日記・コラム・つぶやき

2024.10.21

肉じゃがチャレンジ

10月から11月、肌寒さを感じると思い出すことがあります。

 今、私は恋人と一緒に暮らしています。一昨年の9月から付き合っているので、付き合って2年2ヶ月経ちます。

 去年もそうだったんですが、季節が巡ると、最初の1年目のことを思い出して何だか甘酸っぱい気持ちになります。

 最初のデートが7月だったので、暑くなると、 

「汗かきながら二人で町を歩いたな」 

「あのときは行きたいと思っていた店がいっぱいで入れなかったな」

 なんて思うし、次第に日が短くなってくると 

「夕暮れの駅前で彼と最初に待ち合わせしたの、ここだったな」 

とか思って、なんとなく感傷的になったりします。 

1年目は… 私はずっと恋人っていなくってもうこのまま一人で一生、生きていくんだろうと思っていたので、彼と出会って付き合うことになって、自分でも信じられないような気持ちでした。

 7月に初デートして、9月に「付き合いましょう」ということになり10月…11月。 

9月に付き合いを始めた時はお互いに知らないことも多く、私自身、かなりネコ被っていましたので、付き合う内にお互いを知って行かなくちゃと思っていたのですが、付き合って2ヶ月くらいになってもお互いの距離が縮まらないことに、当時、かなり焦っていました。 

もういい年なので結婚に焦っていたわけではありません。

 恋人ができたことがない…つまりは他人とそこまで近い関係になったことが私はなかったので、

 「このまま自分の外面の、いいところだけ見せたまま、付き合いが続く」 

ことに焦っていたのです。 

誰でもそうかもしれません。 自分のダメなところ…だらしなかったり、劣等感を抱いていたりするところをなるべく隠して他人と接していますよね。

 でもその相手が、この先もずっと共に人生を生きるかもしれない相手ならそれではダメだと私は思っていました。 

当時の自分の心境を思い返すと、彼の方から私に「付き合おう」と言ってくれたんですけど、 

(私はそんなに素敵な人間じゃないし、私と付き合って彼に何かメリットがあるわけじゃない。 仮に結婚とかしても、家事一切を私がやるようないい奥さんにはなれそうにないし… それでもホントに私でいいんだろうか???) 

そういう思いでいっぱいでした。

 彼が私に何を期待していて、私はそれに応えられるのかどうか、とても不安でした。 私は元々、自分に全然自信がありません。美人でもない。 それなのにこのまま彼と付き合っていいんだろうか? だましていることにならないか? そういう「焦り」です。

 彼は普段、とても無口で、自分の感情をあまり表に出しません。 出会ったばかりで私自身も彼のことをあまり知らないので、心の中を推し量ることもできない。 

ずっともやもやしていたのですが、ある日、気づきました。 相手を知りたいなら、自分から自己開示しなければ、と。 

そして10月の終わりに、意を決して彼を初めて自宅に招待しました。 それまで自分の住まいは明かしていなかったんですけどね。

 いやぁ大変でしたよ、部屋中掃除するの(笑) 念のためと、風呂の排水溝まで掃除し、布団のシーツも替えて…思い出すと笑ってしまいます。 がんばったなぁ、私。

 というのが10月の終わりから11月の初めにかけての私の、強烈な彼との思い出で、今年も同じ時期になり、当時を思い出します。

 家に来る彼のために「肉じゃが」を作りました。 なのでこのときの一連の出来事を「肉じゃがチャレンジ」と私は自分の中で呼んでいます。

 結果として「肉じゃがチャレンジ」は成功し、今も私は彼と一緒に暮らしています。 あれほど他人と近づけず、一人ぼっちだった私がこんなふうに一緒に暮らせるなんて、ホント、今でも毎日が奇跡。 

この先、来年も再来年も…年をとっておばあさんになっても、キンモクセイの香りがする頃、日がすっかり短くなって肌寒さを感じる頃になったら、私はこのときのことを思い出すんだろうな。 

そのときにもどうか彼の隣にいられますように。

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2024.07.13

慌てて救急車を呼ばないで

6月に自宅で父の看取りを終えました。
父は自宅で緩和ケアを受けながら最期は眠るように息を引き取りました。
友人知人にそのことを伝えながらふと、これ…病院だったら点滴とか胃ろうとか延命措置が取られたのかなぁ?と考えていました。
延命措置についてネットで検索すると以下の記事を見つけました。
読んでみると少し違和感がありました。それもそのはず2018年の記事ですから今から6年も前の記事です。

「延命か自然な死か」家族に迫られる重い決断—終末期医療の現実
https://news.yahoo.co.jp/feature/1145/

裏付け等はないのですが、素朴な実感として2020年から2023年にかけての3年間のコロナ禍を経て、看取りの考え方も大きく変わったんじゃないかと考えています。
なぜコロナ禍によって看取りのあり方が変わったかというと、当時はコロナ対応のため医療機関が逼迫して「医療の質」をより厳選する必要があったからです。
加えて、コロナ禍の中で入院すると家族も面会ができずそのまま亡くなるということもありました。
救急車が来ても受け入れてもらえる病院がなく、それ以前に救急車も間に合わず自宅で亡くなったというニュースも後を絶ちませんでした。

つまり…病院で延命治療など手を尽くした上で亡くなるということがコロナ禍を経て「当たり前」ではなくなり、自宅で自然に息を引き取ることが当たり前になったのではないか、と。
6年前だとコロナ禍前。つまり6年前は記事のような状態が当たり前でしたが、今はもう違うように感じます。

もちろん地域差はあるでしょう。
私の父の自宅は、東京の隣県のベットタウン、人口40万人超の市にあり、地域には高齢者も多く、訪問医療、訪問看護、ケアマネージャーなども相応に地域で活動しているような地域です。

がんになった高齢者が全員入院できて、従来のような延命治療を受けて永らえるような余裕はおそらくないのではないかと。それが悪いわけではありません。だからこそ父は意味のない延命治療を受けることなく穏やかに逝けたのですから。


ただ記事を読んでいると家族の立場として頷けることがいくつかありました。
特に父と一緒に暮らしていた母のうろたえようを見ていたので、容態が変わった時に救急車を呼んでしまう家族の気持ちはよく分かります。
自力で食べることも飲むこともできなくなった人を目の前にしてやっぱり家族としては
「このままでいいのか?」
と思うんですよね。母もよく言っていました。「訪問看護が来ても何もしてくれない」と。
私自身は死んでいく人というのはそうなるものだから、無理に食べさせたり、飲ませたりしなくていいと、ある意味「達観」していたんですが、母は「食べられなくてかわいそう」「水を飲めないのでは薬も飲めない。飲まなきゃ死んじゃう」と必死になって食べさせよう、飲ませようとしていました。

父が亡くなったのが「今」でよかったと私は思っています。
自宅での看取りに関して私自身はほぼ違和感はありませんでした。
人の「死」は人それぞれで何が正解かなんてありませんが、少なくとも父自身はやはり延命措置をされて母に負担をかけながら永らえることは望んでいなかったと思います。
肺がん末期になるとかなり苦しいという話も知っていたので、その前に命尽きた方が本人のためでもあると私は思っていました。冷たいかなぁ。

母も、父が亡くなった後は自宅で看取れてよかったと言っていました。
父もそれを望んでいただろうとも。

これからの死はこれがスタンダードになるだろうと思います。
…まあ私自身は、平均寿命前に病気になったりしない限りは、長生きしてしまって係累が誰も居なくなり、誰も看取ってくれる人がいなくて、自宅で誰にも知られず亡くなるケースだろうなと思っていますが。

火葬とか死亡届とか骨を市営墓地の合葬墓にもっていくとかそういう手続きはどこかに委託しとかないとなぁ。

合葬墓も増えているみたいですね。散骨でもいいし。
というか、父を看取ってくれた母は父の再婚相手で、お墓には病死した私の母、つまり父の元妻も入っているため、自分が亡くなったら一緒にその墓に入るのは抵抗があるそうです。そりゃそうだ。なので、いずれは私が父の墓も墓じまいして、合同墓に納めるなり散骨するなりしないといけないわけで。
自分の死ぬときの話よりもまずはそこからか。

時代はどんどん変わるので、いずれは墓の話ももっと簡単に解決するようになっていくのかもしれません。

 

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2023.10.14

一人暮らしから二人暮らしへ

…長らくお待たせしました。

 今年の最初のブログの記事で、昨年、自分史的に大きな事件が勃発し、進行中なので、なかなか報告できないという話を書きましたが、ようやく一区切りというところまで来たように思いますのでご報告します。

 実は昨年、人生初彼氏ができました。

 いやぁ、もうずっと彼氏とかできたことがなく、一生一人で生きてくしかないと覚悟してたのに。

 というか、もういい年なので、この年齢になってまさかお付き合いする人ができるとは!! 自分でもびっくりです。

 彼は私よりも7つも年下です。それも我ながらびっくり。…ほんとに私でいいのかしら???

 付き合い始めた当初はその疑問でいっぱいでした。

 そもそも彼氏ができたことがないので異性とのお付き合い自体、こんなんでいいのか、よくないのか、よく分からないままに、この1年やってきた感じです。

 彼とはIngressというスマートフォンの位置情報を使ったゲームのプレイヤー同士で、Ingressの説明から始めると日が暮れてしまうのですが、要はゲームとは言っても現実の町の駅や公園などにスマフォを持っていって陣地取りをするゲームなので、人と人とのリアルな出会いもたくさんあるゲームなんですよ。以前、そのゲームの東京決戦があったときに、彼とは同じチームで参加していたので、そういう意味での知り合いではありました。それが縁でTwitter(今は「X」)でお互いをフォローし合っていたので、お互いのつぶやきに「いいね」し合ったりしていました。

 昨年、私と付き合い始める前は彼はコンカツをがんばっていました。

 私はTwitterでそれも知っていたので気軽に応援、みたいに思っていたのですが、いろいろTwitterでやりとりをする中で彼が私のことも「彼女候補」だと言ってくれるので

「ええ? こんなに年上とも知らないでまたまたそんなこと言っちゃって~(笑)」

 くらいのノリで最初のデートをしました。それから何回か二人で会う内に、彼に付き合って欲しいと言われまして…いやぁ、そこからがびっくりのスタートです。

 本当に私でいいのかしら…その確認もあって、今年の4月からは私の住まいも残したまま、彼の住まいで二人暮らしも初めてみました。付き合おうとなったのが昨年の9月の初め。一緒に暮らし始めてから半年。

 うん、どうやら私でいいみたいです(苦笑)

 一人で暮らすことと二人で暮らすことの何が違うのか、私は実際にやってみるまで本当に何も分かりませんでした。

 一般に男性って、結婚とかで女性のパートナーを求めるのは家事をやってもらいたいからなんじゃないですかねぇ?

 私はフルタイムで働いているので、夜は帰りが遅いので晩ごはんの支度はほとんどできません。一人暮らしでは掃除や洗濯も週末しかやってなかったし。

 というような話を彼にしたら、別に家事をしてもらうことを望んでいるわけじゃないと言っていました。

 じゃあなぜ、一緒にくらしたいの? ホントに疑問だったんですけどね…

 二人でいると一人でいるときよりも安心です。なんだかね、ほっとする。具体的に何がメリットってわけじゃないけど…

 暮らし始めて最初に思ったのは、お互いがお互いのために何かをして、それに相手から感謝されると自己肯定感がすごく上がります。

 それが心地よくてね。

 私と彼の二人暮らしはそうしてお互いにプラスのフィードバックをしあうことで、一人でいるときよりも幸せになれるみたいです。

 ということが分かって…11月からは私の住まいは引き払い、彼と本格的に二人暮らしを始める予定です。

 自分が実際にそういうことになるまでは、異性のパートナーができるということってマイナスしかないようなイメージをもっていました。

 でも実際は…二人でいるっていいわねぇ。

 私はずっと片思いしかしてこなかったので、両想いなんて奇跡だと思ってきました。今もそう思います。だから彼が私を好きでいてくれることが本当に嬉しくて、感謝しかない。

 私がこうしてプラスの思いを送り続けることで彼が幸せになってくれるなら私も幸せ。お互いが相手の幸せを願えば、どんどんそれってプラスに積み上がっていくんだよなぁ。こんな奇跡がどれだけ続くのか、分かりませんが、少なくとも1年は続きました。

 これからも彼と二人でずっと一緒に人生を送っていけたらいいな。

 引っ越しでココログも一区切りつけなくてはいけないかと思ったのですが、今日、@niftyに聞いたらココログは続けられそうですので、今後も…いや、更新がこんな具合でごくごくたまにって具合ですが、またご報告させていただきます。

 読んでくださった方、ありがとうございました。

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2023.01.01

あけましておめでとうございます

 新年、あけましておめでとうございます。

 宣言どおり元旦にブログの更新にやってまいりました。

 前の記事「近況」にちょっと書きましたが、昨年は自分史的に大きな事件が勃発し、現実についていくのがやっとですっかりブログの更新もできなくなってしまいました。

 「自分史的に事件」は今も現在進行形で、状況が日々変わっていくので、このブログでまとめて総括することができるタイミングがなくて…だって今、何か書いても、ひと月後には「1ヶ月前にはあんなこと書いてたのに」って思うとうかつなことが書けない感じなのです。

 とりあえず2023年も引き続き人生の激動期が続いていく…というのはここに綴っておきます。

 2022年がどんな年だったか簡単に書いておくと、1月から3月まではひたすら仕事、4月からはその反動で、ひたちなか海浜公園のネモフィラに始まり、観音崎京急ホテルに最後に泊りに行ったり、富士山を見に行ったり、仙台に2年ぶりに七夕祭を見に行ったり、快晴の利尻・礼文へ旅行したりといろいろなところに一人で行って、旅を堪能していました。

 で、後半…うーん、やっぱりまだ書けない(汗)

 いずれこのブログではご報告することになると思いますので気長にお待ちください。待てない人はTwitterへどうぞ。

 リンクが上手くいっているかどうか分からないので、アカウントが「@BUBI_SAN」であることを書いておきます。

 今年もどうぞよろしく。皆様もすばらしい1年をお過ごしください。

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2022.12.21

近況

なんと…月日の経つのは早いもので、前回の記事って夏じゃないですか(-_-;)

ご無沙汰しておりますが元気でやっています。

W杯サッカー、今年はカタールで行われ、アルゼンチンが優勝しました。

決勝はフランスvsアルゼンチンで、メッシが、W杯出場はおそらく最後となると言われたこの舞台でついに優勝を果たした…というのが昨今の大きなニュースです。ちなみに今回、日本はグループリーグでスペインとドイツを破るというジャイアントキリングを果たし、決勝トーナメントに進出しましたが、またしてもトーナメント一回戦でクロアチアに敗れてしまいました。

でも、日本、強かったですよ。

私はこのブログでもずっとW杯の度にドイツを応援していると書いてきましたが、今回、ドイツは日本にまさかの敗退、前回のロシア大会に続き、グループリーグでこの舞台を去りました。

そして、コロナ禍。

現在、第8波が到来しているようですが、第7波の頃からもう、どんなに感染者が増えても緊急事態宣言も何もなくなってしまい、外出自粛もなく、今年は忘年会をする方も多いようです。

ワクチンは4回目を受けている人が多く、多い人は5回目も受けているようですが、それでもコロナに感染する人は感染するようです。全く、どうなっているんですかねぇ?

ウクライナとロシアの戦争は続き、保育園で子供が虐待されるニュースがあり、歴史的円安で企業が大ダメージを受け、物価はジワジワと高騰するのに、給料は上がらず、日本でも貧富の差が激しくなってきているという2022年もそろそろ終わろうとしています。

皆様にとってはどんな1年だったでしょうか。

私のこの1年は…おそらく人生最大の…ってまだ分かんないか。ちょっとした事件がありまして。

興味のある方はTwitterをチェックしてみて下さい。左側のTwitterボタンを押すと私のTwitterにいくのかな。

人生って予測のつかないことが起こるんですね…来年は私にとっては激動の1年になりそうです。

ちょっと早いですが、皆様、よいお年を。

来年になったら、とりあえず、正月のご挨拶にはブログは更新したいと思います。

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2022.08.15

ウクライナでの戦争が問いかけるもの

8月15日は終戦記念日です。
日本は先の戦争で多くの犠牲者を出しました。
だから「絶対に戦争はしてはならない」わけですが…
ウクライナへのロシア侵攻以降、この言葉にはこう疑問符が付きます。
「絶対に戦争はしてはならない…たとえ愛する人が目の前で殺されようとも?」

ウクライナへのロシアの侵攻によって、こちらから手を出さなければ相手も何もしてこない、なんていうのは甘いということが分かってしまいました。
平和に穏やかに暮らしているところにいきなり戦争はやってきます。
いきなりミサイルが撃ち込まれ、家が破壊され、住まいを奪われ、逃げなくてはならない。
そうなったときにも「戦ってはいけない」のだろうか。
私達はウクライナの人達にそんなこと言えるんだろうか。
私はとても言えません。自分の故郷を護ろうと武器を手にする人達に「やめろ」なんて。

ロシアにはロシアの言い分があるのでしょう。
結局のところ、自分の信念のために他国を侵略し、他民族を迫害してもそれを当然と思えるメンタルが人間には存在する。
ましてロシアにとってウクライナは「他民族」でも何でもない。信じるものが違うだけの同胞なのに。
そういう人が国のリーダーとなって軍隊を率い、他国民を戦争で大勢殺害したって、ロシア国民はそれを止めることができなかった。
その無力感たるや…「平和が大事」なんていくら言ったって、信じたって何にもならないってことじゃないですか。

かと言って、他国に侵略されることを恐れ、互いに軍拡していき、核兵器を保有することなんて馬鹿げていることは分かっています。
どうすれば、プーチンのような人間に権力を与えないことができるのか。
それを考えなければ「戦争をしない」ことなんてできない。

結局のところ、殴られた時に、黙って殴られ続けたら殺されてしまうので、殴り返さなくちゃいけない。
殴り返せないなら殴るやつのご機嫌を取り、殴らせないようにするしかない。
世界はプーチンに「殴らせない」ことができなかった。
殴り合いは始まってしまった。だとしたら後は戦いしかない。

もう殴り合いになってしまったロシアとウクライナの戦争は誰にも止められない。
互いに疲弊するまで戦いは続く。
だとしたらせめてこの先、第二、第三の戦争を起こさないために人類は何ができるのか?
全ての国が核の傘の下に入ること? 

…何かできないのかな。プーチン一人が戦争したくたってできない「仕組み」みたいなもの。

昨日、「鎌倉殿の13人」を見ていて、勝つためなら丸腰の相手でも殺すことをためらわない北条を見ると結局どんな仕組みも役に立たないんだなぁと思っちゃった。
ちなみに江戸時代が260年続いたのは封建制度があったから。
崩壊したのは諸外国からの圧力で開国せざるを得なかったことが一因。
うーん…「戦争をしない」ために、封建制度のようなガチガチの管理体制が必要なのだとしたらそれもまたいいとは思えない。
「絶対、戦争はしてはならない」
難しいね。

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2022.08.11

新型コロナウィルスの感染状況の記録58

2022  新規感染者数が過去最大、医療現場がひっ迫して、発熱しても病院にかかれない厳しい状況ですが、緊急事態宣言など特に対策もとられないまま、お盆に突入。

 昨日、8月10日の全国の新規感染者数は250403人。

 そろそろピークアウトしたんじゃないかと言われていたんですが、昨日は多かったですね…

 本日11日は山の日。高尾山がめちゃ混みだったようです。

 私は全然山の日っぽく過ごせていませんが、先月の海の日も同様だったしなぁ。

 8月5日~6日は3年ぶりの仙台七夕にいってきました。5日の前夜祭ではこれも3年ぶりに花火見物も!!

   七夕飾りは、いつもの年よりも人が触れないように少し小ぶりでしたが、これはこれでよかったです。

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2022.05.11

芸能人の自殺の報に触れて思うこと

2022年5月現在、芸能人の自殺が続いています。
相手が芸能人で会ったこともない人でも「自殺」の報を聞くといつもちょっと混乱します。
気持ちの整理のために今日のブログは書いてみたいと思います。

明日、5月12日はかつて東北で私の同僚だった女性が亡くなった日です。
GW空けのタイミングで本当に驚きました。
まるでそんな気配はなかったので…

最近の芸能人の自殺もどの方も「まさか」って感じですよね。
自ら死を選ぶほどに何に悩んでいたのか周りは誰も分からない。

全ての自殺がそうとは限らず、子供のいじめによる自殺などは、苦しんでいたのを分かっていたのに周りが関わりたくなくて放置した結果だったりします。
大人の自殺は原因が分からないことが多い。
本人も周囲に悩んでいることを言わないし、言えるくらいなら自殺しないでしょうし。
子供のように逃げる手段や方法を知らないわけでもないはず。
だから余計に周りは混乱してしまいます。

同僚が亡くなるもっとずっと前に、私の母の弟の妻、私から見ると叔母が自殺しました。
叔母は病気で入院していて、病院を抜け出して飛び降りたという経緯だったので、自殺の原因は病気だと当時子供だった私は思っていましたが、本当のところは分かりません。
優しくて素敵な叔母でした。治せない病気でもないはずだったのになぜ…
叔母が死ぬほど苦しんでいたのに気づかなかった自分にショックを受けました。
自分がもっと何かできなかったのかと。

私の実母はずいぶん前に病死していますが、その前からずっと病気がちで鬱状態になることがしばしばありました。
その度に「死にたい」と言っていたので、最後の病死の原因は癌でしたが、やっと苦しかった生涯を終えることができて本人はほっとしたんじゃないかとも思ったりしました。

自分もこの年になると、こんなふうに身近に亡くなる人が徐々に増えてきます。
友人、知人の親御さんの訃報を聞くことも多くなりました。

自殺の知らせはショックですが、人間はやっぱりいつかは皆、死ぬんだな、と思うしかないような。
もちろん、自分も含めて。

子供の頃は、母が死んだら自分も死ぬんだと思っていました。
でもいざ実際に母が亡くなったら、上記のように意外と「やり尽くした」感しかなくて、喪失感もまるでなく母の存在は自分に受け継がれているからいなくなった感じがしませんでした。
今も、です。
夢にはよく当たり前のように母が出てきます。

以前から何となく思っていることなんですが、自分もいつかは死ぬので先に逝った人達ともまた死んだ後に会えるだろうという気がしてなりません。
だからあんまり悲しくない…なんて書くと冷たい人に見られるかな。

自殺された方を「なぜ、どうして」と責めたくはない。

気づけなかった自分を責めても相手が生き返ってくるわけじゃない。

だったら「いつか私もそっちにいくからその時にまた会おうね」と思っていた方がいいんじゃないかな…いつかまた…きっとね。

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2022.01.01

あけましておめでとうございます

2021年から2022年への年越しは久々に、自分の住まいで過ごしました。

一人暮らしをするようになってしばらくは、年越しは実家に帰って親としていたんですが、そもそも近年は実家に泊まりで行くこと自体がなくなりまして…

そうなると、正月に一人でただ家にいるのってなんとなく寂しいんですよね。

なので、最近は31日から元旦にかけては旅行にいくことが多かったです。初日の出バスツアーとか、初日の出クルーズとか。

去年はコロナ禍でさすがにクルーズはできませんでしたが、代わりに都内のホテルに一泊しました。

元旦は墨田川まで散歩に出かけ、勝どき橋から写真を撮ったりしました。

特に何か都内に用があるわけでもないのですが、チェックアウトの後、銀座をぶらぶらしながら家に帰ってきて…そういうのも新鮮な体験でよかったです。

今年もそうしようかと考えてはいたのですが、今年の年末年始はあまり休みが長くないので、家で過ごすことにしてしまいました。

元旦に作るお雑煮の材料を買い集め、煮しめの代わりに肉じゃがを作り…

家で過ごすのもたまには悪くないわね。

2022年。コロナはまだまだ落ち着かず、もうすでに日本は人口減少の時代に入り、下り坂に入りつつあるように思います。

私は人生の折り返しは過ぎているので、日本が本当に人口が少なくなり、労働力も減り、地方から共同体が立ち行かなくなっていく時代まではいないと思うのですが、そうなったらなったでその時代の幸福というのはあるはずなので、あまり自分がいなくなった後の世界の心配はしていません。

ただ…自分は未来のために何ができたかなぁ。いや、何ができるかなぁ。

ずっと子供の頃から「ポーの一族」やら「火の鳥」やらを読んで育ったので、自分がこの世界から消えた後に続いていく人類の未来、みたいなものに、つい思いを馳せてしまうんですよね。「銀河鉄道999」もですが「永遠の命」をフィクションではなく、そういうものが本当に世界に存在すると刷り込まれてきたので、自分が死んでしまう何十年後とかがあまり想像できなくて。

ただ、こうやって考えるってことは、そろそろ私も年貢の納め時なんだろうなぁ。

半アンドロイド化したり、意識をコンピュータに記憶させたりして、半永久的に生きられるように人類がなるにはまだちょっと早くて、私には残念ながら間に合いません。

「死ぬことが普通だった時代」に生きたことは、もしかしたら人としては幸福なのかもしれないけれど。

でも、正直な話、もうちょっと先まで人類の行く末を見届けたい。

そのためには、少なくとも直近の数十年をしっかり生きられるように、今年もがんばっていきたいと思います。

当ブログも更新が少なくなってはしまいましたが、今年も書いていきますのでどうぞよろしく。

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2021.08.14

久しぶりに「結婚」について考えてみた

 前の記事でチカポンの動画を見て、自分の過去を振り返ったりしたんだけど、改めて久々に「結婚」ということについて考えてみています。

 Youtubeには、世間知らずのアラフォー女性が、結婚の条件として「最低でも年収1000万」とか言ってるのを批判するような動画もあって、女性が求める条件が高すぎるって言われがちなんだけど、いや、もちろん一部ではそういう実態もあるのは分かっていて。

 ただ…女性のせいだけだろうか…って気がするのよねぇ。チカポンの動画を見ていても。

 私の過去の経験を振り返っても、親と住んでいて、現状が絶賛無職という男性を紹介されたことがあるんだけど…私自身はよほどのことがない限り、定年まで勤められる定職についていて一人暮らしで自立できているわけなので、お友達ならともかく「結婚を前提にお付き合い」と言ったって無理あるよね。1回、飲み会して終わりだったけど(汗)

 私は美人じゃないけれど、美人じゃないからって、結婚してくれるなら誰でもいいわけじゃない。

 借金癖があったり、金にルーズだったり、女性を前にすると全然しゃべれないような極端なコミュ障だったり、それはまだましとしても、酒を飲んで暴れたり、暴言や暴力を振るう相手だったりしたら嫌よね。そういう相手としかマッチングしないんだったら、一人の方がましって思うわ。

 逆に男性側はどうなんだろう。

 仮に自分が無職やコミュ障だったとしても、ありのままの「僕」を愛してくれて、決して否定せず、くつしたを洗ってくれて、おいしいご飯を作ってくれて、趣味には決して口を出さず、こちらが気が向いたときだけSEXの相手をしてくれる、そんな女性がいいわけでしょ。 …いや、いないわ、そんな女性。

 結局のところ、私も含め、皆、自分しか愛してないのよ。そんな自己愛に誰が付き合える?

 「自分を幸せにしてくれる」相手と出会いたいとしたら、そんな相手が自分の前に都合よく現れることなんてフィクションの世界にしか、今も昔も存在しないんじゃないかな。

 じゃあ「結婚」って何なんだろう。

 …私の数少ない恋愛経験から言えば、心から自分ではない誰かを幸せにしたいと思ったことがあるかないかでだいぶ違う気がするのよね。互いにそう思い合えたら結婚ってできるんだろうな。でも男性ってそういう気持ちを女性に対して持てる人、いるのかしら? …いるか、私が知らないだけで。

 じゃあ「コンカツパーティ」ってのは「自分を幸せにしてくれる人」と出会う場ではなく互いに「自分が幸せにしたい人」を見つける場なのかも。

 おお、なんかすごく今、いいこと言ったw

 もし、私が今27歳に戻れたら、いやそこまで戻らなくてもいいけど、30歳から33歳までの間に戻れたらそういう気持ちで相手を探してみるのも楽しいかもしれない。応援したい人、幸せにしたい人はいっぱいいたような気がするな。34歳になったら人生最大の大恋愛をしてしまうので期限はその前まで。このブログはその大恋愛をした頃に始まっていて、だから初期の詩は恋愛詩ばかりだったり致します。なんだか書いていたら振り返りたくなってきたぞ。

 ちょっと遡ってみようかな。

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