたいです。「一緒にショッピングに行きたい」と言う子もいる。パパにいろいろ買って欲しいものがあるのでしょう。

 知らない人から物をもらうな、と教わらなかったのかなぁ。
 そんな教育ができる家庭じゃないんですかね? でも、「買ってもらう」ことに抵抗がないんだから、親からは買ってもらうことに慣れているわけでしょ?
 親が買ってくれなくなったから「パパ」や「ママ」を探しているのでしょう?
 
 普通に考えると、何の見返りもなく見知らぬ女の子、男の子に物を買ってあげたり、お小遣いあげたり、食事おごったりは私だったらしません。
 でも男性は女性と食事にいくとおごるのが当たり前だった時代もあって、それで感謝されると気持ちよくなったりするらしいから、今でもそういう感覚でパパになる人もいるんですかね。
 
 ふむ。もし私が年収1000万越えの男性だったら、食事おごったり、ショッピング行ったりして、好きなもの買ってあげた上に、「先払いね」って言われて、出会ってすぐ1万円あげたりしちゃうのかなぁ。
 ダサすぎるというか、不毛というか…そんな子供に搾取される自分が情けないけどなぁ。

 一般的に男性としてはやはり相応の「見返り」は期待するようです。
 子供の方もそれを心得てて、「手つなぎ 〇〇〇〇円 ハグ〇〇〇〇円」とシビアな価格設定をしている場合もあるようで。それがもっとエスカレートすると売買春にもつながってしまう。

 つまりやっぱり、ただデートしただけで他人はお金くれないし、おごってもくれない。
 なんでそれだけでお金もらえると思っちゃう子供がいるのかがそもそも不思議です。

 お金はそれ相応の労働の対価として支払われるもの。
 確かにパパやママはお小遣いくれるけど、それは他人じゃなく本物の「パパ」「ママ」であって、あなた方はそうして養われる代わりに親の言うことに従わなくてはいけないのですよ。
 他人がパパやママになった場合も同様。金もらうならそれなりの代償を支払うのは当然だし、パパやママの言うことに従わないといけない。
 それを理不尽に思うなら「パパ活」や「ママ活」で他人に何か買ってもらおうとかお金をもらおうとか考えてはいけないなぁ。

 どう働いて、どう金を稼ぐか。
 それは大人である私たちにとっても大問題です。
 君たちも大人からもらうことを考えるのではなくて、一緒に働いて、生きていくのに必要なお金を手に入れようよ。
 それができれば、私たちは、誰にも支配されない、真の自由を手に入れることができるのにな。

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2019.01.24

なぜ結婚は難しくなったのか

非婚率が上がり、結果として出生率も低く、人口減少が社会問題となっています。
なぜ結婚できない男女が増えたのか?
結婚したいという人は少なくなってはいないと思うのですが、どうも男女のマッチングがうまくいっていないように私には感じられます。

ちょっと整理してみました。

男性が結婚を望む理由には「子供が欲しい」というのがあると思います。

(男性編)
〇子供が欲しいのでパートナーになる女性は若い方がいい
〇けれど20代の女性はまだまだ仕事をしたい盛り
〇10代後半から20代前半の女性で結婚願望がある人もいなくはないが、彼女たちからすれば相手は選びたい放題。
〇その年代で結婚を考える女性は専業主婦希望が多いのでは。
〇とすると、女性からはより高収入の男性が選ばれる。
〇かつ女性も可能なら、高齢男性よりも同年代の男性がいいと考えるので、若くて高収入でその他の条件(ルックスなど)がいい少数の男性が選ばれて、収入があっても30代、40代の一般男性はあぶれる。

一方、女性は…

(女性編)
〇「20代は仕事をしっかりして20代後半から結婚は考えたい。仕事は続けたい」
〇望む相手は同世代。
〇しかし男性の20代後半から30代はあまり結婚は考えてない。婚活市場に出てくるのは30代、40代のおっさん。
〇ただし、30代、40代男性も30代の女性は眼中にない。可能な限り「若くてきれい」な女性がいい。
〇結果、30代以上の女性はあぶれる。

いわゆる「自然」なのは10代、20代の学生の内に出会い、付き合いを重ね、お互いに20代後半から30代前半になったら結婚するパターン。
女性も男性もそういうのが、多分、求めている「理想」です。
私はかつて、自分もそういう自然なルートで結婚できると思ってたのよね。
20代後半からはちょっと焦って、合コンや友達からの紹介やお見合いパーティや一般的なお見合いなどもしましたけども(汗)

上記の箇条書きのような整理をすると「婚活」で理想の結婚をしようなんてのが土台無理というのが分かります。
30代、40代になって特定のパートナーもいないのに婚活で理想の相手と出会いたいなんて無理。
婚活で理想の相手と出会って結婚できる人は、いないとは言いませんがとても少ないと思います。

結婚したいなら男性も女性も、同年代の相手を、学生の内に見つけておかないといけないよな。
男性も年をとってから若い子と結婚しようなんて考えてるとしたら、
「あなた、ルックスと収入にそんなに自信がありますか」
てなもんだよなぁ。

無論、同じことは女性にも言えて「婚活は30代になってから」なんて考えてたらだめ。
おまけに女性は30代になったら「ルックスと収入」に自信があってもだめなのがつらいところ。
男性にとっての女性は若さだけが価値みたいですから。

例外はもちろんあるとは思います。
ただ例外は例外だから可能性としてはとても低い。
「例外の人もいるから」
と安心してはいけない。自分がその例外に入れるとは考えない方がいい。
例えるなら「宝くじには当たる人もいる」くらいだと思った方がよさそうなくらいです。
多くの人は「選ばれた人」なんかではなく「その他大勢」なのだから。

ただね。20代の頃の自分を振り返ると思うんです。
若さだけが自分の価値だというのは当時の私は分かってました。
でも、だからと言ってお見合いで紹介された、好きでもない相手と結婚したいか?
そんなに結婚ってしなくちゃいけないのか?
自分も働いてるし、自分の食い扶持くらい自分で稼げる。なのに?

自分の子供はそりゃ欲しかったです。
当時は当たり前にお母さんになることを疑ってもいなかったもの。
でも、恋愛して結婚してその先に家庭があるのなら「恋愛」「結婚」のハードルが高すぎて、どうしてもクリアできませんでした。

ここだけの話、好きになった人はいましたよ。
バレンタインにチョコ渡した人もいましたし、自分から告白もしたし、ネットでのやりとりで親しくなってデートまでいった人もいました。
でも相手からは選ばれませんでした。
しょうがないよなー(苦笑)。縁がなかった。ほんとそれに尽きます。

一人で生きる人生ももちろん悪くはありません。
私はどうも一人が向いているみたいですし。
けれど、人間としてのサガなのか、そういう同じ孤独を分かち合える誰かがいたらなぁと思うことは多々ありました。今もね。
だから、今、まだ間に合う人たちには「自然に結婚」なんてできないのだから、パートナー探しはできるだけ早くから頑張って欲しいと言いたい。
みんながみんな結婚できるわけではないし、結婚だけが全てではないんだけど、うっかりタイミングを逃してしまったが故に、というのはもったいないもの。

若者たち、がんばってください。

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