日記・コラム・つぶやき

2017.07.24

一人暮らし事始め

 私は27才の5月に一人暮らしを始めました。

 職場は実家から通える距離にあって、それまでは実家から通ってたから通勤が理由ではありません。
 実家が嫌で、早く一人暮らしをしたかったわけでもない。

 私は2017年7月現在、独身で、高校時代の女友達も結婚してない友人が何人かいますが、みんな大抵、学生時代と同じで親と同居のままです。

 では私はなぜ一人暮らしをしようと思ったんだっけ?

 当時を振り返ると、それほど固い決意や一人暮らしをしたい必然性があったわけではありませんでした。
 ただ、自分よりも年下の後輩が一人暮らしをしているのを聞いて
「私にも一人暮らしができるな」
 と思っただけです。
 たまたまその後輩が当時住んでいた住まいが不便なため、新しい部屋探しをしていると聞いて、自分もそれに便乗して一緒に部屋探しをしました。
 結果、その後輩と同じアパートに住むことになり、一人暮らしが始まりました。
 もし、その「たまたま」のタイミングがなかったら、今でも実家で暮らしていたんだろうなぁ。

 一人暮らしを始めてみたら、それまでに思っていた以上に私は一人暮らしが性に合いました。
 もともと一人が好きだったしな。
 一人暮らしを始めた今からが本当の自分の人生だという気がしました。
 元々、そんなに束縛しない親ではありましたが、それまでは基本、親のいうとおりに生きてきたけど、これからは自分で何もかもを決める。
 そして、案外、私は一人でなんでも出来る力があったみたいです。
 母親には
「あんたに一人暮らしなんかできるわけない」
 と言われてましたけどね。

 私は一人っ子です。
 そんなに甘えて育ったつもりもないんですが、親からはそう見えてたのかなー。
 でも、このブログには何度か書いたことがありますが、子供の頃から母が年に何度も何ヶ月もうつで布団から起き上がれなくなることがしばしばあり、家は荒れ放題。
 私は自分でご飯を炊き、ワカメの味噌汁を作り、レトルトのハンバーグを温めたり、缶詰めを開けたりして食事をしていました。
 父はがよく晩御飯のおかずにラーメン屋で餃子をおみやげに買ってきてくれたなー。
 当時はコンビニもほか弁もなかったし。懐かしい。

 そういうわけで、一人っ子は一人っ子ですが、親に何でもやってもらった一人っ子ではないので、私自身には「一人じゃ何にもできない」という自覚はありませんでしたし、事実、そうでした。
 基本、私は一人で何でもできた。
 一人でできなかったのは結婚と子作りですね、やっぱ。

 今から思うと、27才ってちょうど普通なら結婚して家を出るタイミングですね。
 「今まで育ててくれてありがとう」
 なんて挨拶して家を出ればかっこよかったんでしょうが、当時はそんな自覚はなく、フラフラっと一人暮らし始めちゃったなぁ。
 そこから数年は、今で言う「コンカツ」もがんばってはいたんですが、もらってくれる相手に巡り合えず、そのまま年とっちゃった。

 でも当時も、結婚願望はなかったんだと思います。
 誰かに頼ったり甘えたりするのは苦手。
 甘えられるのも嫌い。
 コンカツしたのは「結婚」するのが当時は当たり前だと思っていたからで。

 私は、一人でいるときが一番ほっとできる。ありのままの自分でいられる。誰にも自分に係わってほしくない。傷つきたくない。そういう思いが人一番強い人間です。
 臆病者だし、コミュ障なのかもしれない。何より自分に自信がない。
 一人で自分のことは何でもできるけど、人のことはできない。
 相手の望むとおりの自分でいられないことで怒られたり叱られたりするのが怖い。

 結婚するような相手と巡り合わなかったのは「だから」でしょう。

 こういう対人関係が苦手な感じは今もあってずっとこれをなんとかするのがライフワークだったわけですが、それを克服できなくても、私は仕事ではそれほど困りませんでしたし、友達にも恵まれました。

 そして私の目の前に「インターネット」が登場する。
 リアルなコミュニケーションは苦手ですが、子供の頃から読書が好きで作文が得意だった私にとって、インターネットのコミュニケーションというのがどれだけ向いていたか、これを読んでいる皆様には想像がつくでしょうか。
 私はそこで交友関係を広げ、ブログを始め、今に至ります。

 楽しかったな。
 そしてそれは今も同じ。
 一人というのは本当に自由です。やりたいことはなんでもできる。
 海外旅行にもずいぶんいったし、3.11の後は仕事で復興にも携わることができ、いい半生でした。

 子供は大人になると、結婚して家を出て行くのが一つのパターンですが、結婚しなくても家を出るのがいい場合もある。
 私はそのパターンの一つなのかもしれません。
 もちろん、今の時代は一人一人、あらゆるパターンがあって、私のケースが当てはまらないこともたくさんあるのでしょうけど…

 一人暮らし、楽しいですよ。
 何より自分で自分の生き方を決められるのがいい。
 楽しかった、幸せだった、と言えるのは、自分で自分の思うとおりの生き方をできたからです。

 この人生も折り返しを過ぎてからしばらく経ちました。
 これからはどうしようかなぁ。
 このままずっと一人でいいけど、それには一番に健康第一。
 年をとるのは仕方ないので「ソフトランディング」がテーマです。
 
 でもきっとどうなったとしても、それが自分の選択だから悔いは残さず人生を終えることができそうだな。
 それが今の私の一番の誇りです。

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2017.06.13

ひとりでも『孤独』ではないわけ

40年ぶりに連載を再開した萩尾望都の「ポーの一族」を読みたいためだけに買っている小学館の月刊フラワーズで、先日、こんな話を読みました。

ゴミから生まれた醜い妖精のお話。
妖精からも人間からも嫌われてひとりぽっちで暮らしています。
「さびしいよう、さびしいよう」
と独り言を言っていました。

そのお話では、妖精が生まれた時から見守っていた人間の女の子が、その妖精と友達になって…と続き、まあまあハッピーエンドになるのですが。

ちょっとひっかかりました。
こういう昔話って子供の頃、よく読んだ気がするんですが、
「醜いために人から嫌われて、誰にも見られないように一人でひっそり暮らす」
それって私? みたいな。

いや、今の時代、けっこういますよ。
人より秀でた才能もなく、見た目もたいしたことなく、だから社会の片隅でひっそりと一人で暮らしている人って。
てか、それが「デフォルト(標準設定)」なのでは?

子供の頃、そういうお話を読んでいた頃は、
「醜い妖精、かわいそうだなぁ。見た目はよくなくてもいい妖精なのになぁ」
なんて上から目線で(笑)そういう妖精のことを認識していました。
で、大体こういうおとぎ話は、醜いからって邪険にした人間にはバチが当たり、美醜に関係なくやさしくした人には思いがけない幸福が訪れるという王道ストーリー。

「何事も見た目じゃないんだな。私は誰にも平等に優しい人になろう」
という教訓が刷り込まれます。

しかし、大人になった今、こういう物語を読むと、ちょっと現実は違うんじゃないか、と。

子供の頃って、自分がまさかその妖精側になると思ってない。
自分はお姫様のような何か特別の存在で、誰にでも平等に優しく、要は清く正しく生きることで、いつか夢のような幸せになれると思っている。

そんなの「思い込み」でしかないよなぁ。
清く正しく生きたって、別にそれだけで、天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない。

…ということに今頃気づきました(苦笑)。
というか、「それだけで天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない」のは少し前から分かってはいましたが、それ以前に自分が信じていた物の正体にね。

私は、誰にも迷惑をかけず、悪いことをせず、人には親切に、贅沢をせず、つつましく生きていれば、いつか幸せになれると思っていたんだなぁ。

それが間違っているとは言いません。
実際、今、私は幸せですもの。
ただ、それっておとぎ話のお姫様のような「幸せ」ではないな。

「ひとりでひっそり誰にも支配されず、自由に生きる幸せ」
です。もちろんこれも悪くないんですけど^^

少し前に

「何をどうすればよかったのだろう」

という記事を書きましたが、世の中で結婚できない(しない)男女が増え、少子化が進んでいるという問題の根幹には何か大きな勘違いがあったのではないかという気がしています。

「勘違い」というか、「価値観の転換」というか。
私が子供の頃は普通に信じられていた価値観が変わってきている。
最近は当たり前のように、
「待っているだけでは結婚はできない」
と言われて、結果、手遅れになっている男女には容赦のない非難が集まりますけど、昔はそもそもガツガツ、コンカツなんか誰もしなかっただろうしなぁ。
それでもその時代は男女が適齢期になれば結婚するのが当たり前だったので、それこそ「自然に」結婚していったわけですが、今は全然違う。

言うまでもなく、今は結婚は、しなきゃいけないわけではないので、しなくても幸せならそれはそれでいいんですけど、ただ・・・

正直に言うと、子供の頃から、今みたいな幸せを目指していたわけではなかった。
やっぱり一人ではなく、信頼し合える誰かと二人で人生を生きてみたかった。

それって、私だけではなく、全員とは言わずとも、世の中の結婚していない男女の多くの人の願いだと思うんですよねぇ。

じゃあ、どうすべきだったんだろうと私は思うわけですよ。
私は別にもういいけど、これからの世代のためにね。

ガツガツ婚活すりゃいいってもんではない。
もっと的を射た解が何かあるのではないかと。

・・・
・・・
あら、まずい、タイトルで書こうと思ったことと違ってきちゃったわ。
「結婚する人を増やすためにはどうすればいいか」はまた考えることにして、今日、書きたかったことに話を戻します。

ひとりで目立たないように世界の片隅でひっそりと生きている妖精が、思わず自分とだぶってしまった私ですが、この妖精のように
「さびしいよう、さびしいよう」
なんて思って毎日を生きてはいません。

「孤独」ってのは人間を蝕むらしいですが、多分、私がひとりで幸せなのは「孤独」ではないからだろうなぁ。

もちろん毎日仕事にいっていますが、仕事があっても孤独な人は孤独です。
けど、物は考えようというか。

これはある意味、私の哲学なのかもしれませんけど…
人って一人では生きていないのですよ。
たとえ家族がいなくて、毎日、晩御飯はコンビニで買って一人で食べているとしたってね。

コンビニで買ったサラダやパンは誰が作ってくれたんだろう。
さらに野菜や小麦は誰が作ってくれたんだろう。
今日は電車に乗って会社から帰ってきました。
電車は誰が運転してくれた?
テレビにはいろいろな人が出演しているし、
ニュースは世界のいろいろな出来事を知らせてくれる。
このパソコンの向こう側には多くの人がいる。
ツイッターにはたくさんの人の思いが綴られている。

なんというか…一人だけど一人じゃない。
ちょっと手を伸ばせばそこに誰かがいて、私を生かしてくれている。
生かされている。

だからね。さみしくないんですよ。

あのひとりぽっちの妖精は道端に咲くタンポポとか雑草たちの花を見たことなかったのかなぁ。

私は一人でどこへでも出かけていきます。
まだ見たことのないものが世の中にはたくさんある。
私はここにいてそういう世界の全てと一緒に生きている。

本当の意味で、私はもう「おとぎ話」からは卒業したのかもしれない。
一人で生きていけることが大人になるってことだものな、うん。
ホントに、「今更」な話ですけどもね。

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2017.06.06

「村じまい」を考える時期なんじゃないか

こんな記事を読みました。


【滅びと戦う 6割が高齢者の村】
3人に2人が高齢者、群馬県南牧村から人が減った理由

私は女性ですが、結婚せず子供も産まなかったので、少子化の戦犯だという意識があり、もうずいぶん前からこれからの人口減少時代をどう私達は生きていけばいいのか、ということを考えてきました。
私の場合、兄弟もいない一人っ子なので、私の代で終わりです。
父も母もそれぞれ兄弟はいて、いとこはいて、その子供もいるので、血筋が絶えるってことはないのですが、私の後はいない。
つまり、お墓も家も何もかも私が片付けてこの世を去るしかないということ。
終活が大事です。
これは私だけでなくて結婚していない人は激増していますから、自分の生きてきた人生を上手にお終いにする情報や技術は、今の時代に多くの人に必要なことなのだと思います。

同様に。
人口減少で地方の村や町は存続の危機に直面することは明らかです。
もちろん、誰だって自分の生まれた故郷がなくなるなんて嫌でしょう。
でも嫌だといっても、それを避けることはできない。

地方でいかに若者を増やすかって対策を立てたところで、都市部でだって人口は減って高齢化は進むんですから、パイの奪い合いでしかない。
限られたリソースを狭い日本の国土で奪い合ってどうするんだ、という気がします・・・

自分の代で家族が途絶えることをもうずっと前から覚悟してきた私は、いわば、滅び行く村の最後の1人のようなもの。

この村でどんな営みがあって、みんながどんなふうに生きてきて、どこからきて、どこへ去ったのか、誰もいなくなったら忘れられてしまう。
人がいなくなるのはもうしょうがないことなんだけど、ただなくなってしまうのはさみしくないですかねぇ。
記事で南牧村が昔は栄えていた様子などを知るとより一層そう思ってしまいます。

私が東日本大震災の復興支援でよく訪れた、岩手の三陸沿岸の町も「生滅可能性」が高い地域として挙がっていました。
ただいたずらに町や村の間でなかなか有効な手も打てないままにジリジリと人口が減っていく。

人口が減れば、これまでどおりの行政サービスは維持できなくなっていくのだから集約化を図るしかない。
広い地域に数世帯が点在するような場所は、公の手が行き届かなくなっていく。
それを「見捨てられた」と表現するのは簡単だけど、実際問題、サービスを提供する側の人口がどんどん減って、サービスを受けたい方が増えてしまうのだから、どうしようもないよなぁ。

そう考えると、やはり地域も「終活」が必要なんじゃないかと。
必要なら、公共サービスの効率化のために移住も選択肢の一つで。
移住されたら、移住された側の村がなくなってしまうからと無理矢理にでもそこに住んで欲しいと考えるのが今のそれぞれの「地方」なんでしょうが、それももう限界に近いのでは。

「居住移転の自由」は無論、憲法第22条に定められた私達の権利なので、どこに住みたいか、選ぶ自由があるんですけど、住みたくてもそこにもう生活の母体となる買い物をするところもなければ、病院も銀行もないなんてことになったら。
そういう状態になってしまったことを行政の責任にしても、日本全体そうなんだからしょうがない。
そうなったらなったで、その環境でどう個々人がベターな選択をし、地域を作っていくのか、考えるしかないでしょう。

何度も書くようですが、私は私の代の「最後の1人」なので、どうしてもそう思ってしまいます。

私はいなくなっても誰かが続いていけばいい。
あの村がなくなってもあの村の記憶は誰かが覚えていてくれればいい。
変化しないものはありませんからね…

地域にも「終活」を。できることなら前向きに「村じまい」できたらいいのにな。

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2017.05.26

100年後(2117年)の日本

・寿命をコントロールする遺伝子が発見され、人類は不老を選択できるようになる。

・病気はなくなりはしないが、病院に行けば全て治るようになる。

・体重をコントロールできるようになり、みんなが標準体型になる。

・食事はカロリーメイトのようなものになり、今のような食事は贅沢品となる。

・不老不死が実現したので、子供はいなくなっても問題はなくなったが、社会の新陳代謝をどうするのかが世界的な議論となる。

・体外受精、体外出産が実用化する。子供を求める夫婦は専用施設に精子と卵子を提供すれば、施設で赤ちゃんが生まれ、夫婦に渡されることになる。

・子供は普通の町にはいなくなる。子供を育てる夫婦とその子供は「養育特区」に集められてそこにしか子供はいない。

・しかし学校は現在と同じようにある。大人が通うようになる。

・単純労働はほぼロボットが代行するようになる。

・車、飛行機、鉄道など、全ての移動手段が自動化される。

・スポーツや芸能、芸術、娯楽の提供、などが人の仕事になる。

・働かなくても、衣食住には、基本、お金はかからず生きて行かれるようになる。

・死にたい人は死ぬことを選択できるようになる。合法的に安楽死できる薬を処方してもらえる。

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2017.05.10

何をどうすればよかったのだろう

おそらく世の中の大半の男女の誰もが、心から愛する相手と出会えて、相手からも大事にされる…
そういう相手と結婚し共に人生を歩み、その結果、自然と子供に恵まれ、幸せな人生を送る…
なんていうのを漠然と心に思い描きながら、20代、30代を過ごすのだろうと思います。

結婚や出会いは縁だと言います。
職場、学校、趣味のサークル、別に合コンや今時なら婚活アプリでもいいでしょう。
もちろんお見合いだっていいし、友達の友達だっていい。
そういう出会いを重ねていって、自然と出会い、結婚に至る。

そういうものだと20年前は、思っていました。

ところが現実はさにあらず(苦笑)

私は当時、男性も多く勤務する職場にいましたし、趣味のカラオケサークルにも入っていたし、合コンもありましたし、お見合いパーティにも持ち前の好奇心で参加しました。
親の知り合いや友達の紹介があれば、それも出会いの一つということでお見合いもしました。
たいして取り柄がない私、若さだけしか売りがありませんから、
「後になって『あのときこうしておけばよかった』という後悔だけはしたくない。若い内に婚活(って言葉は当時ありませんでしたが)、がんばろう」
と思っていました。

が、こんな活動を重ねる内にちょっと勘違いに気がつきました。

誰かの紹介でお見合いすると、断るのが大変です。人によっては「顔をつぶされた」と怒る。
「最初から結婚する気もなかったのか、そんな気持ちで話を受けたのか」
と叱られるのです。
それが親の知り合いの紹介だと、親の顔もつぶす。

私は結婚したいという思いはありましたが、好きな人とじゃないとできないと思っていました。
お見合いで私が会った相手の人は、悪い方ではなくもちろんいい方でしたが、好きかどうかと言われると、2、3回会っただけじゃ判断できません。
だったらもっと付き合いを続けてもいいんですが男性側がどうも煮えきらない。
付き合いを続けたいのか、やめたいのか、どちらかというとやめたいって感じに私には見えたので(親から言われて仕方なくお見合いしている感じ)、じゃあやめましょうか…となってしまいます。
で、本人同士がお互いにそう合意した後に、仲介人から電話かかってきて、上記のように叱られて、なんだかバカバカしくなってしまいました。

結婚のために結婚したいわけじゃない。
食べていくには仕事もあるので自分一人ぐらいならなんとかなる。
ただ、好きな人と出会いたいだけ。自分を好きだと言ってくれる人と一緒に暮らせたらいいと思うだけ。
以降、お見合いはやめました。
「好きじゃないと結婚できない」とか言うとアホかと思われるようなので。

私から好きになった人はいました。
告白はしたけどふられた人もいるし、告白しようとしたら距離を置かれた人もいました。
いずれもうまくはいかなかったけど、人を好きになるっていい経験ですね。ちゃんと私も自分以外の誰かを好きになれるんだなって思えてよかった^^
ま、いろいろありましたが(笑)、がんばったので悔いはないです。

結局縁がなかったってこと。
ま、しょうがないですな。
やるだけはやったし、仕事はあるし、一人の暮らしもそれなりに幸せで、私は自分の人生を後悔したことはありません。

今までも書いていますが、私はそもそも一人が向いてるみたいだなぁというのも最近気がつきました。
一人でいるとほっとする。誰かがそばにいると緊張しちゃう。

おそらくこの先、年をとっても一人で生きていけるでしょう。そのための準備も今、がんばっています。

読売新聞の「発言小町」という相談コーナーでこんな相談を見かけました。
「私は結婚できませんか?寂しいです。」

私が上記に書いたように結婚や出会いに「がんばった」のは20代後半から30代前半にかけての頃の話で、30代後半にはもう結婚はないな、と思っていました。

なので、一読して相談者の世間知らずと箱入りっぷりに驚くとともに、ここまで箱入りなら、なぜ親がもっと彼女が若い内にいい縁談を世話しようとしなかったのか、非常に疑問に思いました。

相談への回答はかなり厳しいものが多く、結論から言えば相談者が望む結婚は37才じゃかなり難しいのは「事実」なのでしょうがないのですけど、自分の来し方を振り返ると、私は、この相談者の少々無理な相談をナンセンスだと切って捨てることはできないのに気づきます。

そう、誰しもが…それを何歳から意識し始めるかの違いはあるとしても…
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と結婚したい、と思っていると思うんですよね。

相談者がそれを望み、結果、今、37歳になってしまっていることを私は笑えない。
自然にそういう相手と出会い、結婚に至るのだろうと、普通は思いますよ、うん。

そういう認識が甘いと言われればそうなので、自然に任せてたら出会わないから、婚活アプリだのなんだのが登場するわけですが。数だけ重ねりゃいいってもんでもないし、出会えば出会っただけリスクもあるのでねぇ。リスクを恐れてたら何も得られないというのも事実ですが、自分から進んで「傷つきたい」人間なんて存在しません。

年収が1000万、顔が人並み、×1じゃいやだ、年齢も同じくらいがいい、まあ条件がいろいろあるのが批判されちゃってますが、そりゃ条件だけ聞かれれば、いい方がいいに決まってます。

でも一番大事なのは、やっぱり「自分が好きと思えて、相手にも愛される」。
これなんだと思うんですよね。
好きな相手のためなら、条件なんていくらだって変わります。私もそうだったもん。

この相談はあくまでも一例。
今、非婚率が跳ね上がっていますが、じゃあ、「自分が好きと思えて、相手にも愛される」、そういう、人間だったら誰もが望む当たり前の幸せを手に入れるために、私達は何をどうすればよかったのだろう?

処方箋があるなら教えて欲しい。
自分のためにではなく、これから適齢期に入る若い男女のためにね。
私達が何か間違っていたのなら、同じ間違いを繰り返さないために。

無論、今の時代、結婚だけが幸せではないと思います。
今の私のように、結婚しなくてもそれなりの幸せはある。

でも、笑われるんだろうけど、正直な話、今でも思いますよ。
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と一生の内に出会いたかったなぁって。

出会ってる人はちゃんと出会ってます。
それこそ10代の内に出会って、結婚に至る人だっているのだし。
出会えないんだったら、やっぱりそれは単に「縁がない」ってことじゃないのかなぁ。
それを本人の努力がどうとか、条件がどうとか、言ってみたって始まらない。

で、もし出会えなくても、ちゃんとパートナーがいなくても一人でこの人生を歩いて行けるように、私はこれまでやってきた。
それならそれもありでしょ。少子化なんて知るかー(笑)。

件の相談者がこれからどうなるのかやや気になりますが、もしかしたらこれからすぐにいい人が見つかって結婚しちゃうかもしれません。
そうじゃなくても、親の財産で、一人でも幸せにやっていけるのかもしれない。
それは誰にも分らない。
彼女なりに幸せになれるといいなと思います。というか、なってほしい。
幸せは人と比べるものじゃない。

彼女と比べたら、私なんて大卒で就職して、それなりに社会経験も積んで、しっかり一人で働いてます。
それだって結婚できないんだもの。
彼女が37歳まで家事手伝いをしてたからってそれを責めてもねぇ。

結婚なんて、結局は縁だと思います。できなきゃできないでしょーがない。
そういうもんですよ。たぶんね。

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2017.03.28

「ひとり」の自分に10の質問

Q1 なぜ一人暮らしなんですか。

A1 親元を離れて一人暮らしを始めたのは27才の時。
  それ以来ずっと一人暮らし。それで困ったことないし、大人だし、働いているし、一人暮らしが「当たり前」って感じです。


Q2 一人でさみしくないですか。

A2 うん。むしろ一人が快適。一人の部屋に帰るとほっとします。


Q2 一人で困ったことってホントにないの?

A2 高いところのものが取れないのがちょっと困る。キッチンに作り付けの食器棚があるんですが、一番上は何も置けない~。


Q3 一人暮らしを始めてよかったことは?

A3 親と暮らしていた時と違い、自分の人生はそこから始まった気がします。何でも自分で決めなくていけない。その代わりなんでも自分の自由にできる。まさに「自分の人生」を手に入れた感じ。
 そんなに束縛が強い親でもなかったんだけど、親と暮らしていた頃は自分の人生を自分で主体的に生きていなかった感じがします。親がそうあれと望むように生きていたんだろうな。自分でそうとは気づかずに自分で選んだのではなく誰かが望んだように生きている人って案外多いのかもしれないけれど。


Q4 結婚しようと思ったことはありますか。

A4 「結婚」とはちょっと違うけど、この人となら一緒に暮らしたい、人生を共に歩みたいと思ったことはありますよ。残念ながら相手にふられちゃいましたが^^


Q5 もう結婚しないの?

A5 うん、しないなぁ~。だってもう子供を産める年齢も過ぎたし、この間、気がついちゃったのよね。私は「一人がいい」ことに。誰かがそばにいると安心できない。人に頼るのも頼られるのも好きじゃない。ほっとかれるのが一番楽。子供の頃から「誰もいない一人きりの場所」にずっと行きたかった。だから今は理想の生活なのです。


Q6 もし「結婚しよう」という人が現れたらどうする?

A6 本気で言われたら「ごめんなさい」します。


Q7 もっと年をとったら一人は困るんじゃない?

A7 目や耳がきかなくなって、頭も働かなくなって、体も思うように動かなくなる時がいつかは来るんだろうけど、そうなってもまともに人生を終えることができるように、とりあえず今は貯金をしっかりしています。公共サービスとかもできるだけ使いながら、可能な限り一人暮らしを続けていきたい。
 将来的には、独身の友達同士で隣同士で暮らしたりしたいなーと考えています。けっこう多いのよね、独身の友人。


Q8 ぶっちゃけ、何のために生きているの?

A8 あ~、それ、よく考える。でもね、命って別に何のためじゃなくても生きていていいんだと思う。というか「生かされている」んだと思う。何か、役目があるのかもね。ここにいるだけで。なんとなくそう信じています。


Q9 何が楽しくて生きているの?

A9 一人で一番いいと思うのは自分がやりたいと思ったことはなんでも出来ること。旅行が好きでね。見たことのないところ、行ったことのないところに行って、いろんなものを見たり、体験したりするのが楽しいよ。一人ならいつだってどこへだって行けるもの。


Q10 最後の質問です。でもホントは恋人ほしいよね?

A10 うん!(笑)
 お互いに一緒にいても苦じゃなくて、一緒にいるときが一番リラックスできて、全然気を遣わない、そんな相手がいたらな~。相手にとっても私が、私にとっても相手がいると、一人でいるときよりも癒やされて、断然、二人でいた方が幸せで。
 どこかにいないかなーーーーーーーー♪
 ま、ぜいたくだよね。分かってますとも♪

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2017.01.26

poem(114)

ツイッターでタレントの千秋さんが言っていた

>ほらやっぱりそうだ
>1月だけ進むのが超遅い
>お正月から随分経った気がするのにまだ16日、月の半分しか進んでない
>でも2月になった途端に超速くなるの
>知ってんの
>2月になったと思ったらあっという間に11月
>で、12月だけ少しゆっくり進んで
>またそれの繰り返し
>一年間ってそんな感じ!

「1月だけ進むのが遅い」
うん、そうかもね

新年になってずいぶんいろんなことがあったけど まだ1月

いっそのこと ずっとこのまま1月だったらいいのに

「きっと今年はいいことがある」
そんな漠然とした期待がある1月
まだ何も結論を出さなくてもいい
まだ何もやらなくていい
モラトリアムな1月

外は今年は特に寒いけれど
家に帰ればお鍋でもしてあったかくなる
バスクリンを入れた家風呂も気持ちいい

大それた目標や
年をとることの不安や
そうして結局何もできなかったことへの焦りや
そんなものは関係ない1月

やりたいことはたくさんあっても
まだ動かなくていい1月

ずっと1月だったらいいのに

このまま永遠に年をとらないなら
私たちはこんなに生き急ぐことなく
自分のことだけでなくて 世界全体のことを考えたり
人にやさしくできたりするんじゃないか

もう何もいらないんだ
ただこうして幸せに生きていられるだけでいいんだ

そんなささやかな望みを打ち砕くように
あとたったの数日で
気が付くと今年もすぐに終わってしまうのか

永遠にここにいたい
この1月に


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2017.01.10

元日に困ったこと

2017年の正月はとある事情で札幌で過ごしました。

「とある事情」って何かというと、昔から「寝台列車」というのに憧れがあったのですが、乗らないでいる内にどんどん廃止されていってしまうので、ここはもう清水の舞台から飛び降りたつもりで、高くてもいいからとにかく今の内に「寝台特急カシオペア」に乗っておこう!と思い立ったからです。
1日に飛行機で北海道入りし、札幌のホテルで一泊、次の日の夕方に札幌をカシオペアで出発し、3日にさいたまに戻ってきました。

初めての寝台列車、楽しかったです。星空を眺めながらの列車の旅。最高ですー

札幌から上野までのカシオペアは、実はすでに2016年(平成28年)3月26日で北海道新幹線の開業と合わせて廃止されています。2017年の正月に私が乗ったカシオペアは団体専用列車としてのパックツアーで運行されたもので、でもそういう団体専用列車としても札幌-上野間での運行は、今年、2017年2月26日を持って完全に終了してしまうのですって。

残念です…
しょうがないのかな。飛行機も安くなりましたしね。

列車で一泊、食堂車でフルコースディナーを楽しみながらのぜいたくな旅。こういう需要ってまだまだあると思うんですけどね。私も今回体験してみて大変楽しかったので、また機会があれば寝台列車の旅をしてみたいのに。

という話を身内にしたら、カシオペアの時代は終わり、今は九州の「ななつ星」だそうじゃないですか。九州一周のクルーズトレイン「ななつ星」。ツアー料金、一人100万越えもあるという超高級寝台列車です。ひぇぇぇ~
正月のカシオペアも目玉が飛び出るほど高かったけど、さすがにこれほどでは。
上には上があるもんだ。まあ、さすがにしばらくいいや^^;

という、ここまでが前置きでして。

そういう事情で元日の夜、札幌市内で一泊した私が遭遇した「困ったこと」がなんだったかというと。

『晩御飯を食べる店がなかった』

いえ、厳密にいえば泊まったホテルで新春バイキングとかやってたんですが、一食3500円もしたんです。
翌日にカシオペアに乗ってフルコースが予定されている身としては連日の贅沢は慎もうと思いまして、泊まったホテルがすすきのだったので狸小路のアーケードを少しぶらついてみました。
個人的希望としては、せっかく北海道にいるので新鮮な魚介の海鮮丼かサッポロラーメンでも、というところ。

ところがアーケード街の店もほとんどお休み。
当たり前と言えば当たり前です、元日ですもん。
ところがアーケードは観光客でとっても賑わっています。たまに営業しているラーメン屋があるとものすごい列。
そもそも観光客ですから地元情報には不案内で手頃な飲食店なんて急に探せるわけもなく、それでもコンビニ飯だけは避けたいと思い、やむを得ず選択したのは空いていたサブウェイ。
何が悲しくてわざわざ北海道でサブウェイのサンドイッチなんぞ食べなきゃいかんの、とは思いましたが、サブウェイのサンドイッチは文句なく美味しかったです♪

その後、ホテルへ戻る途中でコンビニに寄ってみると、おにぎりの棚が空っぽだった。
私同様の観光客の晩御飯難民ぶりが分かろうというものです。

アーケードの賑わいはほとんどが海外旅行客でした。みんな海外から日本に来ているお客さん。
そういう人達が手軽に夕飯をとろうと思ってもやってる店がない。
なんというか…非常にもったいないというか、ビジネスチャンスを逃しているというか、そんな感じがしました。

確かに正月といえば、家族で家でおせち食べて、雑煮食べて、というのが一般的といえば一般的。
正月から外食って日本人ならあまりしないかな。
でも、私自身が元日に旅行をしてみて、海外から日本に来ている人達であふれている観光地を体感し、
「こういうニーズ(正月こそ旅行して旅先で美味しい物食べたい)もあるんだな」
というのを実感した次第です。
それに合わせて働かされる飲食店側にしたらたまったもんじゃないのかもしれませんけど。
サブウェイの店員さんもご苦労様でした。

一方では、伊勢丹三越の社長が三が日くらいは百貨店も休みにしたほうがいいと言った、というニュースもありました。

正月も休みなしに営業するか、それとも三が日くらいはみんなで休むか。
昔は三が日はスーパーも休みでしたし、だからこそ年末にはいっぱい食料を買い込んで、野菜は冷蔵庫に入りきらないから軒先や物置に置いたりしてましたっけ。
それも懐かしく、正月くらいは家族で過ごすという価値観も分かるような気はします。

ただ個人的には、最近はよく正月に旅行の予定を組むようになりました。
父が再婚して実家に帰らなくてもよくなり一人で過ごすようになってからだな。
一人で家にいてもつまらないし、だったら、と。
自分自身のニーズが明らかに変わってきていて、それは、海外旅行客やこれからますます増える高齢者シングルのニーズでもある…

ちょっと面白い。
もしかしたら今は何かの過渡期なのかもしれません。
今後、どう変わっていくのか興味深いところです。

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2016.12.31

今年もお世話になりました

 今年は11月くらいにものすごく寒くなって、どうなることかと思いましたが、ここ数日は穏やかな年末となっています。

 例年のことですが、私はいつも年末に明治神宮にお参りをします。古いお札をお返しして、新年の新しいお札をいただきます。年末の方が空いていますしね。

 2016年の振り返りはすでに終えましたが、ほんと災害の多い年でした。
 来年は、この年末のように、穏やかな1年でありますように。

 今年もお世話になりました。
 来年もどうぞよろしくお願いします。
 

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2016.12.27

2016年の前代未聞・続き

12月8日に、2016年は前代未聞の出来事がいくつも起こったという記事を書きました。
本稿はいくつかその記事に追加をしたいと思います。

 追加その1
【「君の名は。」の大ヒット】
製作した関係者でさえこれほどヒットするとは思っていなかったという映画「君の名は。」
個人的には宮崎アニメ(ナウシカとかラピュタとか)ほどのインパクトはないのですが、地味に成功すると思われたこだわりの作品が、予想外にたくさんの人の支持されるというのはいいことだと思います。来年はどんな作品が表舞台に出てくるかな。楽しみ。

 追加その2
【糸魚川大火】
災害が多かった2016年のだめ押しのように大規模火災が発生してしまいました。たった一件の中華料理屋の火の不始末から市街をあれほど広範囲に焼き尽くす大災害になるとは。死亡者はいなかったようで何よりですが、着の身着のままで焼け出されてしまった被災者の皆様の胸中を考えると私も胸が痛みます。
心よりお見舞い申し上げます。

 追加その3
【SMAP解散】
人気グループの解散自体は、昔からよくある話ですが、SMAPの解散ほど裏の事情やもめ事が報道され、一時期は解散回避でSMAPメンバーが公開謝罪までさせられたあげく、結局、覆水盆に返らず。12月26日の最後のSMAP×SMAPで5人で歌う「世界でひとつだけの花」を聞いていると、恋人同士の別れのシーンを見ているかのようでした。
古い歌ですけど、ユーミンの「リフレインが叫んでる」を思い出してしまった。

♪どうしてどうして私達離れてしまったのだろう
♪あんなに愛してたのに
♪どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう
♪二度と会えなくなるなら

まったく、どうしてなんですかねぇ。
いや、理由は想像できますし、この先はそれぞれで独立して活動していった方がいいとは思いますがこの解散は誠に後味が悪い。解散コンサートを派手にやって、お互いにありがとうを言い合って、気持ち良く卒業できればよかったのに。
やっぱり引き際を誤ったということなのかな…

何にせよ、前代未聞の2016年の出来事でした。もう…ないよね?

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