poem(131)
「ネコの気持ち」
ネコの気持ちは人間には分からない
ネコも人間の気持ちは分からないだろう
それでも私達、人間はネコが大好きで
ネコが気持ちよさそうに昼寝をしていると
見ているだけでとても癒やされるし なでてあげたくなる(そしてうるさがれる)
だから 君が私をどう思っているか、なんて
君にしか分からないことを 私が気にしたってしょうがない
ひざの上で丸くなるネコのように
隣で眠っている君を見ながら
私はただ君を好きでいるだけで
きっといいんだ
「ネコの気持ち」
ネコの気持ちは人間には分からない
ネコも人間の気持ちは分からないだろう
それでも私達、人間はネコが大好きで
ネコが気持ちよさそうに昼寝をしていると
見ているだけでとても癒やされるし なでてあげたくなる(そしてうるさがれる)
だから 君が私をどう思っているか、なんて
君にしか分からないことを 私が気にしたってしょうがない
ひざの上で丸くなるネコのように
隣で眠っている君を見ながら
私はただ君を好きでいるだけで
きっといいんだ
不思議
いつも一人だった
旅行に行くのも
映画にいくのも
ご飯を食べるのも
起きるのも
寝るのも
いつも一人だったから
一人が当たり前だと思ってた
何でも一人でできなきゃいけないし
一人でできないことは望んではいけないと思ってた
何の疑問もなかったから
寝てる時に君が隣にいるのって
とっても不思議なんだ
それが嬉しいのも
とっても不思議なんだ
「満開の桜の下で」
君と付き合ってようやく7ヶ月経って
8ヶ月目から一緒に暮らし始める
君と迎える初めての春
今年の桜はずいぶん早かったね
未だに私はずいぶん疑問なんだ
君は私が好きで
それを疑うことはもうとっくにやめたんだけど
それでも本当に 私でいいんだろうか?
私は君のために変わらない
君の隣では私が私のままでいられることが分かったから
一緒に暮らしてみるつもりになったんだけど
君はどうだろう 何か変わった?
私達は一緒にいることで
お互いがお互いのために何かする度にありがとうを言い合い
それによって自己肯定感をお互いに高めていける
存在を決して否定せず
応援し続けてくれるパートナーがいつも隣にいることは
なんて幸せなことなんだろう
満開の桜が今夜は雨で濡れている
次の春は私達はどうしているだろう
今年の桜はこの雨で二人で見上げることは叶わなかったけど
来年は満開の桜の下を
君と二人で歩けるだろうか
そんな未来を夢見ていいのだろうか
「変わらないでね」
私があなたを好きなのは
あなたが自分の「好き」を隠さないから
自分が何がしたいか
何ができないかをよく知っていて
自分のために自分の人生を生きているから
私はそんなふうに生きているあなたが大好きで
この先もあなたには自由に 自分らしく生きて欲しい
私のために変わって欲しくない
変わらないでね
自分のために自分らしく生きることを
私のためにやめないでね
でも 私を好きでいることも 変わらないでね
「ありがとう」の言葉も 優しいハグも
あなたが私に向けてくれる想いを
私はいつでも待ってるから
あなたが変わらなければ 私も変わらない
大好きだよ きっとこの先もずっと
「怖かったんだ」
もうずいぶん長いこと生きてきて
とっくにあきらめていたんだよ
誰かに愛されることを
一人でも平気だったんだ
私はちゃんと一人でもやっていける
このまま一人で死んでいっても それはそれでいい人生だって
笑っていつでも終わりを迎えられるって思ってたんだよ
なのにさ
ちょっと出会うのが遅過ぎない?
もっと早く出会えてたなら
昔 想像していたように3人くらい子供がいて
肝っ玉かあさんになったんだよ?
なんてさ…分かってる
充分急いで来てくれたんだよね
大丈夫 間に合ったよ ありがとう
大好きだよ
もっと早く出会えてたらよかったけど
でもこれからだって遅くない
これからはずっと一緒にいて たくさん笑おうね
怖かったんだ 本当は
ずっとひとりぼっちでさ さみしかったんだよ
でも誰にもそんなこと言えなくて
だって言っても仕方ないよね
目が覚めても一人なんだから
…うん、そうだよ 君もそうなんだって知ったあの日に
もうこれからは君を一人にしないって思った
目が覚めたら一人じゃないって
それだけのために君のそばにいたいって
いつかまた一人に戻るときが来るとしても
うん そうなんだ いつもそんなことも考えちゃうんだけど
そんな私をずっとそばで見ていてね
ずっとずっと 隣で見ていてね
※2022年、元旦、今年の年賀状に書いた詩です。
この辛く苦しい上り坂の向こうには
一体何があるんだろう
あの頂まで登ったらさらにその向こうに
もっと険しい道が見えるのか
それとも
見たことのない景色が広がってる?
未来はいつも見えないけれど
この朝の光の中を
今日も貴方と歩いていく
2015年の3月に書いた「見送り」という詩を再掲します。
たかが人事異動、昔は淋しくなることなんてなかったのにな。
最近になって、何気なく「またね」なんて別れてそれでもう二度と会えないこともあるんだって分ったせいか、今までこんなに一緒にいろんなことをやってきたのにもう二度とこの日々は戻らないんだってことがとても切なく感じられるようになってきました。
この3月も、任期が終わり去っていく人がいます。
2年一緒にやってきて、本当にお世話になって感謝の気持ちでいっぱいですが、伝えきれる自信がまるでないな。
今日はささやかながら餞別の品を買ってきました。どうか思いが伝わりますように。
「見送り」
3月 たくさんの人が職場を去っていく
定年退職の人
異動の人
出向する人
出向で来ていて元の職場に戻る人
私はもうしばらくここに残る
桜の中 みなを送る立場だ
人の出会いは一期一会
もう二度と会わない人もいるだろう
去る側よりも
見送る側
残される側
置いていかれる側に
私はなることが多いのだけど
きっとそれは私だけじゃないんだろう
生きている限りずっと人は
誰もみな見送る側にいるのだから
去っていく人達に
敬意と
愛情と
いたわりと
エールと
そしてありったけの感謝をこめて
「ありがとう
私もここでがんばるから
あなたもがんばって」
かける言葉はこれだけ
分っていたはずなのに
どうしてだろう この春は
大好きだった人達と会えなくなるのが
いつもよりちょっとだけ余計に
さみしい
優しくしてもらったこと
頼ってもらったこと
悩みを打ち明けてくれたこと
今になってそれがとても懐かしい
いつか思い出になり
忙しさに紛れて忘れてしまうまで
一時 このさみしさとともに
涙がこぼれないように
桜を見上げようか
谷川俊太郎さんの詩は、子供の頃、国語の教科書で「生きる」で出会い、「二十憶光年の孤独」とかも大好きですが、最近になってから「読書メーター」というサイトで、いろいろな方の読書記録を読んでいる内に、他にもある傑作とポツポツ出会っています。
「あさ」とかもいいよねぇ。
今回ご紹介するのは以下の詩。全文引用するのはちょっと気が引けるのですが、ぜひもっと知られて欲しいし、みんなに読んで欲しい詩です。
(引用開始)
ひとりひとり 谷川俊太郎
ひとりひとり
違う目と鼻と口をもち
ひとりひとり
同じ青空を見上げる
ひとりひとり
違う顔と名前をもち
ひとりひとり
よく似たため息をつく
ひとりひとり
違う小さな物語を生きて
ひとりひとり
大きな物語に呑みこまれる
ひとりひとり
ひとりぼっちで考えている
ひとりひとり
ひとりでいたくないと
ひとりひとり
簡単にふたりにならない
ひとりひとり
だから手がつなげる
ひとりひとり
たがいに出会うとき
ひとりひとり
それぞれの自分を見つける
ひとりひとり
ひとり始まる明日は
ひとりひとり
違う昨日から生まれる
ひとりひとり
違う夢の話をして
ひとりひとり
いっしょに笑う
ひとりひとり
どんなに違っていても
ひとりひとり
ふるさとは同じこの地球
(引用終わり)
特に3フレーズ目が好きです。
「大人になるってことは」
大人になるってことは いろんなことに悩まなくなるってことなんじゃないか
だって子供の頃の私ときたら 本当に毎日 毎日 いろんなことに悩んでいた
太陽にいつか寿命がきて その時地球が滅びてしまうことや
地球に住む人間を何度も皆殺しにできる核兵器が地球上にあることや
人間がいつかは死んでしまうことや
自分の母が死んでしまったらそのときに自分がどうなってしまうのかとか
それなのに大人になった今
世界中で新型コロナウィルスによる新型肺炎が流行し
日々多くの人が感染し 入院もできないまま自宅で亡くなる人もいて
緊急事態宣言が出て 外出も外食も思うようにできなくなって
休みの度に計画していた旅行や
友人と会っておしゃべりしたり食事したりすることもなく
毎日たった一人で家で仕事して 誰とも話さず 誰とも接せず
家で自分で作った食事を黙々と食べ
そうしてまた週末がやってきて
家に閉じこもってテレビで今日の新型コロナウィルスの新規感染者数をチェックする
平日も休日もほとんど何も変わらない
どこへも行かず変化もなく でも年だけはとっていく
そんな日々なのに
普通に寝て起きて暮らしている自分がいてさ
大人になるってことは
いろんなことに悩まなくなること
いつか死ぬことだって怖くなくなるのだろう
それでいいんだろうか
それで本当にいいんだろうか
「天命2」
これまでずっと探していたけれど
どうやら私には「天命」というものがないらしい
自由でいることが好きな私は
何と天の命令からも自由だったんだ
何をしてもいい
何にも縛られない
わくわくしてきたよ
さあ これから 何を始めようか
以前、poem(118)で「天命」という記事を書きました。その最後を「そしたらそろそろ 見つけにいきましょうか 天命をね」と結んだんですが、その答えがこの詩です。どうも私には天命ってなかったらしいw でも、どこまでも自由で、どこまでも自分で決めた人生を歩んでいきたい私にとっては、もしかするとそれって、最高の天からのGIFTなのかもしれません。
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