囲碁、ようやく初段になれました♪
囲碁を始めて12年…やっと本日、囲碁大会に1級で出て4戦全勝して、初段になることができました。嬉し過ぎる(T_T)
12年もかけて初段になる人なんて、いないんじゃないのかなぁ。
私も一生、初段になれないんじゃないかと思いました。
でも、あきらめなければ叶う夢もある。
ずいぶん長くかかったけれど、念願を叶えることができました。
よかった~
これからもがんばります^^
囲碁を始めて12年…やっと本日、囲碁大会に1級で出て4戦全勝して、初段になることができました。嬉し過ぎる(T_T)
12年もかけて初段になる人なんて、いないんじゃないのかなぁ。
私も一生、初段になれないんじゃないかと思いました。
でも、あきらめなければ叶う夢もある。
ずいぶん長くかかったけれど、念願を叶えることができました。
よかった~
これからもがんばります^^
色っぽいタイトルですが、恋の話ではなく、趣味の囲碁の話です。
タイトルにつられた方、ごめんなさいm(__)m
「囲碁を続けていますか?」というコメントをいただきましたので、最近の私と囲碁について少し。
いやぁ、もう実は囲碁を始めて10年を超えたのですが、未だに初段にはなっていません。
ですが・・・
いえね、実はもうずっと囲碁を始めた最初の頃から、私は囲碁を打つことってあまり「楽しい」と感じたことはありませんでした。
対局は、楽しいというよりも緊張します。
自分が不利だと思うと、動悸、息切れ、めまいがします(まじ)。
相手に攻められてると息が止まりそうなくらい苦しくなりますし、自分が攻めてる時も、一瞬たりとも緩い手を打ってはならじと緊張の連続。
そして負けると自分のふがいなさ、実力のなさに落胆し、毎回、
「囲碁やめたほうがいいんじゃないか、もう才能ないし、向いてないし、一生、このまんま上達しないんだ、私」
と思います。その絶望加減たるや、負ける度にそんな落ち込んでて大丈夫なのかと自分でも思います^^;
じゃあ、何が楽しくてやってたのかというと、やっぱり勝てるとうれしいし、昇級するとうれしいから。
まだまだ私も捨てたもんじゃないってね。
「努力が報われた」「自分のやってきたことの正しさが証明された」・・・その他いろいろ、とにかくその瞬間は、
「ああ、囲碁をやってきて本当によかった」
って思えるんですよ。そのうれしさは他の何と比較したって「最高」です。
囲碁について、囲碁仲間との交流に使っているSNS「goxi」では、以前に「恋の魔力」というタイトルでこう書きました。
(引用開始)
恋をすると、私はめっちゃ元気になります^^
自分が何でもできるような気持ちになって、大好きって思うだけでうれしくなって、毎日がハッピーで、生きててよかったー♪って思って、ああ、この人に出会えてよかったー♪って思います^^
囲碁で勝ったときもそうなんですよ。
自分がなんでもできるような気持ちになって大好きって思うだけで…(以下略)
勝ってうれしいのって一瞬なのかもしれないんですが、私にとっては一瞬というよりは、なんというか、その瞬間に今までのすべての努力が報われたような、生きててよかったーというような、最高の気分です。
めっちゃ気持ちイイーーーーーーー♪
みたいな。
アドレナリンでまくり♪
で、負けると・・・・
・・・
・・・
でも、だから囲碁って好き。
というか囲碁で勝つのが好き♪(あー言っちゃった)
その瞬間にめっちゃ幸せになれるのです。
恋をすると、
「私はあなたに出会うために生まれてきた」
なんて思うじゃないですか^^
囲碁で勝つと
「私は囲碁を打つために生まれてきたんだわ」
と思ったりします。いやほんと。
そこの人、笑ったなーw
(引用終わり)
ずっと、長い間「囲碁が好きですか?」と問われると私は「好き」とは答えられませんでした。
だって苦しいばかりだったから。今も対局の最中は苦しいし、負けると落ち込みます。
でも・・・もう、ここまで来たら、認めてしまうことにしました。
私は囲碁が好きみたい。「みたい」じゃなくて、好きだーーーーー!!
だって恋ってそういうものでしょ?(苦笑)
本物の恋も片思いばかりですが、決して苦しいばかりじゃなかった。最高に幸せだった時もありました(遠い目)。
そういう意味では囲碁もね。
恋と同じでなかなか報われない感はありますが、それでも、長い付き合いの中で少しずつ理解は着実に深まっています。
まだまだ人生は長い。恋は自分だけではままなりませんが、囲碁なら、いくつになっても、あきらめない限り、いつかは報われる日がくるんじゃないかと。そう信じてこれからもがんばります。
ちなみに今度の日曜も囲碁の大会に出る予定です。目標は・・・もうずっと同じですけど、今年こそ初段!!
がんばります。
夏に紅友杯に出た話をこのブログに書きましたが11月20日には友人に誘われてNHK学園の囲碁大会にも出てみました。2級で出場して3勝1敗だったので1級の棋力認定状をもらいました。
今年は囲碁を初めて10年目に突入しまして、ようやく1級。
目指す初段まではあと1ランク。でもその段への壁がなかなか突破できないのよね。
ちなみに11月は恒例の日中友好囲碁大会でしたが、1級で出て1勝3敗がここ数年続いています。
10年・・・いろんなことがありました。
出会いがあり、別れがあり、喜んだ日もあれば、泣いた日もあり。多分ずっとこの先も囲碁は続けていきます。
負けて落ち込む日もあるけど、私は囲碁が好きみたいです。
あと一息。胸を張って初段と言えるようになるまでがんばるぞ。
8月31日に、女性だけの囲碁大会に出場しました。
紅友杯(こうゆうはい)
http://www.nihonkiin.or.jp/news/2011/06/post_358.html
女性だけってとっても新鮮な感じ。男性と対局することの多い普通の大会と違ってリラックスして打てた気がします。
私の出場は1級~5級のDクラス。
四局打って、成績は2勝2敗でした。
今年、10月がくると、囲碁を始めて10年目に入ります。
始めたころ、すぐに初段になれる、なんて言われてたのがすでになつかしい。
最近は囲碁ネタは囲碁専門SNSのgoxiにつづっていまして、このブログではあまり記事に出てきませんが、ちゃんと続けています。今も七転八倒中。
通っていた囲碁教室では1級になり、いつも教えてくれる先生は、もう初段じゃないか、なんて言ってくださいますが、今も有段者と打つと置き碁でもほとんど勝てません。何より、まだまだ迷いが多い。紅友杯の成績からしても級位が妥当な感じです。
まだまだ奥が深い囲碁の世界にあって、しばらく棋力は停滞中。
でも・・・不思議とやめようとはもう思いません。
「ヒカルの碁」に惹かれて始めた囲碁ですが、一生の趣味として、ずっとつきあっていきたいと思っています。
だって、囲碁のこと考えるの好きだもんな~
紅友杯、楽しかったです。また出たいな。
次回は11月にいつもの日中友好囲碁大会に出場する予定です。
ツイッターで以下のような、つぶやきを目にしました。
「囲碁のイメージってやっぱり「棋道」的なものなのかなあ。私は銃弾戦とは言わないまでもボクシングみたいなイメージ。純粋に読み勝ったほうの勝ち。でも強い人に限って「自分を表現する手段」とか言うんだよね。不思議。」
ふむ。
私にとって囲碁ってどんなイメージなのかなぁと考えてみました。
私は「ヒカルの碁」をテレビで見て、それで囲碁を始めたんですけど、そのせいかな・・・
「ヒカルの碁」の中で「神の一手」というフレーズがあります。
私の囲碁のイメージはまさにそれ。
えーと、みなさんは「ラプラスの悪魔」って知っていますか。
検索するとウィキペディアに難しい解説が載っていますが、簡単に書くと・・・
科学の世界で、未来はすべて決定しているのか、それとも不確定なのか、という論争があったことがあり、実は今でもそれは答えの出ない課題であったりします。
未来が決定しているっていうとなんか変な感じがしますが、たとえば、ボールをある力で投げるとそのボールがどのように飛ぶかは、物理の法則を知っていればほぼ確実に、予測することができます。
自然の世界はおおむねその法則に則って成り立っている。太陽があってその周りを惑星が周っていますが、一つ目がここ、二つ目がここ、三つ目がここだとすると・・・・と計算していって、じゃあ8番目の惑星はこのへんにあるんじゃないかと、調べたから海王星が見つかったんですって。
そんなふうに・・・ある時点で、全ての条件を把握していれば、その先がどうなるかは自ずと決まってくる。
未来は全て決まっている、ということです。
もちろん我々はボール一つにしたって、投げる人の腕力とかそのときの風向きとか知らないから、そのボールがどこまで飛ぶのか分らないんですけど、そういうことを全て知っている「神様」のような存在がいるとすれば、ボールの行く末は決まっている。
そういう考えを決定論と呼び、そういう神様のような存在が「ラプラスの悪魔」と呼ばれています。
私は、囲碁は決定論だと思っています。
1手目がそこであれば、2手目はここ。全てを知っている神様ならば、終局まですべて一本道なのではないかと。神の一手は決まっている。
だけど、私たち人間は、神様ではないので、ああでもない、こうでもないと盤面の上で四苦八苦します。
「ここはこう打つべきなんじゃないか、相手がこうしたらこうして・・・えーと」
みたいな。
決定論の中で、何が最善かを必死で考える。答えは必ずあって、その答えにたどり着こうと一生懸命に勉強する。それが・・・楽しい。
私は元々文系で、算数や数学はめちゃ苦手なのですが、算数や数学が好きな人は、算数や数学には答えがあるから好きといいますね。
囲碁を打つ人って理数系の人がけっこう多いのですが、面白さは同じところにあるのかもしれません。
私も、ちょっとその気持ち、分かる気がするな。
もちろん、同じ囲碁を打つ人でも、人によって囲碁への面白さって違うこともあります。強さによっても違うようですし。
私には囲碁は決定論のように見えますが、冒頭のつぶやきのように、強い人たちにはもしかすると決定論じゃないのかもしれません。
無限の可能性があり、神であっても答えがない世界だと、思ってる人もいるかな・・・・
私には、囲碁にはやっぱり神の一手があるように思えます。私たちはそれを打とうと囲碁をがんばっている。
数学者にとってすっきりと解のある問題と答えは美しいと感じられるように、そういう意味で、神様の法則に基づいた一局は美しく・・・私のようなへぼはめったにそんなに美しくは打てないのですけど、でもそれに少しでも近づくような、最善の一手を目標にしています。
この盤面でどこが最善か。答えは必ずあって、それに近づけば近づくほど美しい。
私の囲碁のイメージはそんな感じです。
まあ「美」とか「こうあるべき」とか言ってるから、がむしゃらに何でもやってくる人が相手だところっと負けてしまうわけで、それが弱点でもあるのですが、ちゃんといろんな変化を読み切れるようになって、美しい対局を目指していきたいと思います。
GWもきっと碁漬けですわ。
久々にこのブログで囲碁のことを書きます。
前回の記事はこちら。
囲碁との付き合いは昨年が一つの転機でありました。
それまでずっと、なかなか強くなれないことを「恥」だと思い、だから自分をふがいない、情けない、と思っていたし、だから負ける度にひどく落ち込んでいました。囲碁そのものは好きというよりも、つらく感じることの方が多くて。囲碁を通して自分がまだ成長できる実感を得られることが嬉しくて碁を続けてきたので、成長できなくなったら囲碁を続ける意味がないと、思っていました。
でも昨年、その考えは変わりました。
どうやら私は囲碁が好きらしい。
もう続けても意味がないからやめようとしたのに、2ヶ月も経たない内に復帰してしまうくらいに。
それが分かったのが約1年前のことです。
goxiというSNSを通じていろんな仲間と出会い、囲碁を打ってきてまた1年分、囲碁歴を積み上げました。
実力は1年前とほとんど変わっていません。
でも、逆に言えば実力は落ちてはいないということ。できないことは相変わらずできないし、分からないことは相変わらず分からないけれど、何が分かっていないのかは段々見えてきたような気がします。そういう発見が楽しいし、対局も楽しい。どんな人と対局しても今の自分の実力でぶつかればいいんです。
前は自分の実力が強いのか弱いのかよく分からなくてそれでグラグラしていました。BUBIさんは強いとほめてくれる人はいるけれど、結果に結びつかなきゃ強いわけないと思っていましたし、実際負けることの方が多いので、自分で自分がよく分らなかった。
が、今はもう自分の実力は大体分かっています。
基準が甘い囲碁教室レベルでは1級。
それよりも厳しい碁会所レベルでは4級。
レーティングのあるネット碁だと4級は厳しそうですが、もし今から新たに始めるとして「何級からスタートしますか?」と聞かれたらとりあえず6級くらいから、みたいな感じかな。
(いろんなネット碁会所がありますから、最低ランクで登録しても全く勝てないこともありそうですけど、それはレーティングの方がおかしいということで。もう8年もやってればそのくらいのことは言えます。)
それ以上でもそれ以下でもない自分の実力で相手と掛け値無しに対局すればいい。この安定感は1年ごとにどんどん上達してた頃には分からなかった感覚です。
強い人と当たれば負けるし、弱い人と当たれば勝てる。この当たり前のことさえ自分のレベルが分からなかった昔はなんだか納得いかなかったもんなぁ。
この調子で碁を続けていって、いつか「初段」で打てる日がきますように。それがたとえ10年後でも叶えば、もう何も言うことはありません。
囲碁と出会えてよかった。
「囲碁を打つ幸せ」をかみしめる、今日この頃です。
最近、いろいろと「目からうろこが落ちる」経験をしています。
今までの人生でも何度かこういう「転換期」みたいなものがあって、その「時期」の前と後では価値観がガラリと変わったりすることがありました。
卵が雛に孵るように。さなぎが蝶になるように。
面白いですねぇ。そういうのって思春期や青春時代だけかと思っていたら、違うんだなぁ。
ちょっと大げさな表現をするなら「人はいくつになっても生まれ変われる」ということなのかもしれません。
※ ※ ※
きっかけはこのブログではとんとご無沙汰の「囲碁」に関してのことでして。
私が囲碁を始めたのは7年前。始めた頃はすぐに「初段」になれるのだと思っていました。
だって、周りの上手の方も「BUBIさんはすぐ初段になれる」と言ってくださるしー。
周りで碁をやってる人にほとんど級位者なんていません。みんな有段者ばかり。
だから、私は信じました。すぐに初段になれるって。
でも1年過ぎ、2年過ぎ、3年過ぎ・・・未だに初段には手が届きません。
今はこう思います。
やはり囲碁を始めたからといってすぐ初段になるのは難しい。
もちろんすぐ初段になる人もいるけど、なれない人がほとんどなのだと。
ま、それはそれとして・・・そういう経緯があって、私はすっかり不信に陥っていました。
誰が私の碁をほめてくれたってうそっぱちじゃないかとね。
だって実際に、なかなか初段になれないのだし。
7年もかけて初段にさえ届かない自分の碁を、仮にほめてくれる人がいたって、まさか7年もやってると思ってないからでしょ、と。
7年やってることを知ってる人がほめてくれるのは、ただ私に「囲碁をやめて欲しくない」からだけで、本当は強いともうまいと思ってないくせに、と。
本当の私をみんな知らない。
知らないのにほめてもらったって意味ない。
・・・そう、思っておりました。昨日までは。
でもね、これって、アホじゃありませんかね~?
※ ※ ※
昨年「今年中に昇級できなかったら囲碁やめる」という決意で臨んで、結局昇級できなくてすっかりすねて、囲碁をやめると騒いでいたときに「囲碁やめるな」と本気で心配して叱ってくれた人がいました。
けれどそのときも思ったんですよ。
「この人に私の気持ちなんか分からない」
って。
で、結局そのまま2ヶ月ほど囲碁の対局をするのをやめて、ちょっと囲碁から離れました。
2ヶ月たって、結局戻ってきちゃったんですけどね^^; 自分が囲碁の話をしてるときが一番楽しいのに気がついてしまって。
強くならなくたってずっと級のままだって、囲碁を続けられればそれでいいじゃないかと、一度やめてみてようやくそう思えたからです。
戻ってきて、しれっとまた囲碁を始めたわけですが・・・「やめる」と騒いでいたときに本気に心配してくれた人にはメールを無視するなど無礼な所業をしていたもんですから、顔向けできなくて、そのまんまになっていました。
でもたまたま、間に立って、その人とまた会う機会を作ってくれた友人がいました。この機会を逃すときっと自分のせいで、ぎくしゃくしたままだと思って。
・・・大人になればなるほど人に謝るのってできなくなるものですからねぇ^^;;;;
「謝ることのできない自分」を正当化するためにますます意地を張ってしまう。愚かなことです。
私ってそんな情けないヤツだったのか?と。
で、思い切って今度、顔を合わせたらちゃんと謝ろうと思いました。
相手の方は急にそんなことになってきっとびっくりされたことでしょうが、無事謝ることができました。
よかった~。
それが一昨日の話です。
で、その翌日。
昨日は、職場の囲碁サークルで指導碁を打ってくれる先生が、私の碁をほめて下さいました。
「BUBI(仮名)さんはもう2級じゃないね」って。
でも例によって私は
「けっ、そんなわけあるか」
などと思っていたわけです。(こりないやつ)
それをgoxiという囲碁SNSの日記に書いたところ、一昨日、仲直りできた人がコメントをくれました。
「場所によって棋力が違う。どう捕らえるかは人それぞれでいいんじゃないか」
・・・
・・・うん。
そういえば、今までもいろんな人にそう言われたな。今まではそれを
「でもさー。実際勝てないんだしさー」
と思っていました。
でも今回はあらためて、そのことをちゃんと考えてみました。
囲碁をやったことのない方には不思議に思えるかもしれませんが、囲碁の段級位って統一された絶対的なものがあるわけじゃないのです。
つまり、ある大会で2級で出たら4連勝できても、別の大会で2級で出たら4連敗するかもしれない。
ある囲碁教室では2級でも、別な教室では初段かもしれない。
囲碁の段級位というのは、そういう相対的なものでしかない。
だとしたら。
そう、だとしたらね。
あとは何を信じるか、しかないのですよ。
何を信じるかで言ったら・・・アマチュアながら女流の大会でてっぺんをとったこともあって、私がどう打つかも知っていて、私の碁を何年も見てくれてる先生が「BUBIさんはもう2級じゃない」というのなら、それが信じられなくて何を信じるっていうんでしょう。
そこまで、考えて、やっと自分が何にこだわっていたのか、分かってきました。
私は・・・
結局、何かに評価されないと自分を信じることができない。
だから囲碁についても絶対評価が欲しかった。
逆に言えば囲碁は、勝ち負けで実力がはっきり分かり、その優劣は揺るがないものだから、その中で自分が昇級できることが嬉しかったんです。
でも少なくとも段級位に関しては、絶対的ではなく、その優劣は相対的なものでしかないのだから。
ある意味、人生と同じです。何を信じるかしかない。絶対的なものなんてない。
ならば、自分でなく人が言うことをもっと信じてみようじゃないの。
「本当の自分」なんて幻でしかない。
そのことは囲碁ではなく他のことでずいぶん、ここ最近思い知ってきたことではありました。
なのにまだこだわってたかー。
「自分」を客観的に見るのってなんて難しいことでしょう。
でもね、人間はこうしていくつになっても、気づくことができ、そこからまた新しい一歩を踏み出せる。
ほんの少し自分の殻を破ることさえできれば、そこから新しい世界を見ることができる。
そう思えたので、今はちょっと一つ進化できた気がしています。
いえ、囲碁はともかく、BUBIさんという人、そのものが・・・ね^^
え~、続いて囲碁の記事であります。
下記の記事で「次の大会もがんばりますよ」と書きましたが、件の大会が11月15日にありました。
結果は、全敗でありました~
いやぁ、今、下記の記事を読むとなんだか先週はまだ余裕だったんだなぁと思います。日中友好囲碁大会ではそれでも1勝しましたもんね。
毎年出場する日中友好囲碁大会に飽きたらず、翌週も大会に出たのは、その大会が日本棋院の囲碁教室に通っている人たちを対象にした大会であったことが大きな要因でした。
最近、自分の所属する教室ではいつも同じ人に負けるので、
「自分の教室は昇級基準が厳しいだけで、他流試合でならもっと勝てちゃったりするんじゃなかろうか」
それに囲碁教室に通ってるような人たちなら、変な手を打ってこないだろうし・・・
それが甘い考えであったことをこの結果で思い知りました。自分の教室の方がむしろ級位の認定に関しては甘いくらいだった!
気持ちの持ちようとかその日の体調とかいう問題でもなく、昇級できないのはつまり自分が弱いからでした・・・
全敗してからここ二、三日、少し考えていたことがあります。
私はなぜ囲碁をやるんだろう。
囲碁が好きだから?・・・いや、胸を張ってそう言えるほど「好き」って感じではない。あれ、それならどうして囲碁を続けてきたんだろう。
自問自答していて気がついたことが一つ。
これを読んでいる皆さんは自分に自信はありますか?
もちろん人間なら短所長所、いろいろあるとは思いますが、これだけは胸を張れること。
たとえばこういうのでもいいと思うのです。
「自分には未熟なところがあるけれど、この子にとって母親は自分だけ」
他の誰と比べてどうだろうと子供にとっては唯一無二の母親♪
お母さんというのはもうそれだけで、誇りに思っていいことだと思います。
私は単身者ですから、子供はいないしなぁ。
誰かや何かにとって唯一無二ってことないしなぁ。
もともと自信が持てる何か、なんてほとんどないんですよね^^;
けれど・・囲碁ってね。そういう意味では面白い。
運や偶然に左右されず、実力だけで勝負が決まります。
囲碁で結果を残せるということは、私にとっては自信につながることでした。
勝敗で決まる優劣が絶対的であり、感情や運やそのほかの余計なものをさしはさむ余地がない。
もちろん、これはいいことと悪いことの両面があり、負ければその結果を自分で引き受けるしかなくて、非常に落ち込むんですが、その分、勝てたときの達成感というのは、何につけても自信がない私にとって、かけがえのないものでした。
こう書くと、勝つことにしか関心がないように見えますが、勝つにしてもどんな手を使っても勝てばいいわけじゃなくてやっぱりいい碁を打って勝ちたいという思いもあって。
ちょっとずつでも有段者に向けて成長して、いい碁を打っていけるような自分になりたい。それをかなえることが、この、絶対的な優劣がある囲碁だからこそ、自信につなげていけるような気がしました。
で。
やっぱりそのためには、成長しなきゃ意味がない。
囲碁を始めた頃から上手(うわて)の方々に「碁は勝ち負けじゃない」って散々言われてきました。
でも、負けた碁に意味がないとは思いませんが、負けた碁も次に勝つための布石であればこそ意味がある。ずっと負けっぱなしでいいわけがないと思うのです。
なので負けっぱなしで、もう成長はないならやめる。
まだ成長できるのが自分に証明できたなら、これからもずっと続ける。
今年の決意は、囲碁に賭けた私の「自信を持てる自分になる」という夢の、総決算だったのかもしれません。
ということで。
泣いても笑ってもタイムリミットはもう近づいてまいりました。
「好きじゃない」とか言いながら、あっさりやめる気になれないのは、やっぱりそこに夢があるからであろうと思います。
夢を賭けてのチャレンジですから、これはほんとにやるだけやってみるしかありません。
大会で全敗して、かなり覚悟は決まってきました。残り1ヶ月半、スパートをかけますよ^^
表題は「きれいごとを言ってる場合では…」ですが、「夢」だなんてきれいな言葉になっちゃいましたね。
でもそれをかなえるためには本当は、七転八倒、泣いたり笑ったり、まさにきれいごとでは済まないプロセスを踏まなければ、「本気でかなえたい夢」なんてかなわないのかもしれません。
囲碁はいつだってこういうことを私に教えてくれるのです。
たまに思うのですが・・・
どうも一人で暮らしていると、自分が何もかも一人きりで、全部やっているような気持ちになることがあります。
うん、いや、一人でやらなくちゃいけないことは実際たくさんありますし、誰かに頼る気持ちがなくなって、自立して生きていけるようになっているのは確かなんですけど、でも、「誰にも頼ってない、全部自分でやってる」なんてのは実はたいへんな驕りだと、ふと気がついて愕然とする瞬間がたまにあるんですね。
自分はなんていろんな人の思いに支えられているのか。
なのに、たった一人で生きているような顔をしている。
そういう慢心や驕りに気がつかないでいると、病気になったり、何か大切なものを無くしたり、壊したりしてしまいます。 それで、気がつく。自分がいろんな物や人への感謝を忘れていたことに。
なんて、今回は何かを無くしたり、風邪をひいたりしたわけではないのですがね・・・
昨日は日中友好囲碁大会でありました。
日中友好囲碁大会といっても、中国の人と対局するわけではなくて、囲碁愛好者なら誰でも5人一組で出られる団体戦の大会で、私はそこに、職場の囲碁サークルの人たちと毎回、出場しています。
もう何度目になるのかなぁ?6度目?7度目?
いずれにしても、囲碁を始めてからずっと、10級くらいの頃からその大会に出ていて、今は囲碁は2級です。出るたびに連勝して昇級してきたんですが、今年は有段者の方に混ざって、ランクの高いクラスで出場したこともあり、残念ながら1勝しかできず昇級はありませんでした。まあ、自分の実力は自分がよく知っていますし、1勝できただけでも嬉しかったのですが。
2009年は、ちょうど40の区切りの年でもありましたので、いろんなことを一回やめてみたり、新しくチャレンジしてみたりしている年です。
囲碁についても「今年中に1級に昇級できなかったやめる」という目標をたててがんばっているところ。
日中友好囲碁大会で、もしもいい成績が残せたら、ミッションクリアだったんですが、そうは簡単にはいかなかったなぁ、やっぱ。
この「今年中に1級になれなかったら・・・」という話は、教室の囲碁友にも職場の先輩にもそしてネット碁の友達にも話していて、年末まであと2ヶ月弱、どうなることやら、毎日落ち込んだり、浮上したり、忙しい今日この頃。
そんな中で、日中友好囲碁大会がいよいよせまってきて、イマイチ最近勝率が思わしくない私に、何人もの囲碁友が応援の言葉をくれました。
一方、囲碁は自分のために自分だけの能力で挑むものだと思っていた私は、とにかくベストを尽くすことだけを考えて大会へ。まあ結果は上に書いたとおりだったんですが。
ただ、大会のためにひたすら自分のことしか見えていなかった自分を、大会が終わってふと振り返ってみて。
囲碁友のみんながどんなに応援してくれてたか、私はちゃんと考えていたのかなぁと。
なかなか強くなれない自分にいらだってばかりで、いっしょに出場した職場の先輩や仲間だって、応援してくれてたのに、それに対して、感謝の気持ちとか全然なかったんじゃないかなぁと・・・
もちろん、囲碁は勝負事ですから、自分の実力がものを言うんですが、それはそれとして、私はもっと、私に対していろいろと思ってくれている周囲の人たちの気持ちに気がつかないといけなかったような気がします。
振り返れば、囲碁を始めて、多くの人に支えられてきました。
決して一人で囲碁を続けてきたわけじゃなかった。
初級者だった頃に飛躍的に成長できたのは、ブログを通して知り合った師匠がいたからだし(元気かな~)、その後もネットを通じて、そして職場の囲碁サークルを通して、多くの人と囲碁を通じて知り合いながら、自分も成長してきました。
何度も書くようですが、囲碁は勝負の世界。勝ちがあって負けがある。
実力がなければ負けて当たり前なんですけど・・・
自分だけで打ってるような気持ちでいましたよ、ホント。でもホントはそうじゃない。
来週はもうひとつ、別な大会に出る予定です。今度は個人戦です。今度の大会は昇級とかは関係ないけど・・・うん、今度はちゃんと、囲碁を打ってきた自分を応援してくれたたくさんの人たちのことを思いながら、打ってみようかな。
応援してくれた皆さんで、もしこれを見てくれている方がいましたら。いつも本当にありがとう♪
次の大会もがんばりますよ。
そうしてがんばれれば・・・結果がどう出たとしても、もしかしたら今まで見えなかったものが見えてくるかもしれない・・・なんて、ね^^
今年も日中友好囲碁大会がありました。
まずは結果からご報告。今年は3級で出場して3勝1敗。3勝すると1級昇格できるので、2級への昇級が決まりましたー♪ やったね♪
今年は囲碁を初めて6年目です。
6年目でまだ2級だなんてね。前田師匠には
「何ちんたらやってるんだ」
ってまた笑われそうです。
(実名を挙げてみました。ちょっと照れる(*^^*))
師匠の教えを受ける前までは10~8級。やっと一桁級に手が届く程度だったんですが、そこから、今から考えれば破竹の勢いの昇級が始まります。
大会出場1年目 10級で出場→全敗
(師匠に教えてもらう)
大会出場2年目 8級で出場→全勝→6級に昇級
大会出場3年目 6級で出場→全勝→4級に昇級
(日本棋院の土曜囲碁サロンに通う)
大会出場4年目 4級で出場→3勝1敗→3級に昇級
大会出場5年目(今年) 3級で出場→3勝1敗→2級に昇級
こんな感じで今に至っています。
囲碁を語る時はいつも話していることですが、囲碁を始めた頃は、1年か2年、遅くとも3年目くらいには、誰でも初段になれるものだと思っていました。周りの有段者もみんなそう言うし^^ でも、それは実際のとこ、成長の早い子供や学生、もしくはよほど空間把握能力に長けた大人なら、という条件付。アマチュアかつ大人になってから囲碁を始めた人にとっては、けっこう初段は厳しい目標だと知ったのが3年目くらいだったかなー。
(実のところ、最近も、囲碁を始めて8ヶ月の高校生に負けたりしています^^;)
そういう意味では、当初の目論見はすっかりはずれたんですが、一度始めたことは途中でやめると勿体ないと思う性(さが)ゆえ囲碁を続けるうちに、今ではいろんな人と碁が打てるようになってきました。goxiでは級位者の碁仲間も増えたしなー。
師匠に教えてもらったおかげで、しっかり打つことには自信があります。
それに、あとは自分の力でこれからも「読み」の訓練をしていけば・・・
持って生まれた感性やひらめきはなくたって、たくさんの人と碁を楽しんでいける、よい碁打ちになれるんじゃないかと。
まだまだ頑張りますよ。初段になるまでは^^
堂々と初段を名乗れるようになったら、師匠にまっさきに報告するつもりでいます。
それにはあとまだ・・・2年くらいはかかりそう。
待っててくださいね~ 前田さん。
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